FOR YOU

13      ハーレムナイト
 
 
 
 
 
 彼女に初めて出会った日のことを、つい昨日のことのように覚えている。赤茶の髪を肩で整えた少し華奢に見える女の子は、背の高い自分の親友の背中に隠れるようにしてこの店へとやってきたのだ。初めて訪れた『酒場』という世界に随分と躊躇しているようだったが、しかし店内のシックな内装がお気に召したのだろう…すぐにこのやり手な店主でさえドキッとさせるような笑顔を見せてくれたのだった。
『初めまして。氷室先生にお世話になっています、はばたき学園の水崎悠里と申します』
まるで鈴のような声も忘れがたい記憶として彼の脳裏に焼き付いている。その日は二人で社会見学兼ドライブに出かけたらしく(本当の目的はそうじゃないくせに…つくづく日本語は便利なものだと思う)、途中で車が故障したのだという。外は冷え込んできたので一時しのぎの場を求めて訪れたのだった。
『こちらこそ零一がお世話になっているね。こいつは融通がきかないから色々大変なんじゃないのかい?』
『益田!!』
親友同士のたわいないやりとりも優しい目で見つめている。ほんのりと赤く染まった顔から、彼女が親友に特別な想いを寄せていることはすぐにわかった。
 あれからどれだけの月日が流れただろう。あの時の二人は教師と生徒という地味な関係から恋人と呼べる存在まで進化する事が出来た。それと同時にセーラー服がよく似合う女の子も少しずつ変わってゆく。今ではアルコールを抜いてはいるものの、カクテルという名前の飲み物を手に出来る大人の女性へと成長していた。もっともバーテンダーである彼の手元を見つめる純粋な瞳はそのままだったが。
「はい、おまたせ」
三角のグラスに生クリームの濃厚な味のする純白のカクテルを注いだ。
「ありがとうございます」
ゆっくりと味を楽しむ形のよい唇を見つめながら、益田は少し意地悪そうに笑った。
「どうかしました?」
「いやあ…こうして二人だけというのがなんとなく不思議でね。いつもはあいつがいるだろう?」
確かにいつも二人の間に座っているあの男は今日に限って不在だった。
「仕方ないですよ。修学旅行ですもの」
「連絡はあるの?」
「…ぼちぼちですけど」
 悠里は幸福そうに微笑みながら言ったが、もし彼を知る連中が耳にしていたらぶったまげること間違いなしだろう。あの男が旅行先から連絡? そんな新婚の旦那さんのような真似を? その現実を笑い飛ばせる人がいたとしたら、それはやはり小学校からの長い付き合いである益田だけなのだろう。彼は親友に対して不謹慎だと知りつつ、大きな声で笑い出した。
「それはいい。随分と大切に想われているね? お姫様」
「でもそうでもないみたい。時間が過ぎるにつれて声が疲れてきている感じがするんです」
「現代っ子の引率は何かと大変なんだろ。それを含めて教師というお仕事は大変だってこと」
「…私も反省中です。だってあの時は先生に一緒に回ってもらったことが嬉しかったけれど、よく考えてみればかえって気を使わせてしまったってことですものね」
 常に人の立場を考えられるこの子は本当に優しい子なのだと益田は思う。もっとも当時の氷室が彼女との行動を迷惑などと考えていたかは…正直謎だけれど。でも二人のこの凸凹具合を益田は気に入っているからわざと何も言わない。
「ねえ、マスター」
「なんですか、お姫様」
「…零一さんって、これまでどんな女の人とお付き合いしてきたんですか?」
「はあ!?」
手近なグラスを磨いていた手が突然止まる。益田は顔を彼女へと突き出してまじまじと見つめた。
「どうしたの、急に」
「ちょっと反省したついでなんですよ。高校時代に無謀にも過去の恋愛話を聞かせて欲しいっておねだりしたことがあったんです。その時は『恋愛経験くらいある!」なーんて逆ギレされましたけど」
綺麗な色のグラスを手のひらに包みながら彼女はにこっと笑う。
「…結構無謀なこともしていたんだね」
「その当時の恥ずかしさと一緒に忘れられない記憶ですね。でも今ならどう思うのかちょっと試してみたくて。もしかしたらその人たちを見習うべきこともあるかもしれないし」
「そうだねえ…」
 ずっと聞きたくて、それでも聞けなかったことなんだろうと益田は思った。あの男のことだから自分の都合の悪い話は「どうでもよろしい!」の一言でごまかそうとするのだろう。まるで自分がそうされたかのように脳裏にその姿が浮かんできてしまった。
「泣いたりしないかな? 悠里ちゃんは」
「大丈夫…なつもりです」
プライベートなことの全てを熟知しているわけではない。それにいざとなれば黙秘権を駆使しても彼女は怒らないだろう。
「確かにあいつはもてていたからねえ。高校時代は演劇部に所属していたせいか、奴を王子様なんて称するファンクラブみたいなのも存在したくらいにさ。俺みたいに軽いノリの人間とは違った意味で人気はあったよ。向こうから言い寄ってくることが多かったから、零一が女性問題で苦労したというのは聞いたことはない」
「そうですか…」
「自分同様に相手にも厳しさを求める人間だからさ、相手は年上のしっかりした固い職業の人が多かったよ。そういう人の方が自分を理解してくれると思ったんだろうし、もしくは…楽だったのかもしれないね。あの頃は奴も若かったってことさ」
 悠里はライトの光にさらされて宝石のように輝くグラスの列を整える益田の手をじっと見ていた。
「大人だったから楽だったんですか?」
「悠里ちゃんもなんとなくわかるだろうけれど、かつての零一は恋愛ごとに深くのめり込むタイプではなかったんだよ。要するに仕事や趣味の世界と同率の位置に恋愛があったんだ。大人の女性ならそれを理解してくれると思いこんでいたんだろうね。でも職や地位を得ている女性こそ、奴を自由自在に操りたいと思うものでね、そのすれ違いで長続きすることもなかったな。一方的に別れを告げられたりしてるから未だによくわかっていないと思うよ」
「可哀想…」
悠里が無意識に言った言葉を益田は聞き逃さない。
「一体どっちのことかな?」
「女の人たちの方ですよ。私は出来る女じゃないけれど、ああいう人を独り占めしたいって気持ちだけは分かりますよ?」
「それじゃあいつも立場がないなあ」
「んもう、マスターってば」
二人の間に賑やかな笑い声が響いた。
 しばらくは店内のゆったりとした空気の中に身を任せていたが、やがて悠里の口からぽつんと言葉が出てきた。
「ならば零一さんはどうして私を選んだのかな」
「だって悠里ちゃん面白いもん」
「あー、年下だからってバカにしてるー」
ぷっと膨れた頬はまだあどけない面影を残したままだ。そしてそれを見た益田も少年のように大きく笑う。
「バカになんてしていませんよ? でも俺はあいつの幼なじみではあるけれど、心ごと読める超能力者じゃないからなあ。そのあたりは悠里ちゃんが零一に聞いた方がいいと思うね」
益田がウインクをして見せたと同時に、悠里の鞄の中から携帯電話のメロディーが流れ始めた。
「はいっ、水崎ですっ」
『…俺だ』
短く語る低い声だった。毎日のように聞かせてくれたとしても、それでも常に待ちわびてしまう人の。
「れっ、零一さんっ」
 すでに相手に気がついていた益田は店の音楽を小さくする。悠里が一人でここにくることは別に悪いことでもないのだが、この誤解しやすい状況をなんとかしようとしたのだ。
『どうだ、元気にしているか』
「変わりませんよ 零一さんこそ…随分と疲れているんじゃ?」
『いや、それは…どっどうでもよろしいっ』
彼の現在の心情と、悠里が高校生だった頃の情景が重なってゆく。思わずクスクスと笑みがこぼれた。
「無理はしないでくださいね?」
『それはどうかな。無理をしなくてはならない時もある。君の後輩もつくづく俺を悩ませてくれるからな…さっきも女子生徒が男子の部屋に行っているのを注意してきたところ』
その時悠里の背中に妙な寒気がゾクゾクッと走る。もしかしてこの人は…?
「わかっていましたか」
『当然だ!』
強い口調に悠里は恐れ入ったかのように肩をすくめる。
「あの時はですねえ、志穂ちゃんと注意をしに行こうとして…」
『それもわかっている』
 そこで悠里は偶然に益田と目を合わせた。すると恥ずかしい気持ちと喜びが交差して、やはり二人とも笑うしかなかった。そしてそれは何も知らない電話口の向こうの人も同じだったようだ。
『明日、帰る。土産も沢山買ったから楽しみにしていなさい』
「零一さんが?」
『そちらのご両親にも菓子折を購入したので、すぐに伺いたいと思っている。よろしく伝えて欲しい』
「…はい。待ってます」
詳しい電話の内容はわからないが、悠里の幸福そうな様子から『どうやら近いうちに良いニュースを聞くことが出来そうだ』と益田は素直に思った。人並みの恋愛を経験しつつも、それでも高校時代をやり直すかのように等身大の恋を実らせた親友をなんとなく羨ましくも感じられる。
(でも…まあ、まだまだ楽しませてもらえそうだから良しとするか)
 
 
 
 
END
 
 
 
 
 
『天使の招待状』サイトオーナー風見リオン様から、年明けに可愛いニャンコの年賀状を頂きました。その可愛らしさに親子で骨抜きになりまして、そのお礼として創作を贈らせて頂く約束を取り付けた私。ようやくそのお約束を果たすことが出来ました。遅くなって本当に住みませんでした。今回は…というか、今回も氷室先生×主人公ちゃんのその後のお話ですが、メインはマスターになっちゃいましたね。ちょっと先生の過去にも触れる内容になっちゃったので気に入って頂けるかちょっと不安かも…ごめんなさいごめんなさい。そしてこんな奴ですが、これからもどうぞよろしくお願いしますー。
更新日時:
2004/03/13
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Last updated: 2010/5/20