学園祭の王子様

15      さくら   (真田弦一郎)
 
 
 
 
 
 いつもは綺麗に整頓されている男子テニス部の部室だったが、この日に限っては華やかな飾り付けが施されていて、いつも以上に賑やかな雰囲気を醸し出していた。
「こんな感じでどうですか、部長」
「いいんじゃね?」
自分たちの仕事を満足げに見渡していた後輩たちから声をかけられて、悪戯好きの新部長はニヤリと笑う。
「派手すぎるって先輩たちから駄目出しされなければいいけれどね…」
テーブルに食べ物や飲み物を並べる広瀬静は心配そうに言ったが、切原赤也はどうしてもこういった感じの事をやりたかったらしい。
「去年も色々雑用やらされたんだけど、これがまた制約も多かったからな。いいじゃん…見送る側に文句なんか言わせねーよ」
 そんな忙しない様子の部員たちを見守るかのように、窓からは柔らかな春の日射しが降り注ぎ、淡い桜色の花も優しい風に身を任せてフワフワと笑っているかのように見えた。3月の中旬にさしかかるこの時期、立海大附属中学も本年度の卒業式を迎えたのである。来賓を大勢招いた厳粛な式を終えた後、午後からの時間は大抵の部が卒業生を見送る為の会を催すことになっていた。もっとも卒業生のほとんどは立海大の付属高校か工業高校へと進むせいか『今更今生の別れでもあるまいし』ということであまりしんみりとした雰囲気にはならない。特に男子テニス部は中学と高校の交流試合の機会も多く、これからも月に一度は嫌でも顔を合わせる間柄なのだ。故にこのようなお別れ会は学校公認のバカ騒ぎの口実としての役割しか与えられない。
「テーブルの仕度も終わったよ」
「よっしゃ! なんとか形になったみてーだな。おい広瀬、悪いんだけれど三年の教室を回って先輩たちこっちに呼んできてくんね?」
「はいはい」
 なんとかして先輩たちのポーカーフェイスを崩したいのか、赤也は部屋にいる他の部員たちにクラッカーを配り始める。しかしそれにあのレギュラー陣が引っかかるとはとても思えず、静の口から自然と笑みが零れた。どうやら今日の会合も無事に終わりそうもない。
「それじゃ行って来まーす」
「マネージャー、行ってらっしゃーい」
仲間たちの声に見送られて静はゆっくりと部室の扉を閉めた。
 
 
 
 
 出てくるときはのんびりと話していたが、それでも尊敬する先輩たちを迎えにゆくのならば自然と足は早くなる。静は重い水分を含んだ芝生に被われた中庭を横切って三年生の校舎へと駆けだして行った。すると玄関先に見覚えのある男子生徒の集団を見つけた。
「…幸村先輩!」
「やあ、広瀬。もしかしたら迎えにきてくれたのか?」
「はい。仕度が出来たから教室を回ってきてくれって…切原部長が」
「部長ねえ…」
その場には他のレギュラーや三年生の部員たちもいたのだが、皆が耐えられないかのように一斉に笑い始める。赤也が幸村精市から男子テニス部部長の名を引き継いでから半年もの時間が過ぎていても、それ以前に部内で披露していたまるで悪ガキのような性質が忘れられないのだろう。静もそれにつられるように笑ってしまった。
「早めに出向いて手伝うつもりでしたが、その必要もなさそうですね」
「おう、じゃあ行くか」
「うおっしゃーっ、喰うぞーっ」
 静は三年生たちが行ってから集団の最後を歩くつもりでいたが、なにか足りないものがあることに気がついてとある人物に声をかける。
「柳先輩」
「どうした、広瀬」
「げん…じゃなくて、真田先輩は?」
そう言った時、背後から近づいた人間が静の頭を突然ぽんぽんと軽く叩いた。
「にっ、仁王先輩?」
「そんな泣きそうな顔をせんでもよか。あの男が呼ばれた席を断るなんてまず有り得ないじゃろ?」
「それはそうですけれど…」
実の兄妹のようなやりとりを見て柳蓮二はフッと笑みを浮かべた。
「ここしばらく弦一郎とまともに話も出来ていないのではないのか?」
「えっ…えーと…」
「無理もない。俺達も附属高校への進学が決定してからはそれらの準備やら予習やらで時間を取られているしな」
 文武両道をモットーとしている立海では入学の前からそれ相応の学力を求められる。春休みの時点から何度か試験も行われるという話だった。それにレギュラー陣は今のうちから高校のテニス部へと早々に出向いて先輩たちとの交流を謀るだろうとも思っていた。これからますます会える機会は少なくなってゆくだろう。静の方もまた男子テニス部のマネージャーとして、新入部員を受け入れる為の準備をしなくてはならない。
「送別会は俺らが仕切っておくけん、少し真田と話をしてきんしゃい」
「えっ?」
「校門のところにある桜並木のところに奴を呼び出しておいた。お前が行かなくては、あの男はいつまでも待ち続けるぞ」
 おそらくは先に出向いていった幸村や柳生、丸井にジャッカル…もしかしたら部室に残った切原たちにもすでに納得済みな話だったのだろう。彼らもまた静を実の妹のように大切にしている。中学生活の最後の思い出として、彼女に最高の贈り物を残してやりたいと考えていたのだ。
「ありがとうございます」
皆のまるで家族のような優しさと温もりに抱かれた少女の顔が今にも泣きそうな感じになる。それでもその優しさに応える為に涙は必死にこらえていた。
「礼にはおよばんよ。それよりも早くしたほうがよか」
「そうだな。あの男はお前がやってくる時間が数秒遅れた程度ですぐイライラするらしいから」
「はいっ」
静は二人に向かって手を振ると、そのまま制服のスカートを翻しながら駆け出して行く。残された側はその後ろ姿が見えなくなるまで微笑みながらその場に立ちつくしていた。
 
 
 
 
 校門から生徒玄関へと伸びる真っ直ぐな道…その両側に続く桜並木が幻想的なピンク色のアーチを作り上げている。静は先輩たちに言われたままその場に足を踏み入れた。すると一番手前の桜の幹に寄りかかりながら腕組みをしているあの人を見つける。
(弦一郎先輩…)
テニス部にいるときは周りの部員への手前もあって名字で呼びかけていたが、日頃二人きりでいる時は名前で呼びかけることを許されている。あの華やかな学園祭から恋人としての時間を重ねてきた静の大切な人だった。
(なんか、ものすごく綺麗…)
 その時の真田弦一郎の様子は、目を軽く伏せて何か深刻な考え事をしているようだったが、周りの和の風情とも相まって神秘的な印象を受けてしまう。その場に近寄っては申し訳ないような…静は少しだけ離れた位置に立ち止まって、まるで聖域を臨むかのようにじっと彼を見ていた。
「…静?」
「あっ」
どのくらいこういう時を過ごしてしまったのか。低い声で呼びかけられて初めて我に返る。
「ごめんなさい。ついぼーっとしてしまって」
「いや、別にかまわないが」
 弦一郎はゆっくりと腕を下に降ろし、静のいる方向へと体を向けた。静もそれに合わせるように彼のいる方へと近づいてゆく。互いに相手を見つめながら寄り添うことで、初めて一枚の絵画のような世界がそこに完成した。
「あの…柳先輩と仁王先輩がここにいることを教えて下さって…だから…」
「ああ、わかっている」
まだ二人に恋の自覚が芽生える以前から応援してくれていた良き友人たちだった。時々からかわれることはあるものの、どれだけの感謝を伝えても足りない恩人でもある。
「このごろは満足に会って話も出来ない状況だったからな。今回ばかりは甘えさせてもらうことにした」
「はい」
 そんな何気ない会話の間にも桜の花びらはヒラヒラと二人の元に舞い降りてくる。それに気がついた弦一郎の大きな手が静の制服の肩についた花びらをそっと払ってくれた。
「ありがとうございます」
「いや、かまわん」
それでもしばらく会えなかった為の緊張感が二人を取り巻いているのだろうか。その話し方もいつもよりぎこちなくなってしまっている。
「遅くなっちゃったけれど、卒業おめでとうございます」
「ああ…ありがとう」
 やがて二人の視線がそのまま立海大附属中学の校舎へと向けられる。彼が思春期の貴重な中学校生活の三年間を過ごした学舎がいつもより眩しく輝いているように見えた。
「まだ一年間を残しているお前に言うのもなんだが、あっと言う間の三年だった」
その言葉に静は遠慮がちに頷いてみせる。
「だがその内容はとても充実していたと思う。勉学も、知り合った友人たちも…もちろんテニスに関してもだ。自分が思った通りのことが出来たことについても立海には本当に感謝している」
そして静の方へと振り返ると、弦一郎は自身の右手を彼女の頭にそっと乗せた。
「もちろん、お前と出会えたこともだ」
「先輩…」
「初めは跡部も随分と馬鹿げたことを考えたものだと呆れたものだがな。ただそれが思わぬ縁を運んでくれるのだから、あの賑やかだった学園祭を思い出すたびに運命の不可思議さを痛感してしまう」
 静ももちろん運命的なこの結びつきに感嘆を覚えずにいられない側だ。半年前までテニスのことを何も知らなかった自分が、今ではその魅力に完全に取り憑かれてしまっている。初めは臨時で引き受けた筈のマネージャーも最早辞める気持ちにさえならないほどだったし、テニス部自体も彼女のいなかった頃を思い出せない雰囲気になっている。
「でもいくら同じ大学の附属校に通うとはいえ、一年間寂しい思いをさせてしまうな。すまないと思っている」
「そんな…」
「無論テニスの交流試合で会うことも出来るだろう。しかし俺は不器用な男だから、一つのことに集中してしまえば他が見えなくなることも多々ある。同じ中学にいたときほどお前をかまってやることは出来ないかもしれない」
 ほんの僅かに表情を曇らせた弦一郎に対して、静は慌てたように首を横に振る。
「先輩が卒業してしまうことは寂しいです。先輩の姿を校舎でも部室でも見られなくなることで感じる寂しさは今ではまだ想像することさえ出来ないんです。でも…でも先輩も私と同じ事を考えてくれているのでしょう?」
「静…」
「私と離れてしまうことを少しでも寂しいと思って下さっているって信じてもいいですよね。そうでなれば『すまない』なんて言いませんよね?」
寂しいと口にしつつも、それでも彼女は笑顔を向ける。それが自分に出来る唯一の事であるとでも言いたげに。
「先輩も同じ気持ちでいてくれるのならば頑張れます。それでも一年間をただ待っているだけじゃないです。私は立海が好き…そして王者と呼ばれたテニス部を誇りに思っています。部の一員としてまた全国の頂上に立てるようお手伝いをしながら、また側にいられる日を待っています」
 たとえ一年とはいえ年が離れているのならばこういう日が訪れることはわかっていた。もしかしたら自分の責任で恋人を泣かせてしまうかもしれない…そのことが弦一郎にとって辛くはあったが、それでも静の力強い言葉が嬉しく、そしてなんとも言えぬ愛しさが心に染み渡ってゆく。気がついた時、弦一郎は静を自分の方へと引き寄せて強く胸に抱き締めていた。
「せんぱ…」
「テニス部の事を頼むぞ」
自分の頭上から低くて優しい声が聞こえてきた。
「はい」
「部長という名を引き継いでも、赤也にもまだ不安要素は沢山あるだろう。どうか支えてやって欲しい…もちろん他の部員に関しても同様だ」
「はい」
 そして次に出た言葉は男子テニス部を支えてきた前副部長としてではなく、一人の男性から愛しい人へと向けられたものだった。まるでそれ以外の言葉を見つけることが出来ないかのような真っ直ぐな想いがそこにはあった。
「…愛している」
抱き締める腕の力はこれまでにないほど強く、静は全身で彼の想いを受け止め、そのまま目を閉じた。そこから溢れる喜びの涙が弦一郎の制服の上着に染み込んでゆく。
「私も…私もです。弦一郎先輩」
「たとえ離れていても俺の心は常にお前と共にある。それを信じて待っていて欲しい。一年後のこの日は俺が必ずお前を迎えにこよう」
「…はい」
固く抱き締め会う二人を隠すかのように春の風が強い力で吹き抜け、それによって散った桜の花びらがまるでヴェールのようにあたりを覆い尽くしてしまった。
 
 
 
 
END
 
 
 
 
神奈川県の桜の時期っていつ頃なんでしょう(笑)。北海道は5月の中旬が見頃なので、時期は外しましたがこんな話を書いてみました。
タイトルと同名の曲は沢山ありますが、今回のお話のイメージはケツメイシのヒットナンバーから。あの歌詞は別れのものですけどね。でもあえて曲の優しく淡々とした雰囲気を重要視して選んだものです。
更新日時:
2006/05/27
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質問の提供は『広瀬静LOVE同盟』様でした。
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Last updated: 2010/5/12