REBORN!

12      鎮魂歌   (笹川了平 十年後)
 
 
 
 
 
 地下にあるトレーニングルームからリビングへと移動した直後、申し合わせたかのように電話のベルが鳴った。
「久しぶりだな、笹川了平」
受話器の向こうから響く低い声…それは彼が最も尊敬するファイターの一人だ。タオルで汗を拭う了平の表情に楽しそうな笑みが浮かぶ。
「おおっ! ご無沙汰しております、パオパオ老師」
「お前は相変わらずのようだな。しかしこの話は相当な覚悟の上で聞いてもらわなくてはならないぞ」
これまで感じたことがないほどの静かで厳しい物言いに、思わずごくりと息をのんだ。
「コロネロが死んだ」
「…え?」
 
 
 
 
 教会の地下室に安置されているその棺はあまりにも小さく、これまで彼が得てきた功績や名声との違いに胸が締め付けられるような気がした。ここには毎日のように彼によって育てられた弟子たちが訪れ、手向けられた花々によってその棺さえも埋もれそうになっている。呪われし赤ん坊=アルコバレーノ…結局自分はそれについて何もわからずに終わったのだと了平は痛感していた。もっとも具体的な説明を受けていたとしても、それを自分が理解できたかどうかはわからない。ただひたすらに尊敬し、憧れ、目指し…そして彼は自分のことを誰よりも理解してくれていた。それ以外のものは自分たちには不必要だったのだ。
 供えられた花をかき分けてゆくと、ようやく棺に刻まれた名前にたどり着いた。それを太い指が何度も何度もなぞってゆく。
「師匠…」
体はブルブルと震え、心臓の音も恐ろしいくらいに跳ね上がってゆく。リングの上に上がるときでさえこんな現象にはお目にかかった事がない。まるで両手と両足が痛みのないままもがれてしまったかのような喪失感…しかし何故かその目から悲しみの涙が溢れることはなかった。
「酷い人間だとお思いでしょうね」
「えっ?」
「敬愛する師を失ったのに、彼のために涙を流すことも出来ない。情けない話です」
 了平が背を向けたままそう声をかけたのは、ここまで案内してくれた年若いシスターだった。どうやら生前の彼とも若干の接点があったらしく、訪れる弟子たちの案内を引き受けているのだという。その優しげな顔は離れて暮らす実の妹に似ているような気がして、了平は彼女を正視することが出来ずにいた。
「事実をまだ受け入れられていないんでしょうね。安心して眠れやしないと、背後から蹴られても仕方ない。それとも心の弱い弟子をあの世で笑っているのかもしれませんが」
シスターは彼がこちらを向いていないことを承知で首を横に振った。彼女の目には悲しみに震える了平の背中が見えていたのだ。
「悲しみの形というものは人それぞれですわ。相手を思って泣き叫ぶ事だけが追悼になるとは限りません。ここまで足を運んで下さったあなたのことを、あの方はきっと心から感謝しておられることでしょう」
 相手からの思いがけない一言に了平は振り返る。シスターは今度ははっきりと首を縦に振った。
「…ありがとう」
そしてここにくる前に購入した真新しい花束を棺の上に置き、両手の手のひらをしっかりと組み合わせて二人は一緒に祈りを捧げた。するとかつて共に過ごしてきた時間がまるで走馬燈のように脳裏に浮かんでは消えてゆく。中には体の痛みさえもリアルに蘇るほどの強烈な記憶もあったが、直接弾丸を打ち込まれて『極限太陽』を取得させるほど見込まれていた自分は、決して『自称』だけではない…本当の意味での一番弟子だったのだ。失ってから初めて気がつく深い愛情に、了平はただひたすらに頭を下げ続けた。
 
 
 
 
 しばらく暗い地下にいたせいだろうか、教会の外に広がる晴れ渡った青空がいつも以上にまぶしく見える。了平と一緒に見送りの為に出たシスターも思わず目をキュッと伏せる。
「突然お邪魔して申し訳ありませんでした」
恐縮しながら頭を下げる了平をシスターは手を伸ばして優しく制した。
「どうぞ気になさらないで下さい。棺は引き続きこちらに安置をさせて頂くことになっていますから、いつでもいらして下さいね」
「ありがとうございます。どうぞよろしくお願いします」
ボクシングの世界でトップを取った男とは思えぬ律儀で真面目な態度に、シスターも微笑みを向ける。重ねた努力の末に体だけでなく心も見事に磨かれた人間なのだということが彼女にもわかった。
「これからどうなさるおつもりですか?」 
「一度日本へ戻ろうと思っています。仲間に今回の事を報告したいですし、何か色々と思うこともあるので」
 決意の様子からは先ほどの悲しみは微塵も感じられない。師匠の死を乗り越えて前に進もうとする強い意志がそこにはあった。それを見て安心したのか、その次にシスターは思いがけない話を了平に聞かせる。
「実は…このことはもしかしたらまだ噂の域を出ていないのかもしれないのですが」
「なんです?」
「あの方には恋人がおられたと思うのです」
「えっ…?」
シスターの言葉に了平の体は一瞬で固まる。そのような話は…例え噂だったとしても…一度も耳に入ってきたことはない。無論師自身もも口にしたことはなかったはずだ。そういった面に鈍感な自分が聞き逃したと思えなくもないが。
「今回のことは相手の方もご存じでしょう。愛する人を失った時の気持ちは想像もつきません。でもだからこそ恐ろしく感じるのです…失われた心の空白を行き場のない復讐心で埋めてしまったとしたら」
 神に仕える身であれど、やはり同じ女性が傷つくのを見たくはないのだろう。両手を組みながら必死に訴えかける彼女の姿は痛々しいほどだ。
「もしその方にお会いすることがありましたら、どうか遠くからでかまいません。見守って差し上げてくださいませんか…?」
切なる願いを断る理由はどこにもない。それに亡くなった者の代わりに自分にできることがあるのなら、それは己にとっての誇りであり、背も自然に上へと正されてゆく。
「わかりました」
了平が無下に断ることはしないと思ってはいたものの、やはり無茶な頼みというのは自覚していたのだろう。その時に見せてくれたシスターの安心したような笑みこそが彼にとっての最高の報酬となった。
 
 
 
 
 教会からわずかに距離を挟んだ崖の上に立った了平は、二本の指を口に含んで指笛を吹いた。ピィーッという澄んだ大きな音はまるで空間を引き裂くように辺りへと響き渡る。やがてその音を聞きつけた者が、遙か上空より彼の元へと訪れる。それは純白の翼と黄金のくちばしを持つ雄々しい一羽の鷹だった。スッと伸ばされた了平の腕へと弧を描きながら舞い降りてくる。
「久しぶりだな、やっぱりお前は師匠の側にいたのか…ファルコ」
 懐かしい旧友に出会えた事を喜ぶかのように、ファルコは深く頷いて見せた。その黒曜石のような印象の強い瞳は初対面の頃から少しも変わっていない。
「シスターの手前本音は言えなかったんだがな、ボンゴレにとてつもない危険な『何か』が近づいている気配がする」
頭部を優しく撫でながら、了平はファルコにそう打ち明ける。難しい話は苦手だが、彼の咄嗟に何かを感じるカンの良さは守護者の中でもトップクラスだ。
「師匠が再びこの世界に戻ってくるまでの間、しばらく俺と行動を共にしてもらうぞ」
その言葉に応えるかのように、ファルコは純白の翼を大きく広げてみせる。
「真っ先に沢田たちの元にかけつけたいが…今は情報が乏しい。ルッスーリアのところにでも行ってみるか」
そう言ってファルコが止まっている方の腕を大きく空に向けて繰り出す。すると大きな翼が風に乗って、そのまま上空の彼方へと飛び出していった。
「行く…ぞおおっ!!」
 
 
 
 
 
END
 
 
 
 
守護者+家庭教師の組み合わせでは、やっぱりこの二人が一番好きです。十年後の世界に了平が来る前に書いてみました。未来の彼はプロボクサー兼晴れの守護者ということで、少し大人びた雰囲気を妄想してます。
 
 
 
 
イメージソング   『ミチシルベ 〜a road home〜』   ORANGE RANGE
更新日時:
2007/06/09
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Last updated: 2010/7/31