REBORN!

17      いつか行ってみたい場所   (獄寺隼人×凪)
 
 
 
 
 初代ボンゴレの直系の子孫であり、その圧倒的な実力だけでなく美しい容姿さえも受け継いだというボンゴレ十代目は、そういった世間の評判に反して実際はとても温厚で心の優しい人物なのだという。歴代のボスのように武闘派・穏健派のいずれかに例えるとしたら確実に後者に属するタイプなのだろう。もちろん彼の魅力はそれだけに留まらないのだが、それでも自分の直属の部下に対しても決して声を荒くすることはなかった…筈だった。
「いい加減にしろって言っているんだーーーーッッッ!!」
 強く握られた拳が勢い良く年代物の机の上に叩きつけられる。当然その場にいた全員が凍り付いたかのように固まってしまった。しかしボスのツンドラ気候並の眼差しはたった一人の人物にのみ注がれている。顔面蒼白気味の嵐の守護者・獄寺隼人であった。
「でっ、でも十代目…」
「ほう? まだ言い訳が出来るんだ。でもその格好で説得力があると思ってる?」
そう言われ、慌てて自分の服装を確認する。しわだらけのスーツによれよれのネクタイ…鏡を見ればおそらく目元にガッチリと隈が刻まれている事だろう。ここ数日まったく眠っていないと言っているようなものだ。ボスの前に立つような姿でないことに気がついて思わず絶句してしまう。
「まあ格好については別にいいんだよ。今はそのことを話したいわけじゃないしね」
 そのボスが話したい事とは難しい仕事でも特別な任務ではなく、ごくごく簡単な命令に過ぎなかった。『一ヶ月ほどオフをやるから、じっくり休んで体を回復させてほしい』…たったこれだけなのである。もし言われた相手が笹川了平や山本武だったなら、日本の実家に帰るべく荷造りを始めただろうし、ランボならば喜んでボヴィーノファミリーに帰還しただろう。雲雀や骸ならそのような命令を聞く耳さえ持たないだろうが。しかし目の前にいるこの男は折角の申し出を断り、自分は右腕として常にボスの側で仕事をしていたいのだと駄々をこねた挙げ句、こうして敬愛するボンゴレ十代目を怒らせてしまったのだ。
「でもこのまま仕事を中途半端に残していくのは…」
「その姿で中途半端じゃない仕事が出来るとは思えないけれどね。とにかく今の君に必要なのは休息だ。気分転換に旅行に行くのもいいだろうし、たまにはビアンキやシャマルのところに顔を出してみたらいいじゃないか」
「…それだけは勘弁して下さい」
 互いの雰囲気はまるで厳格な教師と落ちこぼれ生徒のやりとりを聞いているような感じだ。二人のすぐそばで十代目の秘書見習いをしている中国人の女性がクスリと笑う。
「それにもし十代目の元に万が一の事があったときに動けるようにしていなくては守護者としての名折れ…」
「問答無用!! 並盛時代にトップをとっていた君ならこの意味わかるだろ。ここから出ていくほどの体力もないというのなら、彼らに手伝ってもらうことも出来るけど?」
 ボスがパチンと指を鳴らした先にいたのは、執務室にて自分のボディガードを務めてくれるマッチョなお兄さんたちだった。彼らの指がボキボキと鳴るたびに隼人の背に冷たい汗が伝う。本調子の自分ならばこの程度の連中など敵の内にも入らない。でもまさかボスの目の前で大立ち回りを演じるわけにもいかず…いや、ボス自身そのことを見抜いた上で言っているのだろうが…しかしそれ以上に今の自分ではこいつらにさえ勝てる自信がなかった。
「ぎゃああーーーっっ、離せえええーーーっっ!!」
断末魔の叫びと共に獄寺隼人の姿はこの場から消えた。
 ようやく一仕事終えたかのように、ボンゴレ十代目はフーッと息をついて椅子に深く身を沈めた。そんな彼を労る為に飲み物を用意しつつ、彼女はこう口を挟まずにはいられなかった。
「よかったんですか? これで」
「仕方ないよ」
いれたてのコーヒーの香りを吸い込みながら、もう一度フーッと溜息をついた。
「俺の右腕を名乗るのなら常に本調子でいてもらわなくちゃならないし、本人が言っているようにいざという時に動けないんじゃ守護者の意味がないだろう?」
そのボソボソとした小さな声がどこか言い訳じみて聞こえる。ああいった形でしか友人を労れない自分の不器用さを恥じているのだろうか。
「彼には申し訳ないことをしたと思っているよ。でも手遅れにならないうちにこうしておいた方がいいんだ。しばらくはこちらも大変だろうけれど、本人が元気で戻ってきてくれたらそれでいいさ。イーピンにも手伝ってもらうよ」
「はい、ボス」
 
 
 
 
 
 その後十代目の執務室から(強制的に)出された隼人の様子は、もう悲惨の一言だった。フラフラとした足取りは酔っぱらい以上に頼りなく、ボーッとした表情はまるで世捨て人のようにも見える。ぐでんぐでんに疲れている上に、敬愛するボスから言われたことがよっぽど堪えたのだろう。廊下の右側を歩いていると思いきや、気がつけば左側の壁に体当たりしそうになっている。
(情けねぇ…)
隼人とてボスの気持ちがわかっていないわけではなかった。それどころか自分のような者にまで心を砕いてくれるボスには感謝の一言しか出てこない。しかし自他共に認める右腕ならばボスとファミリーの周囲の全ては知っておくべきだと思うし、仕事も出来るだけ自分を通して行うようにと指示をしてしまうのだ。
 それにしてもこの一ヶ月をどのように過ごせばいいのだろう。仕事の数年は光速のように思えるのに、目的のない一月はどうしてここまで長く感じられるのか。でもビアンキやシャマルに顔を見せるのは正直ごめん被りたいところだ。
「…隼人?」
不安げな女性の声が自分の名を呼んでいる。慌てて振り返ると、そこにスーツ姿の長い髪の女性が立っていた。
「なっ!? 凪っっっ??」
ほんの少し首を傾げて彼を見つめているのは、紅一点でもある霧の守護者だった。ついこの前までは何を考えているのかわからないような性質の少女だったが、今ではそれなりにボンゴレにも馴染んだのだろう…他のファミリーにも美しい守護者の噂は飛び火し、結構な人気者になっているようだ。もちろん日々彼女宛に届く大量のラブレターをシュレッダーにかけるのも隼人の仕事の一つである。
「何か…あったの?」
「ああ!?」
いくら凄んだとしても相手に通用しないことはわかっていた。それでも止められないのは、目の前にいる彼女にだけは弱みを見せたくなかったからかもしれない。
「なんかすごく疲れているような顔してる」
「チッ…」
 乱暴に舌打ちをした上に、思わず顔も背けてしまう。しかしそれは彼女に対する不快感ではなく、こんな自分を見せてしまった恥ずかしさが先立ったせいだろう。心配されているのをわかっていながら素っ気なくするなんて、まるで小学生のようではないか。完全な八つ当たりだ…別に嫌なことをされたわけでもないのに。
「ボスに叱られたのでしょ?」
「てめっ、勝手に人の心読んでんじゃね…え!?」
大声でまくし立てた直後に慌てて口を塞ぐ。その反応を見て凪は楽しそうにクスクスと笑った。
「術士でも流石に人の心までは読めないわ。でも隼人をここまで落ち込ませることが出来るのなんてボスしかいないと思ったの」
 下手にこのまま会話を続ければどんなボロが出るのかわかったものではない。あーハイハイと適当にあしらいながら、彼女の顔面に手のひらをかざしてシッシッと追い払うような仕草をして見せた。しかし本人は今の自分を取り繕うのに必死で、凪の眼差しがボンゴレ十代目と同じように心配そうに揺れていることに気がつかない。
「…手を貸して」
「はあ?」
あまりの突然の言葉に思わず素っ頓狂な声が出てしまった。しかし目の前の彼女はその白くて小さな手を自分の方へと差し出している。
「いいから! 私の手を握ってみて」
「お前、一体何を言っているんだ?」
「要するに、体はフラフラでも頭の中は仕事が気になって冴えまくっているのでしょ? このままじゃボスの命令通りに休息も取れない…だったらそれを分けてしまえばいいと思うの」
 この女は自分に何をさせたいというのだろう。こんなところで手を握りあうなんて、幼稚園児でもあるまいし…しかし一度口にしたことは意地でも引っ込めたりしない彼女の頑固な部分も自分はよく知っていた。
「ったく、面倒くせーなッ」
手を握るのは無理だったが、その代わりに運動部のハイタッチのつもりで凪の手のひらをパチンと叩いた。女に対して少し力を入れすぎたか…と反省しかけた時に突然藍色の霧があたりを漂いはじめ、僅かな時間で隼人の肉体を全て包み込んでしまう。『なにがどうした』と考えることも出来ぬまま目を固く閉じると、自分の体がフワリと浮かび上がったような錯覚を覚える。
「ぎっ…ぎゃあああーーーーッッッ!???」
そんな断末魔の叫びもはたして本当に自分のものだったのだろうか。藍色の深い闇に抱かれ、獄寺隼人の意識は現実から完全に引き離されてしまった。
 
 
 
 
 
 遙か上空よりどこかへ落ちてきたような感覚だった。しかし横になった状態で置かれた場所は酷く不安定で、体がうねうねと波打っているような感じがする。強い日差しが瞼の奥にまで突き刺さり、なかなかそれを開く事が出来ない。暖かくもどこか爽やかな風と静かな水音が心地よいあたりに若干救われてはいるが…ある程度冷静になれる間を置いたのち、彼は勇気を出してそっと目を開いてみた。
「なん…だあ? 一体どこなんだ、ここはーーーッッッ!!」
遙か彼方永遠に続くように見える水平線、空の色がそのまま溶け込んだかのような蒼い海、そしてぽっかりと浮かぶ白い雲…あたりには何本もの椰子の木が並び、砂浜もまるであつらえたかのように真っ白だ。ありがちな南国の風景だとは思うが、隼人自身は一度も行ったことのない場所だった。
 再び断末魔の叫びがあたりに響いたが、ここにはそれに反応してくれそうな存在がどこにもいない。海の中に魚らしき影と、砂浜に小さな蟹が歩いているのが見える程度だ。そこにポツンと置かれているデッキチェアーと日差しを防ぐための大きなパラソル…どうやら自分はそこに横になっているらしい。まるで絵に描いたかのような楽園の姿に一瞬我を忘れそうになる。そんな時凪の声が脳裏にぼんやりと響いてきた。
「大丈夫? 隼人」
「なっ、凪? お前一体何やったッ」
「うん…」
凪はじっくりと考えながら、なるべく分かり易い言葉を選んで語り始めた。
「幻術で癒せるような世界を作って、その中に隼人の精神のみを送り込んでみたの」
「はあ!?」
「だから…私自身が器になって幻の南の島を出現させて、手を握ったと同時に隼人の精神のみを転送させたの」
 彼女が事実のみを淡々と語っているのは術士としての自信があるからなのだろうか。いや、実際『今の彼女』はマフィア界でもトップクラスに位置する術士だろう。あの六道骸ほど無謀なことは決してしないと信じてはいるが…しかしこういった状況をなんの躊躇いもなく行えてしまうところには未だ慣れることが出来ない。
「で? 今俺の体はどうなってる!?」
「イライラする根本がなくなったから、安心してグッスリ眠っているわ。今は嵐の守護者の執務室にいる…ボスのボディガードさんたちが運ぶの手伝ってくれたから大丈夫」
先程自分をボスの元からつまみ出した連中に違いない。あまりの情けなさにいよいよ言葉が出てこなくなってしまった。しかし元々は同じ人間に忠誠を誓う者同士だ、隼人に対する扱いも実に紳士的なものだったと凪は付け加えた。
「隼人が幻術の世界でも眠れた時に全ては元に戻るはずよ。それまで私が側にいるから、心配しないでゆっくりと休んでね」
「…そいつはどーも」
 隼人が他人の作り出した世界の中に閉じこめられるのは、これが初めてではない。古くはリング争奪戦の時だろうか。霧の守護者同士の攻防は体育館だった世界を異次元へと変え、中にいた者たちはそのギャップに苦しめられることになる。そこでは脳は針金で締め付けられたかのように痛み、胃液どころか内臓のすべてが口から出てきそうで…十年近く過ぎた今でもトップクラスの不快な記憶の一つだった。しかし不思議なことに彼女の作り出した世界には何一つ不快な部分はなかった。ただひたすらに安らげる空間だけが広がっていたのだ。もし理由があるとしたなら、それは作り出す側の人間の心によるものなのか。実際の南の島もこれほど快適なわけではあるまい…すっかり居心地がよくなってきたのか、彼の口から自然と小さな欠伸さえ出てくる。当然先程までの不愉快な気持ちは綺麗さっぱりと消え失せていた。
「なあ、ところでここって一体どこよ」
「えと…モルジブ…かな?」
耳元に思いっきり自信なさげな声が聞こえてきた。ドキッと跳ね返る心臓を誤魔化すように隼人の声も大きくなった。
「はあ? もしかしてわかってねーのか!?」
「うん。雑誌でチラッと写真を見た程度なの」
「ダッセェ…」
「ごめん」
 それにしてもなんて美しい光景だろう。多少出来過ぎのように思えるのは、あくまでも『彼女の幻術の世界』だからなのだろうか。でもこのような幻を急に(それでも自然に)作り上げられるあたり、凪自身もきっとこんな風景に憧れているのだろう。
「なあ、凪」
「はっ、はいっっ!?」
それまでじっと眠り続ける自分を見ていたのだろう。思いっきり慌てたような反応に、隼人の口から笑いがこぼれる。
「ちょっと頼まれてくれないか」
「何?」 
「今から十代目のところに行って、モルジブ行きのチケットを二枚手配してもらってきてくれ」
 自分がこんな甘い言葉を口にしてしまうのも、全てはこの楽園のせいであり、創造主である彼女のせいだ。だとしたらその責任をとってもらうのが道理というものだろう。しかしこの小旅行に同行するのが他の誰でもない凪自身だと知ったとき、彼女は一体どんな顔をするのだろう? 意識が沈んでゆくその瞬間、隼人はそんなことを想像しながら幸せそうに笑っていた。
 
 
 
 
 
 「モルジブ行きのチケット? もちろんそれはかまわないけれど…でも獄寺くんがそう言ったの?」
 「うん」
 「どういう風の吹き回しだろ。恋人でも出来たのかな」
 「さあ…」
 
 
 
 
END
 
 
 
 
イメージソング   『楽園ベイベー』   RIP SLYME
更新日時:
2008/07/13
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Last updated: 2010/7/31