学園祭の王子様

14      NECESSARY   (大石秀一郎)
 
 
 
 
 
 カチカチカチ…会議室の中に備え付けてある時計の針の音が、いつもより大きく聞こえてくる気がする。広瀬静はフーッと大きなため息をつきながら、顔を机の上に伏せてしまった。しかしここにはそんなお行儀を咎める存在が一人もいない。
「遅いなあ…まだかな」
もうじきここを訪れる人間たちの事を彼女はたった一人で待っているのだ。別に急ぎの仕事を残してきたわけでもないし、時間に余裕が無いわけでもない。ただ独りぼっちで過ごすにはここは静かすぎたのだろう…意味なく不安が胸に広がるのも無理はなかった。
「話し合いが上手くいっていないのかな。あれだけの個性の固まりが集まってしまえば…」
 静は出入り口の扉へ視線を移しながらまた重い息を吐いた。もちろんそれは自分自身の勝手な思いこみに過ぎないこともわかっているが、意見の衝突が容易に想像できる面子であるが故にその光景までもが脳裏に簡単に描けてしまうのだ。彼女が受けねばならないとばっちりは想像するだけで恐ろしい。ここに入ってから数回目のため息をつこうとしたその時、扉の向こうからコンコンと叩く音が聞こえてきた。
「はっ、はいっ」
「失礼しま…す」
 遠慮がちにそう言いながら頭を覗かせたのは、『男子テニス部の母』と称されることもある温和な性格の副部長だった。テニスのことを何も知らないまま運営委員を引き受けねばならなかった静に対しても親切に接してくれ、その態度は実のお兄さん以上に優しかった。
「大石先輩!」
「ごめんね、話し合いが結構長引いてしまって…随分と待ったろう?」
「待つのは平気でしたけれど、でも何かあったんじゃないかって心配して…その…大石先輩は優しい人だから」
後半はなんとなく言葉を濁してしまったが、彼はその優しさ故時に自分の気持ちを押し殺してしまう面がある。周りから強引に嫌な役割を押しつけられていなければ良いのだけれど…そういうことを真っ先に考えてしまう静自身彼とはどこか性格が似ている感じがした。
「そのことを心配していたのかい? 大丈夫だよ」
静の頭を大きな手で軽くポンポンと叩いてくれる。
「一緒に手塚や乾もいたし、不二の弟であるルドルフの裕太くんとは以前からの顔見知りだ。立海の柳生も態度は常に紳士的だしね。跡部は確かにあらゆる面で妥協を許さないタイプだけれど、それはそれで尊敬できる部分があるからいいんだ」
 秀一郎は頭の上の手をそのまま自分の脇へと移動させ、そこに挟んでいた一冊の小冊子を静に手渡した。
「これがハムレットの台本だよ」
「わぁー、ありがとうございます」
静がここで彼らを待っていた理由がそれだったのだ。2週間という短い準備期間はまさしく猫の手も借りたい状況になる。アトラクションの衣装に関してもそれは同様で…私服をアレンジするバンドやお揃いのボーカルユニット、または鎧一式のレンタルが可能な時代劇はまだましな方だったが、シェイクスピア原作のハムレットならばそうもいかない。きらびやかな衣装を用意するのは当たり前だろうし、運営委員長の跡部景吾がより本格的なものを望むのは想像できた。短期間でそれを作成するために各校の手芸部が総動員された上に、静も手先の器用さを見込まれて助っ人として参加する事になったのだ。
「すみません、真っ先に配役や台本を教えて欲しいなんてお願いして」
「それは全然かまわないよ。でもキミも色々大変だよね。無理しちゃいけないよ?」
「ふふっ、大丈夫ですよ。これは好きなことでもありますし」
 おそらく提案者である跡部は一番最初に台本を作らせていたのだろう。その上で希望者を募り、その中からより相応しい配役を決定したに違いない。多少強引であるものの、相変わらずのスピーディーな仕事ぶりだ。
「でも私ハムレットってよく知らないんです。シェイクスピアなら『真夏の夜の夢』とか『ロミオとジュリエット』くらいしか読んだことなくて…悲劇なんですよね」
「そうだね。まあロミオとジュリエットも悲劇ではあるけれど、こっちは美しいラブストーリーとして広まっているからね」
「大石先輩は何の役をするんですか?」
「俺はね…ええと…ああ、これだ。ガートルート役だね」
 その名前を何度も口にしながら、静は台本をペラペラとめくり始めた。しかししばらくして彼女は理解に程遠い強烈な違和感を胸に抱き始める。
「大石先輩…」
「なに?」
「もしかして…女性の役…ですか?」
静の声がどこか遠慮がちなのに対して、秀一郎の声はとことん明るい。
「そうだよ。ハムレットを生んだお母さんの役だね」
「ええっ!?」
 静は呆然とした顔で台本と秀一郎を何度も見比べている。確かに穏やかな彼の性格は女性役に向いているかもしれないけれど…どうやら彼女は頭の中で女性の配役があることを思いっきり無視していたらしい。実際そのような形で劇を見せるのは可能な筈だから。
「本当に女の人の役を…?」
「まあ結構跡部にも見込まれてしまったみたいだしね。確かに俺が女装するのは笑っちゃうくらい可笑しな話ではあるんだけれど」
そこからは悲痛な様子は少しも感じられない。ある意味開き直っているのか…しかし静にはそのことが少しだけ辛かった。この優しい性格の先輩が劇で笑われてしまうのは悲しいことだと思ったから。
「でも大石先輩…」
「どうした?」
「本当に大丈夫なんですか?」
 恥ずかしそうに、かつとても申し訳なさそうにしている後輩を秀一郎はじっと見ていた。そのうちにこの子が一体何を言いたいのかが見えてくる。
「俺のこと心配してくれているんだね」
「先輩はとても優しい人だから、もしかしたら嫌だって言えないんじゃないのかなって…」
すると彼はまた静の頭をポンポンと軽く叩いてくれた。悲しそうな顔を慰めるかのように。
「そんなに心配する必要はないんだよ。俺だって結構楽しんでいるつもりなんだからさ」
「えっ?」
「だってこの俺がだよ、女装してステージに立つなんてこと一生のうちの最初で最後だとは思わないかい? だったら演じるこっちも面白がった方が客席にも伝わると思うんだよ。それに演じることの大変さはどんな役だって同じだと思う。たとえハムレットを演じることになったとしても俺の気持ちは変わらないよ」
俯いてしまった顔を覗き込みながら、まるで励ますかのように笑って見せる。するとつられるようにして静にも笑みが戻ってきた。
「あのっ、だったら私先輩の衣装を考えて一生懸命作らせてもらいますね」
「そうしてくれるかい? 嬉しいなあ」
 静は手元にあったスケッチブックの一枚目を開くと、秀一郎の方に差し出して見せた。
「よかったらどんなドレスがいいか聞かせてもらえませんか。デザインの参考にしたいので」
「そうだなあ…いっそのこと徹底的に女性らしい姿なんてどうかな。ほらお嫁さんが着るようなロングドレスみたいなの。一応王妃の役だからさ」
「ロングドレスですか」
静は手に鉛筆を握りしめてサラサラとスケッチブックにそれを走らせる。
「ウェディングドレスみたいなふんわりした形だとスカートの部分にワイヤーを入れるんです。でもそれだと舞台の上では動きにくいと思うので、体の形に合わせた自然な形のものでどうでしょう」
「へぇ、なかなか上手だね。スカート自体に慣れていないから、やはり動き易さに重点を置いた方がいいか。あとはどうしても男の肉体が出てしまうから、それをなんとか隠して欲しいんだけれど」
「それなら袖を大きく膨らませたような丸い形にしてみます。それなら女性らしいデザインになるでしょう…こんな感じで」
ドレスの色に関しては少し濃いめのピンク色を勧める。
「ライトの加減で青や紫色に見えるんですよ。大人の女性に相応しいと思います」
「そうだね」
 お互いに笑い合いながらの打ち合わせは本当に楽しそうだ。それに集中するあまり背後が疎かになっていることに気がついていない。
「随分と盛り上がっているようだが」
「きゃっ!?」
「なっ、なんだ?」
二人が座っていた席から飛び上がりつつ慌てて振り返ると、そこには苦み潰したような表情の青学男子テニス部部長が立っていた。手塚国光もまたハムレットの参加者の一人であり、様子を見にここに立ち寄ったのだ。
「手塚じゃないか。あまり驚かさないでくれよ」
「余裕があるようなのはいいが…大石、菊丸が必死の形相でお前を探していたぞ」
「英二が? どうして…」
そのぼんやりとした口調を耳にしながら手塚は呆れたようにため息をついた。
「練習の約束をしていたと言っていたが」
「あっ、あああーーっ!!!」
 静との対話は楽しい上に衣装に関して思いがけず盛り上がってしまったから、自分が時間に追われていたことをすっかり忘れていたらしい。待たされてブーッと頬を膨らませるあの『猫』の姿が見えるようだ。
「広瀬さんゴメンッ、衣装に関してはこれでいいよ。そのまま進めてくれてかまわないからー」
「先輩、後で衣装の為の寸法を計りに伺いますから。よろしくお願いしますねーッ」
「うん。その時は声をかけてくれよ」
 慌てて走り去ってゆく秀一郎を見送った後、手塚は手元に置きっぱなしになっていたスケッチブックへと視線を移し、そのままそれを手に取った。
「これは…」
「ハムレットの衣装デザインをするつもりで用意したんです。出来れば出演者みなさんの希望通りにしたいと思いまして」
「ほう…それはありがたいな。俺は跡部とは違ってあまり華美な衣装は好まないし、性にも合わない」
「あっ、それはなんとなくわかります」
 ニコニコと笑っている後輩の許可を得て、手塚はスケッチブックのページを開く。すると真っ先に目に飛び込んできたのは…。
「…広瀬」
「はい?」
「俺はあまり華美な姿は好きではない」
「そう…でしたね」
たった今同じ話を本人から聞いたばかりだ。
「そのことを念頭に置いた上で…よろしく頼む」
「はあ…」
しかしスケッチブックを彼女の元に返した彼の肩がなんとなく下に下がっていた理由を静が知ることは…これからもなかった。
 
 
 
 
END
 
 
 
 
実際ゲームの中ではこういったイベントはないんですけれどね。実は発売の前にこういった感じの話を妄想していたのでした。ちなみに似たようなネタで実は『越前編』もあるのですが、これはまた次の機会と言うことで。
更新日時:
2006/05/03
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質問の提供は『広瀬静LOVE同盟』様でした。
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Last updated: 2010/5/12