学園祭の王子様

11      Two As One   (鳳長太郎)
 
 
 
 
 
 学園祭の準備も後半戦にさしかかったとある日、少し早めの昼食を前にした鳳長太郎は正面にいる先輩にこう声をかけた。
「宍戸さん…今、好きな人はいますか?」
「いねェな」
彼の問いかけは僅か三秒で却下されてしまった。
「それじゃ、恋をしたことってあります?」
「ねェよ」
チーズサンドを片手に、今度は二秒で却下されてしまう。
「そうですか…」
 銀色の髪がガックリと項垂れてしまうのは見方によっては大型犬のようで可愛いかもしれない。しかし宍戸の目には『そうですよね…宍戸さんにはわからないですよね』と言われたように感じられて気分が悪くなる。
「おい、長太郎…この俺がなぁぁぁーーーんにも知らないと思うなよ?」
「はっ、はいっ?」
「お前が言っているのは運営委員の広瀬のことなんだろうが」
一瞬の空白…しかしそれからすぐに長太郎の顔は面白いくらい真っ赤に染まる。
「おっ俺っ、そんなこと言いましたっけ?」
「バーカ、誰にも知られていないって思ってんのお前だけだってーの。全身で好き好きオーラ出しまくっているくせによっ」
「うわああーーーっっっ」
 氷帝学園から学園祭の運営委員に任命されたのは、とても控えめで真面目な性格の女の子だった。しかし時にはあの跡部に対してもきちんと自分の意見を言えるあたりはなかなかの大物であるらしい。そのあたりは比較的真っ直ぐな気質の部員たちとは気が合うらしく、今では皆が妹のように可愛がっている。宍戸も喫茶店の内装を指すらしい『古典様式』だの『アールヌーヴォー』だのといった専門用語のことを、素直にわからないと言った彼女に対して特別な親近感を覚えていた。
(まあ長太郎が惚れるのも無理はないか…なんせこいつが落ち込んでいるのを一瞬で見抜いた上で手を差し伸べたりしてんだからな)
それでも元々が似たような性格をしている二人だから、恋をするのは何の不思議もない…というのは部長である跡部景吾のお墨付きでもある。
「まあいいんじゃねーの? お前ら俺が口出ししなくても仲良いだろ」
「それがなかなか上手くいかなくて」
 二人の会話は自然と『悩み相談室』の形になり、宍戸も思わず真剣に向かい合ってしまう。
「…何かあったのか」
「俺もこのままじゃいけないと思っていて。学園祭が終わってしまえば広瀬さんとの接点もなくなってしまうわけじゃないですか。それが嫌で…この前思い切って言ってみたんです」
「なんて?」
「これからもこうして話をしてもいいか…って」
『好きだー』だの『愛しているー』だの直接的な表現をしないあたりは、若干イライラするものの育ちのよい長太郎らしいとは言える。
「それでどうなった?」
「嬉しそうに『これからも友達でいてくれるのね』って…」
「まあ、そんなもんだろうな」
 それが静のもう一つの特徴だった。周りの人間への気配りは出来ても、自分に寄せられている好意についてはまるっきり鈍感なのである。まあ人の心を伺いまくりというのも、それはそれで問題なのだが。
「これってやっぱり失恋したことになるんでしょうか」
「おいおい…」
「だってはっきり『友達』って言われたんです」
「バカかよ! 世の中なんでも白と黒で収まっているわけでもねーだろ」
 恋愛に興味がないときっぱり言い切ったわりにはきちんと後輩の背を正してやっているのが宍戸亮という男の真骨頂である。しかし直面している現実は長太郎をなかなか浮上させてくれない。
「ところでお前ら知り合って長いのか?」
「いや、名前くらいなら以前から知っていましたけれど。実際に話をしたのは今回からで…」
「だったら本格的に知り合ったのはここ一週間とちょっとくらいじゃねーかよ!!」
「すっ、すみませんっ」
 それじゃあまりにも急ぎすぎだろう…真面目で努力家の宍戸はその焦り具合に絶句してしまう。『今しかないんだ…』その気持ちが余計にスピードを上げているのだろうか。
「…気持ちがわからんでもねぇ」
「はい」
「ただ恋愛は一人じゃ出来ねえ。お前が両想いになりたいのなら、そのあたり広瀬に合わせてやるのも必要なんじゃないのか」
宍戸は言いたいことだけを言って、手元のアイスコーヒーを一気に飲み干す。本人が集中しているグラス越しに、後輩がこれまでと違った尊敬の眼差しを向けていることには気が付いていない。
「まあ、頑張れ」
「はい…」
 
 
 
 
 
 昼食後に行われたボーカルグループの練習が終わる頃には、宍戸の頭の中からは先程の話の内容などきれいさっぱりと消え失せていた。食堂の中にあるコンビニで新作のミントガムを買ってからテニスコートへ行こうと思い、そちらへと足を急がせる。
「…ん?」
買ったガムとお釣りを乱暴にポケットに押し込みながら店を出ると、食堂の隅で遅めの昼食を取っている少女たちの集団が目に入った。その中にはあの広瀬静がいたから、おそらくは運営委員を通じて知り合った者たちなのだろうと思う。時折きゃっきゃっという笑い声も混じって実に楽しそうだ。別に気に止める必要もあるまい…とその場を立ち去ろうとした時、明るく弾んだような静の声が聞こえてくる。
「それで長太郎くんがね…」
 ドキッ! まるで自分自身の名を呼ばれたかのように胸が高鳴ってしまう。宍戸はすぐ近くにあった太い柱の影にサッと身を隠し、そのまま彼女等の会話に耳を傾けた。他人に悟られないよう愛用の帽子を自分の顔に被せながら。
(な、何やってんだ俺はっ)
しかし同時に長太郎の悩んでいる姿もありありと浮かんでくる。もし自分が力になれることがあるのなら…そう思いながら、こうして探偵もどきな真似までしてしまう優しい先輩であった。
「この前…これからも話していいかって言ってくれたの!」
「すごいじゃん、静っ」
ズコッ…宍戸はその場を古典的な感じでずっこけてしまいたかった。長太郎の深刻な顔を思い出すと、その脳天気な受け止められ方がどうも切なく思えてしまう。
「学園祭が終わっても、朝におはようって言うくらいなら不自然じゃないよね」
「そりゃそうよ」
「全国大会の応援はどうかな…いきなり見に行ったら迷惑になると思う?」
「行っちゃえ、行っちゃえー」
 宍戸は柱の影からそっと顔を出し、女子生徒たちの様子を伺った。静は恥ずかしそうに頬を薔薇色に染め、まるでそこの熱さを確かめるように両手で包み込んでいる。どうやらそれまでの言葉は全て彼女の本音であるようだ。この場に長太郎がいたならどれだけ喜んだことだろう。
「でも私たちには友達だって言いながら、実はがっちり鳳くんと付き合っていたりして…」
仲間の誰かが意味深なセリフを吐いたことで、その場はがぜんと盛り上がって行く。
「それはない! 絶対にありえないもんっ」
「そうかなぁ。二人でいるときはめちゃくちゃ雰囲気いいけれどね。静は名前で呼んじゃったりしてさー」
 みんなに冷やかされた静は、顔を真っ赤に染めて両手を前に突き出してそれこそ必死といった形相で首を横に降り始める。
「誤解だって。長太郎くんはどんな人にも気配りの出来る優しい人だから…私が運営委員として頑張れるように励ましてくれているだけなの」
「そう?」
「そうだよ。友達なんだもの…それだけだもん」
その場にいた少女たちは顔を見合わせて苦笑する。
「まあ、静がそれでいいのなら仕方ないけれどね…」
「でも折角の学園祭なんだからさ。もしチャンスがあったら告白してみたら? それでなくてもテニス部全国を控えているわけだし、もしかしたら鳳くんとあまり会えなくなるんじゃない?」
「うん…」
そう言ったものの、静はその場で恥ずかしそうに俯いてしまう。実際はなかなか勇気を出せないようだ。でもそんな様子も仲間には微笑ましく見えたのだろう。クスクス…という女の子特有の笑い声と一緒に話題は次へと移っていった。
 一体今の話はなんだったのだろうか…少女たちの話題は変わったはずなのに、宍戸の背中は壁にぴったりとくっついたまま離れてはくれなかった。あのはしゃぎようを見ていると、どうやら静は長太郎に片想いをしていると思って間違いはなさそうだ。しかし互いの『片想い』のニュアンスがあまりにも違いすぎて笑うことも出来ない。長太郎はなかなか伝わらない気持ちに戸惑っているが、静の方はこれからも話したいと言われて本当に嬉しかったのだろう。静は彼の優しさが全ての人間に与えられているのだと必死に思いこんでいるが、そのせいで長太郎が捧げる特別な優しさに気がつけずにいる。双方からほんの少し手を伸ばせば大切な何かが手にはいるのかもしれないのに。
(ったく、バカみてぇ)
 それにしてもとんでもない場所に居合わせたものだ…宍戸は改めて深くため息をついた。でもこれもまた一つの縁という奴なのだろう。もしありのままのことを長太郎に伝えたなら本気で喜ぶに違いないし、静へ長太郎の本音を伝えたのなら二人の関係もそれなりに動き始めるだろう。しかし…。
(…やめた)
宍戸と長太郎の関係はとても一言で語れるものではない。テニスという一つの競技の中で積み重ねてきた絆は強固なものであるし、彼は相手の人間性さえも手に取るようにわかっていた。あの男がこのまま今の気持ちを封じたままでいるつもりはないことも、自分が余計なお節介をしなくとも告白出来る時期を冷静に見定めることが出来るであろうことも。宍戸は買ったばかりのガムの包みを剥きながら一人楽しそうに笑みを浮かべていた。そしてようやく壁から離れてくれた体を翻して、そのままテニスコートへと歩みを進めて行く。それはのちに氷帝男子テニス部に所属する二百人を引っ張ってゆく優秀な女子マネージャーが誕生する数日前の出来事…。
 
 
 
 
END
 
 
 
 
気がついた時には宍戸さんが主人公になっていました…
更新日時:
2006/03/15
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質問の提供は『広瀬静LOVE同盟』様でした。
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Last updated: 2010/5/12