学園祭の王子様

25      薄荷キャンディー   (宍戸亮)
 
 
 
 
 
 その言葉を聞いた時、部室に集まっていたレギュラー陣はたった一人を覗いて己の耳をまず疑った。そして疑惑の視線はその残りの一人へと遠慮なく一方的に注がれる。
「おい、宍戸…」
まず最初に口を開いたのは部長の跡部景吾だった。その声はまるで地獄の底から鳴り響いたかのようであり、端から聞いても恨み辛みが込められていることがわかった。
「あんだよ」
しかし言われた本人は部室に流れる微妙な空気にまったく気がついていない。全国に向けての練習を前にさっさと着替えをすませ、靴ひもを結び、ラケットのカバーを外す。
「今言った台詞、もう一度言ってみろ」
「ああ? 静が女子テニス部に入ったってことか?」
「「「「「ちくしょおおおーーーーーっっっ!!!」」」」」
跡部の他に、忍足・岳人・慈郎・日吉の断末魔の叫びが重なって部室の隅々まで響き渡ったのだった。
 宍戸亮自身から改めて聞かされた現実は、最初の時よりも更なる衝撃が加わって部員たちを打ちのめしてくれた。あえて声には出さないものの、その場に一緒にいた後輩の鳳や樺地もショックの表情を隠さない。
「なんてことしてくれたんだよ、宍戸のボケッ!!」
「俺…静ちゃんの膝で昼寝するの楽しみにしてたCー」
大声で泣き言を口走る岳人と慈郎を見て、流石の亮も眉をピクリと動かす。
「ほおおーー? そうかそうか…てめーら全員でそういうこと企んでいたわけか」
図星だった。二人だけではなくレギュラー全員の顔に堂々とそう書かれている。ぐっと息を飲みながら、それでも岳人は反論を続けた。
「だいたいわかってんだろうがよ!? 学園祭での仕事ぶりを見ていたって広瀬のマネージメント能力がやたらと高いことくらいはよおっ。なら男子部にマネージャーとして引き込むのが彼氏の役割だって言ってんだよ」
 岳人の怒鳴りたい気持ちを亮が理解していないわけではなかった。それに恋人である広瀬静が仲間から認められているのは嬉しい話でもある。しかしこう一方的に自分ばかりが責められるのはどうも癪に障る。
「そんなこと言ったって、静が決めた事を俺らの都合で覆す訳にはいかねえだろうが」
こうして正論をぶちかますのがせいぜいではあったけれども。
「宍戸さんのことだ…広瀬にも全力でテニスの素晴らしさをアピールしたんでしょうね」
溜息と一緒に思いっきり毒舌を吐いたのは自称『次期部長』のあの男だ。跡部と同様に静の入部を確信していた人間である。
「それが悪いのかよ」
「悪いとは言っていませんよ。その後の対応がどんどんずれていっただけの話で」
バチバチと火花が散っていそうな二人を後目に、慈郎が跡部へと甘えた声を出す。
「ねえねえー、跡部の力で何とかならないのー? ここにいるみんなで静ちゃんを全国にも連れていってやりたいって言っていたじゃん」
「…まだ入部届けが受理されていなければ、なんとかなったかもしれねぇが」
 自信家の跡部景吾には珍しく、がっくりと肩を落として溜息をつく。でもそれだって無理もないのだ…マネージメント能力に優れた部員を欲しがるのは女子テニス部とて同じ事。将来有望なテニス部員とマネージャーを同時に入手した女子部部長の高笑いが聞こえてくるかのようだ。
「とにかく! だ」
しばらく日吉と睨み合っていた亮は、我に返ってレギュラー全員の目の前にビシッと指を指す。
「テニスのおもしろさを教えたのは俺だがな、実際にプレイしてみたいと思ったのは静だし、入部を決めたのも静自身だ。それに関してはいくらお前らでもゴチヤゴチャ言われたくはねえ。同じテニス部員として見守ってやる程度に止めておくのが先輩なり同学年なりの役割ってモンだろ。もしこれ以上の言い分があるのなら、俺も色々と考えさせてもらうからな!!」
元々胸に激しい熱情を秘めているタイプであり、どん底からはい上がれる逞しさをも持ち合わせている男の言動は全員を黙らせる迫力に満ちていた。跡部部長を唯一の例外として、氷帝男子テニス部のレギュラーメンバーは全員樺地の背後に身を潜めながらコクコクと無言で頷くしかなかったのである。
 
 
 
 
 
 そんな一騒ぎがあった日の午後、二年生でレギュラー入りを果たしている鳳長太郎は偶然練習開始直前の女子テニス部専用コートを横切った。そこにはまだレギュラーの座を得られていない一年生たちがボールの数を数えたり、コートの整備を行っている。残暑の厳しさも手伝ってか彼女たちも汗だくの様子だ。そして…彼はその集団の中から特に熱心に作業をしている部員の姿を見つける。
「…広瀬さん?」
そう呼ばれたジャージ姿の女の子が振り返った。彼女が女子テニス部に入ったと宍戸亮自身から聞いたのはついさっきのことなのに、もうすでに練習に参加しているのだろうか。
「鳳くんだっ、おーい」
静の明るく手を振る姿を見て、同学年の気安さもあってか側へと近づいてゆく。
「話は聞いたよ。女子テニス部に入ったってね。もう練習に参加しているの?」
「うん…でも二年生の夏からの参加だし、超初心者だから。まだまだ覚えなくてはならないことが山積みなの。時間が本当に足りないって感じかな」
静は肩をすくめながらペロッと舌を出すと、なんでもないように明るく笑った。そんな相変わらずな姿が嬉しくなって、鳳もまた同じように笑顔を返す。
 真面目で努力家の彼女は、それでも自分の大変さを決して見せつけたりはしない。学園祭の運営委員として顔を見せた時は「こりゃ大変なことになりそうだ」と危惧したものだったが…それでも二人を見守る周りの女子部員たちのあたたかな眼差しを見ていると、ここでも彼女が深い信頼を受けているのがわかる。
「でも何もかも一からの始まりは大変だろう? 氷帝は女子部も厳しいことで有名だからね」
いたわってやりたい気持ちがあったのか、鳳は静に向けて自然とそんなことを言っていた。しかし相手はびっくりしたように目を丸くして彼の顔を覗き込む。
「ふふっ、なんかへんな感じね」
「何が?」
「だって鳳くんも去年までは私と同じ新入部員だったはずなのに。男子部で、しかも二年生でレギュラーを取ることがどれだけ大変なことか…同じテニス部に入って初めて知ったのよ?」
「うん、いやあまあ…そうなんだけれどね」
 鳳にとっては努力の積み重ねが本分であり、それがどれだけ凄いことなのかを意識したことはなかったのだろう。照れくさそうに頬を染めながら頭の後ろを掻いてみせる。
「本当はね…」
「なあに?」
「跡部さんや他の先輩たちや…もちろん二年の日吉や樺地もそうなんだけれど、広瀬さんを男子テニス部のマネージャーとしてスカウトしようって考えていたんだ」
「え…ええええーーーーっっ???」
静の叫び声がテニスコート中に響いた。部員たちはもちろん、通りすがりの氷帝生まで思わず振り向いてしまう。でも本人にしてみれば断末魔の叫びが出てしまうほどに驚いたのだろう。鳳は実は亮自身が他の男子部員に近寄らせない為に女子テニスに入部させたのでは…と一瞬だけ疑ったのだが、それが酷い誤解であったわかって内心ホッとしている。
「ウソッ…信じられない。みなさん凄い人たちばかりなのに、私なんかに気を使って下さって」
「それだけ広瀬さんのマネージメント能力が優れていただけの事だよ。先輩たちもみんな人を見る目があるからね。実は…俺も少しだけ期待していた。一緒に全国に行けたらいいなって思っていたんだ」
「鳳くんってば!」
同級生同士の気安さもあるのか、静は余計にそれが冗談だとしか思えないようだ。
「でも安心したよ。広瀬さんにとってはこれでよかったんだってね」
にっこりと微笑みながら静の前に手を差し出す。
「これからはライバルだね」
彼の言葉に驚きつつ、静も手をしっかりと握り返す。
「鳳くんのライバルなんて…でもこれをきっかけにしてテニスの面でも仲良くしてくれると嬉しいな」
「もちろん! 喜んで!」
尊敬する先輩たち、そして同じ志を持つ友人がいる自分たちはなんと恵まれた存在なのだろうと二人は思う。まるで口に含むとさっぱりした味が広がるキャンディーを食べているような清々しい気持ちを抱きながら、そっと手を離した。
 
 
 
 
 
 少し遅れてコートに訪れた鳳に向かって、亮は早速遠慮のない檄を飛ばす。
「遅せえぞ、長太郎!」
「すみません。監督から急な呼び出しがあって…」
「ったく、折角コートが空いたんだ。あいつら相手に試合やんぞ。急げ!」
「はいっ」
向こう側にはすでに岳人と日吉がスタンバイしている。どうやら全国に向けて新しいペアを完璧に仕上げてしまいたいらしい。彼の数歩歩きながら、鳳は何気ない感じでこう声をかける。
「さっき広瀬さんに会ったんですよ」
「あん?」
 後輩からの突然の言葉に驚きは隠せないようだったが、亮の口元にはすぐにニヤッとした笑みが浮かんだ。
「…がんばっていたろ?」
「ええ。思わず大変だねなんて声をかけちゃったんですけれど、俺の方がずっと凄いって励まされて帰ってきました」
「あいつらしいな」
 まるで自分が誉められた時のような機嫌の良さだ。鳳は一時期でも彼を疑った自分を恥じる。
「なあ、長太郎」
「はい?」
「あいつ…静な、これからすっげえ強くなるぜ」
愛用の帽子を少しだけ浮かせて、亮はにじんできた額の汗をサッと拭う。
「もちろん今すぐってわけにはいかねぇだろうけどな。でも女子部でもまれて、いっぱい苦しんで、努力をして…高校最後のインターハイの頃にはしっかりレギュラーの座を獲得していると思うぜ」
まだ推測の域を出ない話ではあるけれども、そのことを思い浮かべて亮は満足げに笑う。確かに真面目な彼女は日々の鍛錬を決して怠らないだろう。それに目の前にはこんなに優秀な選手である恋人がいるのだ。いずれは氷帝にとってなくてはならない選手になるに違いない。
「そうですね、本当に」
 思わず立ち止まってしまった二人の間を、少々乱暴な声が割って入った。
「おーい、そこの二人組!! いつまで惚気対談やってんだよ」
「まったく…日が暮れる前になんとかしてもらえませんかね」
コートの向こう側では好戦的な二人組がこちらを見てニヤリと笑っている。わずかに残ってしまったわだかまりを、この場で解消するつもりだろうか。
「チッ、言ってくれるぜ…急ぐぞ!」
「はい、宍戸さん」
 
 
 
 
END
 
 
 
 
以前からこの曲をタイトルにして宍戸さん×静の話を書きたくてたまらなかったのでした。静がテニス部に入部するのは超模造設定ですけれどね。でも三十五通りのエンディングの中では唯一そういう雰囲気があったような気がします。
更新日時:
2007/05/21
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質問の提供は『広瀬静LOVE同盟』様でした。
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Last updated: 2010/5/12