学園祭の王子様

20      BLUE HEVEN   (忍足侑士)
 
 
 
 
 
 まだ知り合って間もない頃に初めて一緒に出かけたのは地元の大きな映画館だった。もっともスクリーンに広がる世界に集中していたのは自分だけで、彼の方はただ満足げにこちらをジーッと見ていたのだけれど…その時のキュッと縮こまった心臓の感覚や、火を抱いたかのような体の熱さは未だ忘れられぬ記憶として残っている。
「でもそれを『恋』だと思っていなかったあたりはな。あの鈍感さはシャレにならんわ」
「うっ…」
今でも昔話をしているとそんな感じでからかわれてしまうのだが、図星すぎて反論も出来ない。ブーッと膨れて見せるのが精一杯なのだった。
 でもあの時見せてくれた内容が流行りのラブロマンスだったのには随分と驚かされたものだ。意外と隠れファンはいるものだと言われたものの…なかなか本心を見せてくれないこの人には、一般人には理解できないくらいのマニアックな趣味を期待していたのかもしれない。ただのめり込むと境目がなくなってしまうのはあながち間違いでもないようだった。それは恋人同士になってすぐ、彼の自宅に招かれた時の事である。
「うわあ…」
「どないした?」
「凄いですね、このビデオラックの中身」
 映画好きを名乗るのなら、名作・傑作の類をコレクションするのは当然だろう。しかし彼のライブラリーは最新作のDVDだけではなく、懐かしいLDや偶然録画できたビデオなども全て丁寧に整理されて年代順に並べられていたのである。
「今じゃ古い映画のDVDも画像がグーンと良くなってるし、安く手軽にコンビニなんかでも買えるんやけどね。そやけどどうも古いビデオなんかも捨てられへんのや」
照れくさそうに笑った彼を見ていると、自分も自然と笑顔になる。
「先輩の気持ちなんとなくわかります。初めてその映画を見たときの気持ちとか感想がまだ残っているような気がするんですよね」
 一番古いビデオのラベルにはタイトルや役者名が手書きで書かれており、それを夢中になって何度も繰り返して見ていた幼い『忍足侑士くん』の姿が見えるような気がした。
「お、ここで理解者に会えるとは思うてへんかったわ。まあ自分でもしょーもない感傷やてわかってるんやけどね…おかげでソフトが増えてゆく一方やねん。おかんたちに捨てられずにこれたのが奇跡みたいなもんや」
「将来はビデオ小屋作らなくちゃ駄目ですね」
からかうような静の言葉を受けて、侑士はニヤッと笑う。
「ほーう、それは未来の嫁さんが許可してくれたと判断していいんやな? 楽しみやなー俺の城! ビデオ小屋!」
「あくまでもソフトを置くスペースですよ。プレーヤーはリビングに置きます」
「えーっ!?」
「だって侑士先輩、そこから出てこなくなっちゃいそうだもの」
 
 
 
 
 あれから二人の間にどれくらいの時間が流れたのだろう。女子生徒に人気のある人と付き合うようになった時には友人たちにも随分と心配をかけたようだが、それでも沢山の出来事を経て…時には喧嘩をし、同じ数だけ仲直りもし…気がついた時には氷帝学園高等部の制服を着て歩けるのも残り半年になってしまった。侑士は氷帝大学の医学部へと進学し、そして当時の仲間たちと共に男子テニス部の主力として活躍している。
 大学進学と同時に一人暮らしを始めた侑士の家に静は今日も遊びに来ていた。夕食として『あの時』と変わらぬ味のたこ焼きを作ってもらい、それで充分にお腹を満たしたところである。食器を洗うのは静の仕事だが、たこ焼き機の方はまだあまり触らせてもらえないのが常だ。ご馳走してもらってばかりじゃ心苦しいと伝えたこともあるのだけれども
(こっちはまだ俺の専売特許にしといてもらうで。静は料理上手いから、たこ焼きも立派に作れるんやろうけれどな)
と、いつもの笑顔で言われてしまえば反論も出来ない。今日もいつものように美味しく頂いてしまう静だった。
 食器を洗い終えた後、静はこっそりと彼のビデオライブラリーへと忍び寄る。もしかしたらまだ見たことのない新作が入っているのかもしれないからだ。彼と付き合うようになってから彼女自身もラブロマンスの虜になり、今では侑士を相手に堂々と評論をするようになった。
「あっ…新作みっけ」
「なんか面白いもんでもあったか?」
「これ買ったばかりのDVDでしょう? まだ封もあけていない奴」
 対面式のキッチンへと振り向くと、たこ焼き機を戸棚にしまい込んでいる侑士の姿が見えた。
「んー、何買うたやろ」
「トロピカルーな感じのジャケットで、くりくり頭の男の人と長い金髪の女の人が抱き合っていて…タイトルは…」
「『青い珊瑚礁』」
その声が直接耳元に聞こえてきて思わず飛び上がってしまう。足音を立てぬようキッチンからここまで移動してきたらしい。
「びっびっ、びっくりしたじゃないですかー」
「いい加減慣れた方がええで」
侑士は静の手からスッとDVDを取りあげると、そのまま二人は一緒にソファへと腰を降ろした。
「この前スーパーに買い物行ったときにDVDのフェアやっとってな。これも千円ちょいで買えたんや。ただ安かっただけにすぐ忘れてしもたんやな。聞いたことあるか?」
「同じタイトルの歌なら知っているんですけれどね。でも随分古い映画みたいですね」
「今からもう三十年近く前の作品や。この真ん中にいるヒロイン役の子…この子のアイドル映画みたいな形で撮影されたらしいんやけど、当時はもうため息が出るほどの美人って語り草らしいで。雄大な自然の風景とヒロインの美しさによって名作と称えられている一本や」
「ふうん…」
「どや、見たくなってきた?」
侑士は静の顔を覗き込んでニヤリと笑う。彼女がこういう誘導尋問に弱いことは既に承知の上だ。目蓋に直接息がかかるほど近くに彼の存在を感じる。
「…意地悪…」
「なんやそれ。まあええけどな。どや、一緒に見るか。ビニール剥がしてもええで」
 静が言われたとおりにDVDのビニールを剥がしている間、侑士は二人分の飲み物を用意してまたソファに座った。
「お姫さんには刺激が強いかもしれんから、前もって言っとこ」
「何ですか?」
「この映画な、俺が初めて見たエロっぽ映画やねん」
「…はいっ!?」
突然の言葉に静はサッと身構えて、胸のあたりで腕をクロスさつつ自分自身をガードする。
「なんや、そのつれない反応…泣くで」
「侑士先輩の場合はシャレにならないんですもの」
 男女が愛し合うという行為はもう既に知っている事だが、『それ』そのものを目的にした映画を見るのは遠慮したいと静は思う。ラブロマンスというのはそういうものだろう。
「誤解せんといてな。エロ映画やないねん。あくまでもエロっぽ映画ってな。要するに思春期の一番敏感な頃に見た映画って意味。それこそ色んな事に興味がビシバシあった頃のな」
「今だってビシバシ興味あるじゃないですか」
「…話進めてもええ?」
「どーぞ」
 しかしジャケットの裏にあるキャスティングやスタッフの名前を見つめる彼の姿はどこか懐かしげで、あまり不純な部分は思わせなかった。
「といっても物語の基本は純愛やで。家族連れの乗った船が沈没して、幼い男女の従兄弟同士とおっさん一人だけが無人島に流れ着いたんや。そのおっさん指導の元なんとかそこで生きて行く術は学んだものの、そのおっさんもすぐに死んでしまうねん。誰もいない二人だけの生活の中で、やがて幼かった二人もそれぞれに成長して、やがて愛し合うようになるわけや」
「それがこのジャケットの二人…」
「そうや、一言で言えば極限状態での純愛ってとこやな。大自然の中で若い二人が結ばれるシーンなんて思わず胸がキュンてしてまうで。もっとも元々がアイドル映画やからヒロインのヌードシーンがほとんど吹き替えだと知ったときは本気で泣きかけたけどな」
 映画を見ながらショックに打ちひしがれる侑士を想像して静はクスクスと笑う。その時に植え付けられた心の傷はテニスの敗北とはまったく違う意味で深いらしい。
「それで? 二人はどうなっちゃうんですか? 無人島から助け出されるの?」
「どないなると思う? きちーんと性教育も受けてなければ、避妊の方法も知らん二人が毎日一緒におったとしたら…」
映画の内容を知っているこの人は、まるで意地悪をするかのようにヒントだけを与えて答えをくれない。少し大胆なその先の言葉を静自身に言わせようとしているのだ。
「…赤ちゃん…」
「あたり」
 内心複雑な心境になってきた静を尻目に、侑士はそのDVDをプレーヤーの中に入れてリモコンの再生ボタンを押す。やがてテレビの画面には眩しいほどの南国と海の風景が広がって行く。冒頭の部分ではまだ二人は幼い従兄弟同士として登場する為に、のちに辿る運命を思うとやはり切ない気持ちになってしまった。隣にいる人と付き合い始めたのは、のちに映画の二人が愛し合うようになった年頃とそう変わらないからこそ親近感も沸いてしまうのかもしれない。自分が座っているソファでさえ海の上を漂う頼りない小舟のようだと思えてしまう。
「あんなあ、静…」
「はい?」
侑士の視線はそのままテレビに向かっていたが、小さく話し掛けられて慌てて彼の方に振り向いた。
「今な、めっちゃ情けないこと言うてもええか?」
「なんですか?」
 突然声をかけられた静が真剣な眼差しを向けたせいか、侑士は恥ずかしそうに苦笑する。
「もし…な、これは金輪際絶対有り得へんことやって充分わかっとるけど、もしも…もしも俺達がこの立場になったとしたら静は俺の側にいてくれるか」
「先輩…」
「こんな目にあいたいとか真剣に考えているわけやないで? そんなん実際に漂流したら生きてなんか帰れへんやろ。そう考えてしまうのは俺が年を取ったっちゅうことなんやろうけれど、なーんか状況は段違いでもこの二人を見ているとあの頃の真っ直ぐな自分をふいに思い出してな」
心は真っ直ぐに静を想っていても、それをなかなか上手には言葉に出来ないようだった。静はわざと冗談っぽく言う彼の膝の上にそっと手を置き、そして耳元に唇を寄せて、おそらく彼がもっとも望むであろう言葉を小さく囁く。
「無人島だろうとどこだろうと、あなたが側にいてくれるのなら」
 
 
 
 
結局 今夜も映画どころの話ではなくなってしまうのだった…。
 
 
 
 
 
END
 
 
 
 
ドキドキサバイバル発売の前にこんな話を書いてみました(でも学プリの忍足くんとドキサバの忍足くんはパラレル的なまったくの別人だと思って読んで下さい。つぐみちゃんに恋をする彼と同様に、静ちゃんと幸せになる彼もまた存在しているわけなので…それはもう切実にどうかお願いします)。
でも思えば『青い珊瑚礁』は私にとっても初めて経験するエロっぽ映画だったかも…。
更新日時:
2006/08/04
前のページ 目次 次のページ

質問の提供は『広瀬静LOVE同盟』様でした。
戻る


Last updated: 2010/5/12