学園祭の王子様

22      未来予想図   (跡部景吾)
 
 
 
 
 
 矢のように鋭かったあの夏の日射しも、随分と柔らかくなってきたように思う。この半袖の制服では肌に触れる空気も肌寒く感じられるのも気のせいではないのだろう。男子テニス部は全国での敗退と同時に三年生は引退することになり、生徒会も次の学年への引き継ぎを滞りなく終了した。ほんの少しの寂しさと引き替えに二人はようやくこうしてゆっくりと一緒に過ごせる時間を手に入れたのである。
「ん…」
眠りから目覚めた彼…跡部景吾の目に飛び込んできたのは緑の木々とその隙間から降り注ぐ眩しい午後の日射しだった。一体どのくらいの時間自分は眠り続けていたのだろう。それが決して短くないことは太陽の向きが教えてくれる。
「静…」
 側にいるはずの人間の名を掠れた声で呼んでみる。自分が頭を乗せている太股の感触は間違いなく彼女のものだからだ。しかしなかなかいつものような反応を見せてくれない。景吾はここで初めて我に返る。
「静!?」
「はいっ」
自分の膝の上で眠っていた恋人を見守りながら、それでもぼんやりと考え事をしたのだろう。静自身も我に返ったと同時に膝が上へと飛び上がる。彼の頭もまたしかりだ。
「ごっ、ごめんなさいッ、景吾先輩」
「いや…」
それでも景吾は静の膝に頭を乗せたまま動こうとはしなかった。眠っている最中でも手放さなかった彼女の手を改めて強く握りしめる。
「何を考えていた?」
「えっ…えっ?」
「俺が眠っている間、色々と考え事していたんだろ」
 それは女の子特有のものなのか、それとも広瀬静という少女の性質なのだろうか…このようなゆったりとした時間に自分の空想の翼を羽ばたかせていることが多い。それだけ自分と一緒にいる時間を自然な行為として受け止めていることはわかるのだが、その内容を吐かせようとしても簡単に口を割ったりはしないのが常だ。
「えっと…そんなことないですよ?」
「ほう、じゃあ俺が眠っている数時間の間ただぼんやりと過ごしていたというわけか? アーン?」
クリスタルブルーの綺麗な瞳が自分を優しく見上げている。その表情は胸を掴むかのような衝動を与えるには充分すぎるほどで…。
「笑いません?」
「程度によるな」
「もう、先輩ったら」
 静はフーッと思い切ったような息を吐くと、その視線を遙か後方へと向けた。
「ちょっとだけ、想像してみたんです」
「何をだ」
「例えば…跡部のお屋敷の一番日当たりが良い場所に、まるで童話に出てくるような木製のテラスがあったとしたら」
元々の屋敷自体が外国の宮殿をモチーフにしているので、テラスの一つや二つが増えても違和感は皆無だろう。景吾の脳裏にもその様子がありありと浮かんでくる。
「そこにこの家のご主人様が休日を過ごしているんです。テーブルの上に肘をつきながら本を読んでいて…時折射し込む光に金色の髪がさらされて、それがとても綺麗で」
 その金色の髪の主は十数年後の彼自身のことなのだろう。おそらくは跡部の家を継ぐために目まぐるしく走り回っている日々だと想像がつく。そんな毎日の中のホッと息をつける瞬間があるのだとしたら…。
「そのご主人様の側には同じ金髪と青い目の女の子がいるんです。長い髪をピンクのリボンで結んで、それとお揃いの可愛いワンピースを着て遊んでいるの…太い木の枝から下げられた花のブランコにお気に入りのぬいぐるみとクッションを置いて、庭の花でお父さんに捧げる小さなブーケを作って」
 頬を薔薇色に染めながら夢を語る静の声を景吾はぼんやりと耳にしつつ、口元には自然と笑みが浮かんできていた。また呆れられてしまったかも…そう思うと静の声も徐々に小さくなってくる。
「やっぱり…笑いますよね。ごめんなさい」
「いや、そうじゃねえよ」
次の瞬間景吾は勢いをつけて起きあがり、静の間近まで顔を近づけた。
「お前もなかなかやるもんだな」
「なっ、なにがですかーッ」
「俺に対する甘え方を心得てきたじゃねえかということだ」
 あまりにも庶民的すぎて自分の生きる世界とは相容れないタイプの少女だと思っていた。でもこうして一緒に過ごす時間が増えてくると、自然とこの中での未来を思い描くようになるものなのだろう。ならば近いうちに庭師と話を済ませて、理想通りのテラスを設計してくれる技師も呼ぼうと思う。もっともそれが現実になるのは、その『金髪と青い目の女の子』が生まれた後にした方がいいかもしれないが。
「覚えておけよ。その夢、俺が必ず叶えてやる」
「はいっ!?」
静の体が再び上に飛び上がるのも無理はない。それは言い換えればプロポーズの言葉になるからだ。
「あっ、あのせんぱ…」
しかし静の声はそれ以上口から出てくることはなかった。恋人の唇がこれ以上の問答が出来ないようにしっかりと塞いでしまったからだ。
 
 
 
 
 
 跡部家で一番美しい形で庭を臨める場所…そこにまるで童話の世界を思わせる木製のテラスがあった。横に植えてある大きな木の枝には季節の花々に飾られた子供用のブランコが設置されており、先程から熊のぬいぐるみと花模様のクッションを伴ったこの家のお姫様がそれを前後に大きく揺らしている。その勢いで折角庭師が整えてくれた花が一斉に散ってしまいそうだ。
「わぁーい、わぁぁーいっっ!!」
 しかし本人はその乱暴な行為が楽しくて楽しくて仕方ないらしい。テラスに設置されたテーブルで本を読んでいたこの子の父親がいよいよ頭を上げてくる。
「…紗羅」
「はいー、お父様?」
「怖くないのか、それ」
「怖くなんかないでーす。見ていてねーっ」
ピンクのリボンで二つに結んだ金髪も同意するように上下左右に揺れる。そこで思いっきりブランコを上へとこいだ後に自分の体を空へと舞い上がらせる。
「危ないッ」
本を投げ捨てて娘の側に駆け寄ろうとしたが、彼女の両足は地面にきちんと揃って着地していた。
「ねっ、大丈夫だったでしょ」
「…そうみたいだな」
 女の子に限らず子供というものは過ごす時間の長い母親に似るものだと思い込んでいたが、実際に四才になったばかりの紗羅は見事に父親のミニチュアと化している…気がする。怖いもの知らずの自信家で、それでいて人を惹き付けずにいられないあたりは幼かった彼と同一の部分だろう。おそらくブランコから落ちることがあったとしても決して泣き言は言わないタイプの子供だろう…いや、それはどちらかといえば母親の持つ部分だろうか。
「あっ、リスさんがいるーッ」
紗羅の視点は次々と場面を変えて動き続け、目を付けられた小動物たちも慌てて逃げようとする。それを見て景吾は苦笑するしかなかった。
(まったく…こんな風に成長するとは思わなかったぜ、お転婆め)
 あの遠い日…彼女がはにかみながら打ち明けた内容とは随分と違う未来になってしまったと思う。当時の自分たちが知ったらどう思うのだろうか、想像すると苦笑が自然と楽しそうな笑みへと変わってゆく。
(でもまあ、それでもいいか)
人生というものは思い通りにいかないほうが楽しい場合もある。例えばどこに飛んでゆくかわからないテニスボールのように…もしくはわずか二週間という短い時間に一生分の恋をしたかつての自分のように。
「随分と楽しそうな顔をなさってますね」
甘いケーキの香りと一緒に『誰か』がテラスへと入ってきた。天気の良い午後の時間を共にすごそうと色々用意をしていたのだろう。
「そう…見えるか?」
「ええ」
しかしその理由をわざわざ口にする必要もない。互いに目を合わせながら小さく笑う二人は全てを承知しているからだ。
 やがて大好きな甘い香りを察知した紗羅が慌てて走ってくるのが見えてきた。
「お母様ーッ」
「おやつの時間よ、紗羅。手をきちんと洗ってね…お父様のお邪魔はしていなかった?」
母親に笑顔で訊ねられ、紗羅の表情が少しだけ引きつる。視線は自然と一部始終を見ていた父親へと向けられた。
「大丈夫…だもん…ね?」
「さあな」
手元にあった本を閉じながら景吾はクスクス笑う。
「そういうことにしておくかな」
「意地悪ーッ!!」
あの頃まだ幼かった二人が夢見た風景の中、親子三人の笑い声がいつまでも響いていた。
 
 
 
 
 
END
 
 
 
 
跡部様エンディング直後をイメージさせた話…のつもりで。学園祭の王子様というゲーム自体原作のパラレルワールドなので、この世界での跡部様は全国の終了後でも坊主にはならないのです(笑)。
ラストにはちょっとだけ未来編のおまけ付きです。静はなんとなくですが、将来女の子の母親になりそうな気がします。
更新日時:
2006/11/03
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質問の提供は『広瀬静LOVE同盟』様でした。
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Last updated: 2010/5/12