学園祭の王子様

19      空から降りてきた白い星   (手塚国光)
 
 
 
 
 
 自動ドアを越えて外へと一歩足を踏み出す。室内との温度差に思わず身震いをしてしまうが、それよりも先に天空を彩る星々を見て感嘆の声が飛び出してしまった。
「わあ…素敵」
この季節になると空気も澄んで、より鮮やかにあたりを臨むことが出来る。濃紺の空に散りばめられた自然の宝石は今にも手の中に舞い降りてくるように見えた。
「静、あまり慌てて飛び出すな! 階段を踏み外すぞ」
「大丈夫ですよ。国光さんはいつまでも心配性で…きゃっ!?」
恋人の注意にも明るく答えたものの、すぐに体が大きく傾く。この位置に階段が存在していることなどもうわかりきっていた筈なのに。
「静!?」
 国光は慌ててその場に駆け寄り、見事に階段を踏み外そうとした静の体を必死の形相で抱き留める。そこは僅か数段程度の小さな階段だったが、大小に関わらず彼は同じ事をしただろう。
「まったく…注意した矢先にこれだ」
「ごっ、ごめんなさい。でもあまりにも星空が綺麗だったから…」
「この前は夕焼け、その前は小さな子供が可愛かったから、その前は空に架かる虹を見つけたから…だったな。いい加減懲りることも覚えた方がいい」
「はぁい…」
しゅんと項垂れてしまう表情も素直に可愛いと思えたが、それでもここで甘い顔は決して見せない元部長・元生徒会長だった。でも…もし静が本当の意味でのしっかり者になり、一切の隙をも見せない女の子になったとしたら、それはそれで彼が随分と寂しい思いをすることになるのは間違いなさそうだ。
 あの華やかな合同学園祭が終わってもう数ヶ月になる。男子テニス部の全国大会も終了し、それとぼぼ同時に三年生の部員は正式に引退をすることになった。また生徒会の方も後輩たちへと無事に引き継ぎを終えて、生徒会長としての立場を退いている。こうして完全に進路体勢が整ったわけなのだが、以来こうして静と並んで帰る機会が多くなってきた。時には図書館に寄って一緒に勉強をしたり、美術館や博物館に出かけたり、ファーストフード店でたわいもない話をしたり…手塚国光という人間を知る者たちが聞けばおそらく仰天するだろう。しかし自分を甘やかさない程度を心得ながらも恋人と過ごす時間を楽しむ彼は、やはりどこにでもいるごく普通の中学三年生と変わりはなかった。
 そんな中、二人が一番足繁く通っているのはここなのだろう…数駅隔てた先にある科学館である。小学校の頃には遠足の度に出かけた記憶があり、ある程度施設についても熟知していたが、つい先日最新式のプラネタリウムがこちらに設置されたのだ。しかも季節によって内容も変化するのだという。柔らかなシートに身を寄せて人工の星々を眺めるのも、また太古より伝わる神話の世界へ心を寄せるのも、勉強に疲れた時には全てが癒されるような気持ちになった。
 静の方も星座の誕生にまつわる物語には興味があるようだ。あのなカシオペア座の由来となった女性がエチオピアの女王であったことを教えてくれたのは静だったし、カシオペアの娘が大星雲でも有名なアンドロメダであることも彼女の口から知らされた。
(ほう、お前がギリシャ神話に興味があったとは知らなかったな)
(神話って一見難しく聞こえるかもしれませんが、美しい神々の恋物語も沢山伝わっているんですよ。それを元にした本も集めているんですけれど、それぞれに解釈が違っているみたいで…いつか本物のギリシャ語で書かれたものを見られたら楽しいでしょうね)
(確かにそうかもしれんな。もっとも英語とフランス語の本を間違えて購入してしまうあたり、先は随分と長いのではないかと…)
(お願いですから、それは言わないでくださいーっ)
「国光さ…ん?」
 腕の中から聞こえる声でハッと我に返る。そこから静が思い詰めたような目で彼を見つめていたからだ。
「ごめんなさい。まだ…怒っていますか?」
「いや、そうではない。立てるか?」
「はい、大丈夫です」
国光がそっと手を離すと、静はその場にきちんと立つことが出来た。どうやら今回は足を痛めずに済んだらしい。
「随分と遅くなったようだ。このまま駅まで送っていこう」
「そうですね…お願いします」
二人は一度離した手を再びしっかりと繋いで、暗闇の中にある階段に気を使いながら歩き始めた。
 それでも駅までの道のりを時々立ち止まり、頭上の美しい星を眺めることは忘れない。
「プラネタリウムも素敵だけれど、やっぱり本物にはかないませんね」
「何当たり前の事を言っている…寒くはないか」
「…平気です」
国光の口からまた出た心配性な言葉に、静はフフッと笑みを返す(彼女もまたそんな彼の言葉がなくなったとしたら寂しがるタイプの人間だった)。しばらく一緒に空を見上げていると、ふと感じるものがあったのか国光の口から突如意外な言葉がついて出てくる。
「まだ学園祭の準備をしていた頃…俺に星の話をしてくれたことを覚えているか」
「えっ…」
「本物の星の話ではなかったな。お前の友人が跡部に憧れるようになって、いつも奴の話をしているという事だった。準備期間は短いのに気持ちを打ち明けるつもりは一切ない…『星は遠くから見つめているのが一番いい』と言ってな」
 静の脳裏に賑やかだった準備期間の熱い空気が蘇ってくる。その中にはスポンサーの一人だった氷帝学園の部長と、彼をアイドルのように熱心に追いかけていた友人たちの姿もあった。そんなに憧れが強いのならば、好きだと打ち明ければよいのに…静もそんな助言した記憶がある。確かに相手はスーパースターだったけれど、何も言わずに別れると必ず後悔するだろうからと。しかし彼女たちは跡部を手を伸ばしても届かぬ星に例え、見つめているだけの幸せもあるのだと笑いながら話してくれたのだ。もちろん今も彼女らは楽しかった学園祭の思い出と一緒に懐かしく回想しているようだが。
「覚えていてくれたんですね」
「まあな。ただあの時の俺は…その友人というのがお前自身のことだと思っていた」
「えっ?」
静は素っ頓狂な声をあげたまま立ち止まってしまう。その反応が予測できたからこそ、彼はこれまでこのことを話せなかったのだろう。
「もしかしたらお前が惹かれているのは跡部だったのではないのかとな」
「わっ私そんなこと言いましたっけ!?」
「いや、言ってはいない。しかし一度そう思いこんでしまえば自分ではどうしようもなかった」
「国光さん…」
 隣にいる彼の表情に影のようなものを感じるのは、暗闇にいるせいだけではないだろう。それに一つのことを思いこんでしまえば、他のことが考えられなくなってしまうことを静は知っていた。国光が同じテニス部のレギュラーである不二と話をしていたのを偶然耳にしたあの時…。
「お前の友人のように、星は確かに遠くから見ているのがよいのかもしれない。ただ俺が望んだ星は相当気まぐれな性質の持ち主らしくてな。俺が何かを言おうとしたら、すぐにそれを笑顔でかわしてしまう。好きな女性のタイプを聞いたかと思えば、それに自分が当てはまらないかのような振る舞いをしたり、そのくせ時々思い詰めたような目をして俺を見つめる。正直どうしていいのかわからないと思ったこともあった」
「国光さんッ」
静はその言葉たちを遮るかのように慌てて彼の腕にしがみついた。
「ごめんなさい、私…何も知らずに国光さんのこと振り回していたんですね」
「静?」
「でも私にとっての星はあの頃からずっと国光さんだけでしたよ? でも部員全員に慕われる部長さんで、威厳のある生徒会長で…相応しい人間になりたいと思えば思うほど迷惑ばかりかけてしまう自分が嫌で、ずっと『手が届かない人』なんだと思い込もうとしていたんです。でも私は友達とは違って、色々お話出来たことがただの思い出になってしまうのもまた辛くて…だから最後の日に…」
 喉から絞り出されるかのような言葉たちと一緒に、彼女の大きな目からは涙が溢れそうになる。国光はそれを阻止するかのように静の頭に手を乗せ、愛おしむかのようにサラサラの髪に触れた。
「泣かないでくれ」
「でもっ、私」
「泣かせるつもりで話をしたわけではないぞ。あの時のお前の行為には本当に感謝している…もう二度と会えないだろうということを言い訳にして、お前への気持ちを諦めかけていたのだからな。それに当時のことをこうして思い出話に出来るのは今の俺が幸せだということの証でもある」
とつとつと語られてはいるが、でもそれは間違いなく彼から彼女に捧げられた愛の言葉だ。それを照れずに慎重に口にするのが手塚国光らしさなのだろうか。でもその一つ一つが流星のように静の胸へと届いて行く。
「静…これからもよろしく頼むぞ」
改めて静の手を握ったところに新しい力が加わる。彼はたった今言った言葉があの後夜祭の時のものと同じだと気がついているだろうか。それに気がついた静は溢れそうだった涙をスッと拭って淡く微笑む。それもまた彼女自身が幸福であるという証の一つだった。
「はい…国光さん」
 
 
 
 
 
END
 
 
 
 
手塚ルートはお互いがお互いに思い詰めるほどの切ない片想いをしている雰囲気が好きなのですが、それぞれにすれ違いだったり勘違いをしたりの繰り返しだった分、誰よりも幸せになってほしくてこんなお話を書いてみました。
更新日時:
2006/08/04
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質問の提供は『広瀬静LOVE同盟』様でした。
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Last updated: 2010/5/12