学園祭の王子様

17      純恋歌   (柳蓮二)
 
 
 
 
 
 その日一生に一度あるかないかの幸運を引き当てた少女は、この世の不幸を一身に背負ったかのような複雑な顔をしていた。
「しぃ…あんた大丈夫?」
「な、なんとか浮上しようとは思うんだけれど…」
「とてもそうは見えないけれどね」
彼女のあまりの落ち込みように友人御一同様も流石に心配になってきたようだ。皆が席に集まって顔を覗き込もうとする。
「そんなにショック受けるほどのことかなあ。うちの学校の男子テニス部なんて、全国でも最強の人材が集まっているんだもの、女性人気だってすごく高いんだよ? 『学園祭の運営委員として彼らと行動出来る権利』としてネットオークションに出してみたら十万くらいの値は付きそうなもんだけれどね」
 静は机に伏せていた顔をゆっくりと上げる。そして地の底から湧き出るような声でこう言った。
「…だったら代わって…」
しかしその場にいた全員が申し訳ないと思いつつ目をそらしてしまう。
「やっぱりみんなだって嫌っぽいしーッ」
「それはあんたがさっさと部活に入らないのがいけないんだよ?」
「だって迷っているうちに出遅れちゃったんだもん」
 静が通う立海大附属中学は運動部・文化部問わずに部活動が盛んな学校である。そのいずれもが全国区のレベルであり、多数の偉人や有名人も排出していた。当然名声を得るため、そして自身を磨くためにそこに入っている生徒も多く、どちらかといえば彼女のように帰宅部にいる者の方がずっと珍しかったのだ。他校と合同で開催する学園祭の運営委員を任されるのも仕方のないことだったかもしれない…問題はこれまでまったく縁のなかった男子テニス部を担当するということくらいだ。
「だってあそこ特別にスパルタだって噂だもん。仕事が上手くいかなかったら目が真っ赤に充血するほど裏拳で殴られた挙げ句に、紳士的な詐欺師に騙されて、魔王に骨まで食らいつくされるか、ブラジルに身売りされてしまうんだって!」
(どっから入手したんだ、そんな噂…)
もちろん日本国の一中学でそんな恐ろしい所行は有り得ないとわかってはいる。しかしあちこちから伝え聞く彼らの個性を考えれば決して大げさ話ではない。もっとも既に決定した事項をネットオークションで販売したなら更に酷い報復を受けるだろうことも簡単に想像出来てしまうのだが…静は胸の錘を吐き出すようにフーッとため息をついた。
 とはいえ、いつまでもこうしてぐすぐすと泣き言ばかりを言ってはいられない。確かに突拍子もない企画だったが、それでも学園祭自体は楽しみだと思う。
「せめて立海生として恥ずかしくないくらいの仕事はしてこなくちゃね…」
真面目で責任感の強い部分は静の長所だ。おそらく今回の男子テニス部担当という重大任務に推薦できた最大の理由もそれであろう。例え友人たちであろうと彼女の代わりは誰にも出来はしないのだ。
「ついでにレギュラーの一人くらいお持ち帰りしてきたら?」
「…それは無理」
 
 
 
 
 
 それらの話を聞いた彼はしばらく唖然としたかのように黙っていたが、やがて耐えられないかのようにククッと笑い始めた。
「そうか、広瀬は俺達の事をそのように思っていたのか。ならば初対面の時の緊張に震えていた理由がわかるな」
「それでも冗談でそういう風に思っていたんですからね!?」
「もちろんそれはわかっているが…でも打ち明けた相手が弦一郎ではなかったことにとりあえずは感謝だな。あれでも結構傷つきやすい年頃だ」
「うーん…」
未だ厳しい表情を崩さないあの副部長が? 自分ごときの言葉に傷ついたりするのだろうか。想像すればするほど頭が混乱しそうになる。そうやって首を捻る様子も楽しいのか、目の前の達人はまた楽しそうに笑った。
 最初の心がけというか覚悟がよかったのか、運営委員の広瀬静という人間は男子テニス部のレギュラーに好意的に受け入れられる事になった。真面目な仕事ぶりが高評価だったのだろうし、あまりの天然さんぶりに彼らの毒気が抜けてしまったとの説もまた有力だ。しかし自分と同じように苦労をしょいしょいしてくれることをジャッカルは喜び、甘味どころ向けの美味しいお菓子を教えてくれたことでブン太は静の熱心な崇拝者となり(差し入れをたかる相手として認められたと同意)、古典と現国の宿題を写させてあげたことで切原赤也は頭が上がらなくなり…その頃には静も彼らに対する恐怖心を一掃させることが出来るようになった。
 そんな個性豊かなレギュラー陣の中でも静と一番親しく話をしているのは、部の中でも『達人』という特別な称号を得ているこの男だろう。あらゆるデータを駆使してチーム内の数字的な部分を支える三年の柳蓮二だ。静はなにか困ったことがあると彼に相談をし、蓮二も的確な処置の方法をいつでも提供してくれる。そんな関係が少しずつ二人の距離を縮めてくれ、静は他の部員たちとは違う感情を彼だけに向け始めているのだった。
「まあ単なる噂が元とはいえ、俺達の特徴をなかなか掴んでいたとは思うぞ。データ主義者としては及第点はあげられるだろう」
「…誉め言葉として受け取っておきますね」
 帰り際の会議室でこうして一緒に過ごすことも多くなってきた。現在の模擬店の状況と明日の予定確認を兼ねて打ち合わせをしているのだ。目の前のテーブルには進行を示す資料が散らばっている。二人はこんな世間話をしながら手早くそれらを片付け始めた。
「ところでもう一つの方はどうなっている?」
「もう一つ?」
「友人たちに俺達のうち誰か一人を持ち帰るよう言われているようだが…」
「きゃーっ、きゃーっ!!!」
蓮二の言葉を遮るように静は大声で叫んでいた。顔も面白いくらい真っ赤に染まっている。
「そんなの無理ですっ! 無理に決まっているじゃないですか。皆さん私のことなんて女の子だと意識していないと思いますよ」
「そうとも思えないが。でもそういう言葉が出てくるということは、広瀬自身も俺達のことを男性として意識していないのかもしれないがな」
「それは…」
 自分の胸の中にある気持ちをなんとか形にしたいとは思うが、この人を前にしてしまうとどうも上手くいかない。他のレギュラーに関してはお兄さんのように親しく思っていたり、手のかかる良き友人といった趣もある。でも柳蓮二という人に対する気持ちは…? なのにそれを簡単に出してしまうことはどうしても躊躇われてしまう。
「あまり得意な分野ではなさそうだな」
「…かもしれません。友達には難しく考えすぎだって言われますけれど。色々考えすぎて重要なタイミングを見逃してしまう面があるって」
「奇遇だな。俺も以前にそう言われたことがある」
「えっ?」
「相手のデータをいくら必死になって集めたとしても、それで相手の気持ちに近づいたことにはならない。反対に自分が知り得るほど相手が自分をわかってくれていないのでは…と不安が生じる可能性も高いだろう。しかしその数字にこだわるあまりに、かえって掴めるものも掴めずに終わってしまうような感じがするのだそうだ。難しい話だな」
目の前で彼がついた深いため息を静は呆然と見つめていた。なんでも出来る人からそんなセリフが聞けるとも思っていなかったからだ。
「先輩にもそう思う事があるんですね」
「幻滅したか?」
「その反対です。なんか親近感持ってしまいそう」
「…誉め言葉として受け取っておこう」
 壁の時計が突然鳴り始めたことで二人はハッと我に返る。針は一切の狂いもなく正確に午後五時を指していた。
「そろそろ玄関が閉まる時間だな。帰るか…駅まで送っていこう」
「え? 私ですか?」
「他に誰がいる」
確かに会議室に残っているのは自分たちしかいない。静のとぼけた返事を聞いた蓮二は呆れつつも軽い笑みを浮かべずにはいられなかった。でもその表情はとても優しくて…静の心臓が恥ずかしさとは違う切ない音をたてる。
「嫌か?」
「そんなことはないですっ。えっと…嬉しい…です」
ほんの少し緊張しながらも、そう言う静の微笑みは幸せそうに見えた。女の子が見せる自分への素直な反応に蓮二の心にもまた小さな灯りが灯ったように感じられる。
「では行くぞ」
「…はい、柳先輩」
 会議室を出て参加生徒の出入り口となっている玄関までの長い廊下を並んで歩く。広い会場に他に人間が見あたらない分、コツコツという足音にさえ体が震えるような気がした。
(心臓の音…先輩に聞こえてなきゃいいけれど)
顔を赤らめて少し俯きがちに歩く静に向かって、蓮二も「大丈夫か?」と声をかけたい気持ちはあった。しかし送ってゆくことを嬉しいと言ってくれたことがその表情の理由なのだと信じたくて、あえて無粋な言葉は口にしない。
 二人が外に出ると真っ赤な夕日が帰り道へと続く一本道を輝かせていた。
「まだ暑い日が続きそうだな」
「そうですね」
「とにかく体調には気をつけることだ。あと残り数日、よろしく頼むぞ」
「はい。こちらこそよろしくお願いします」
学園祭の本番までの残り数日…それは二人にとって一緒にいることを許された貴重な時間でもある。こうして共に行動できるのも本当に僅かになってしまった。その内容が充実したものであったからこそ、どうしても寂しさが尾を引いているような感じになる。でもその中にある本当の気持ちをお互いに口にすることは出来なかった。
(それでもせめて願うことだけでも許されるのなら)
二人は駅までの道のりを何気ない会話と共に歩きながら、時折心の中で同じ言葉を呟いていた。
 
 
 
 ーどうかこの人の運命の先に 自分の姿がありますようにー
 
 
 
 
END
 
 
 
 
ゲーム内での柳ルートがめちゃくちゃ大好きだったりします。あのいつも冷静な彼がだんだんと普通の恋する少年に変わっていくところとか、エンディングのものすごく優しい声での告白とか、ラストのバカップルぶりとか(笑)。
更新日時:
2006/06/18
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質問の提供は『広瀬静LOVE同盟』様でした。
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Last updated: 2010/5/12