ANGELIQUE TROIS

10      星たちの距離
 
 
 
 
 
 わずか100日程度を過ごす為に与えられた屋敷ではあるが、それでもその内装は主人の趣味が存分に生かされており、訪れる人々にとっても居心地の良い空間が広がっていた。二階の広い部分は客が集う為の執務室にし、一階は細かく仕切って思った通りの装飾を施している。いずれにしろ描かせないのは彼自身の力を示す緑の植物たちだろう。雄々しく葉を広げる木々や愛らしく咲く花々は、もはや家族の一員であると呼んでもいい。丹誠込めて育てられたそれらに癒しを求めて訪れる者も少なくはないのだという。
 アルカディアでの日々も後半戦に突入したと思われるこの日、14才の緑の守護聖は執務室の窓から外を眺めていた。そこにはせわしなく動くこの世界の住人たちの姿があった。
「みんな忙しそうにしているなあ…」
そう思うと心に寂しげな風が吹き抜けてゆくような気がする。聖地で生きてゆくことを少しも悔いてはいないが、それでも以前は自分も彼等のような毎日を過ごしていたのだ。でもそれらは決して懐かしい記憶だけを与えてくれるわけではない。
「守護聖として…もっとしっかりしなくては」
確かに今回の事件は不明な点が多い。それに自分たちの宇宙がどうなっているのかを不安に思わない日もなかった。しかしこの危機を乗り越えた後に一段と成長した自分に出会えるのだと、そう信じて執務服の襟を正すのだった。
 コンコン…というノックの音が突然耳をくすぐり、マルセルは慌ててドアを振り返る。
「ハイッ」
「失礼いたします、マルセル様」
恭しく一礼したのはスーツをきちんと着こなした年輩の紳士だった。女王から依頼を受けた執事としてマルセルを手伝ってくれている。
「お客さまがみえておられますが…」
「お客さん? 今日はアンジェが訪ねて来る予定はなかったと思ったけれど」
「いえ、鋼の守護聖様です」
それまで期待にはち切れそうになっていたマルセルの表情が一気に凍りついてゆく。
「…また来たの?」
「そのようでございます」
 若者の重い溜め息の理由を執事殿は知っていた。緑と鋼の守護聖は年も近いし大変仲が良い。本来ならば自由自在に出入りを許されている筈なのだ。しかし何かを探るかのように毎日毎日決まった時間にこられては、正直どうすればいいのか困り果ててしまって当然だろう。
「わかった…ここに通してくれる?」
「承知いたしました」
そう言い残して去ってゆく背中を見送りながら、マルセルはフーッと溜め息をつく。おそらく彼は自分の執務室まで急ぎ足でやってくるだろう。しかし目前になって緊張したかのように静かに顔を覗かせるだろう。そしてその予想は全て現実になるのだった。
 
 
 
 
 
 ドアがわずかに開かれて、そこから綺麗なプラチナブロンドの髪が現れる。
「よっ…よお…」
「いらっしゃい」
マルセルの言葉は分かり易いほどの棒読み状態だった。鋼の守護聖ゼフェルもそのあたりはわかっていたのだろう。特に何も言わないまま本題を切り出す。
「その…来てねーかな」
「誰が」
「誰がって、その…アンジェのことだよ」
モジモジと顔を赤らめながら言う様子は、普通に恋をしている少年そのものだ。それを本人が自覚しているのかどうかは謎だったけれど。
「来ていないよ」
ゼフェルと比べてマルセルの言葉はとても冷たかった。
「そっか…」
 まるで期待が裏切られたかのような、それでもどこかで安心したような顔を見せながらゼフェルはフッと息をついた。しかしそれが平静を保とうとしていたマルセルの緊張の糸をブチッと引きちぎってしまったのだ。
「ゼフェル」
「おう、なんだよ」
「本当にいい加減にしてよねっ! 毎日毎日うちに来ては、アンジェが来ているかって言うばっかりじゃないか」
「えっ…? そうでもねーよ?」
「いーや、その通りだよ! まったく…彼女が心配ならば自分の方から声をかければいいだろう!?」
 マルセルの発言は正論だった。現在アルカディアの育成に励んでいるのは新宇宙の女王アンジェリーク・コレットだったが、彼女が初めて候補として聖地に訪れてから随分になる。別に守護聖たちと彼女が親しげに話しても違和感などあるわけがないし、咎める者だっていなかった。しかし…。
「それが出来るんなら、最初からお前のところにはこねーよ!」
「でも事の始まりはゼフェルたちのせいなんだからね。そんなに不安になるくらいなら、彼女に対してあんな事を言わなければ良かったんだ」
 2人の脳裏にあの夜の出来事がまざまざと蘇ってくる。大地への育成そのものは順調といえたが、それでも人々を襲う霊震の勢いは留まることを知らない。そんな不安が続く中、守護聖たちの意見も二つに分かれてしまったのである。『このまま育成を続けて、ラ・ガに対抗できるエルダを早急に復活させる』『しかし霊震は酷くなるばかりだ。エルダでさえ信用に足りる存在なのかわからない。育成以外の手段を考えるべきだ』…結局は女王であるアンジェリークの意思を尊重する形にはなっているが、仲間たちの間を流れる不協和音はどうしようもない。胸に溜まった思いをぶつけてしまった夜、特にゼフェルはアンジェリークの女王としての存在意義まで否定しかけたのだった。本当はそんなところまで及ぶつもりは少しもなかったのに…泣きそうな顔をして俯く姿を抱きしめてやりたいとさえ思っていたのに。
 ちなみにマルセルはアンジェリークがこのまま育成を続けることを支持している。エルダの正体がわからないのは確かに大きな不安要素だ。しかしむやみにやり方をを変えてしまっては、その犠牲になるのが大陸だけとは限らなくなってくる。それにここは新宇宙の未来の縮図そのものだ。アンジェリークの行う育成こそが世界を救える最善の方法なのだと微塵も疑っていない。しかしそれとは反対に、ゼフェルはエルダの存在自体に強い不安と不満を抱いていた。もしかしたら大地を救えるもっと効率の良いやり方があるのかもしれないと、時には研究員や年長の守護聖に持ちかけることもあったようだ。『緑』の守護聖はありのままの自然の力を最も尊び、『鋼』の守護聖は新しい力を模索している…それは彼等の司る力が、それぞれの意思を代弁したかのようにも思える。そのどちらが正しいかなんて結論は、宇宙を育む偉大な女王でさえ簡単には出せないものだろう。
 そしてあの日以来アンジェリークの行動も慎重の色が濃くなったように感じられる。育成や学習のバランスを損なわないように気を配りながら、それでも研究院に出向く回数が多くなった。そして首座として悩みの相談に乗ってくれるジュリアス、未来を見通せるクラヴィス、宇宙や地質学の権威であるルヴァらの元へも頻繁に通っているらしい。
「どうせゼフェルはそのことも気に入らないんでしょ?」
「なっ…バカッ! オレはただ…」
「アンジェのやり方は気に入らない、だけど他の人のところには行って欲しくない…それって随分と我が儘なんじゃない? 自分を信用してくれない人間の元に通うだなんて僕もやりたくはないしね」
 彼に対して意地悪な言い方をしているのはわかっている。しかし小さな背中に幾つもの複雑な運命を背負い込んだアンジェリークの背中を見ている方がマルセルにとっては何倍も辛いのだ。せめてゼフェルにも彼女の苦しみをわかって欲しい…それがマルセル自身の本当の願いなのだった。
「ねえゼフェル、この世界はきっとアンジェリークともエルダとも一本の細い糸で繋がっているような気がするんだ。だから今はエルダのことも信じてあげた方がいいと思う。それが出来ないことでアンジェの心が揺れてしまったら…先は本当に見えないものになってしまうよ。僕たちが第一に優先させるのはそのことなんじゃないかな?」
「まだあいつが敵意を持ち合わせていないなんて決まったわけじゃねーだろ!」
「それでもアンジェが信じるのなら…」
 ゼフェルはマルセルのいる執務用の机に向かってツカツカと歩み寄ってきた。そして勢いのまま手のひらをバン! と机上に叩きつける。
「信じればいいのかよ…何も考えずに闇雲に信じていれば物事は上手く解決するのかよ!」
突然の怒鳴り声にマルセルの体はピクッと震え、そのまま動けなくなってしまった。
「信じて信じて信じつくして…その後信じた人間からあっけなく裏切られたことを忘れちまったんじゃねーだろうな、マルセル!?」
「あっ…」
 脳裏に浮かんだのは一人の青年の姿だ。銀色の髪をかき上げて、誰よりも優しく楽しそうに笑っていた謎の剣士は…。
(アリオス…? ううん、皇帝レヴィアス…)
共に宇宙を救う旅を続けてきた青年は、自分たちを陥れようとした恐ろしい敵でもあった。彼が正体を現した時の衝撃は今でも忘れる事が出来ない。
「あの時アンジェがどれくらい血の涙を流したのかを忘れたとは言わせないぜ! もしここでエルダが裏切って、アルカディアが崩壊してしまったとしたら…一体誰が責任をとると思ってんだよ」
信じる気持ちが大きければ大きいほど、裏切られた時の反動は恐ろしい力を持つことになる。その渦の中に少女を飛び込ませる事を誰が望むというのだろう。マルセルはしばらく俯いたまま考えていたが、やがて呟くように言った。
「それでも僕は…アンジェリークを信じるよ」
「テメッ…」
 ゼフェルは机の上の手をそのままマルセルの首のあたりに向けて、そのまま襟を掴む。
「自分が何を言っているのかわかっているんだろうな!?」
「だってこの大陸はアンジェが作った宇宙からやってきたんだよ? 未来の女王が自身の命をかけて…そんな人が創世の女王を苦しめるようなことをするはずがないじゃないか」
現在の段階でも年少の者たちには詳しい事情が伝えられているわけではなかった。それはまだ年長の守護聖たちの間でも不明な点が多いせいなのだろう。だからマルセルにとっては女王自身が語ってくれた情報が基本であり、全てなのだ。
「きっと未来の女王は余程切羽詰まった状況だったんだと思うよ。前代未聞の危機に直面しながら、それでも時空移動を行うしか方法はなくて。自分の宇宙を自分自身で救えない上に、創世の時代に協力を求めなくてはならない苦しみ…僕には見当もつかないけれど、想像することは出来る」
 マルセルの気持ちはそのままゼフェルにも伝わってきた。2人とも事を大きくしたくはない気持ちは同じだし、未来の女王に対しても最善の事を行いたい気持ちは変わらない。
「その女王が唯一選択出来たのは時間なんだと思うんだ」
「時間?」
「そう…アルカディアの一部には守護聖に関する物が置かれている場所があるよね? ということは新宇宙にもやがて守護聖が誕生して、そのまま女王であるアンジェに仕えるって事だよ。だったら女王はその守護聖たちが誕生した時代に大陸を送り込む事だって出来た筈なんだ」
「マルセル…」
「もしその守護聖たちが育成に協力したのなら…彼等はきっとアンジェの意思に逆らうことはなかったと思うよ。少なくとも仲間内で喧嘩腰になるような事はしない。でも実際にここを任されたのは僕たちだ。ねえゼフェル…僕はそこに何か大きな意味があるような気がしてならないんだ」
 自分が今回の出来事に対して細かい分析が出来たことをマルセルは不思議に思う。それでも思った通りの発言が出来たことで涙が溢れそうになってくる。それを見たゼフェルは彼の執務服の襟元から手を話した。
「…オレ、今日は帰るわ」
項垂れたまま小さな声で言う。
「えっ? ああ…うん」
また何かを言われるかと思ったが、意外にも彼はあっさりとその場を引き下がった。そういう考えもあるのだということを認めてくれたのだろうか。クルリと体を翻すと白いマントが軽く揺れる。同時にマルセルの胸に嫌な予感が広がっていった。
「ゼフェル、無茶だけはしないでよ」
「わかってる」
 
 
 
 
 ゼフェルの背中が扉の向こうに消えても、マルセルは自身を縛る緊張感を解くことが出来なかった。
「まさか、あんなことを考えていたなんて…」
柔らかな素材の椅子に身を預け、そのままため込んだ息をフーッと外に出す。自分は彼よりもずっとアンジェリークの事を考えているつもりだった。しかし彼女が傷つくことを避けるようにして他の手段を求めたゼフェルの気持ちもまた、彼女に対する深い愛情に溢れているものだと思う。
「でもきっとこのまま黙っているなんて事は…きっとないんだろうなぁ」
ゼフェルの心に燃えさかる炎を少しでも落ち着かせるつもりだったのだが、反対に油を注いでしまったようだ。物事が大きくなる前に、誰かにこの事を相談しておいた方がいいかもしれない。
「そうだ! 女王陛下!」
 あの金髪の女王と青い瞳の補佐官ならばきっと自分の考えを受け入れてくれるだろう。それにゼフェルの性格も知り尽くしているだろうから、きっと上手に采配してくれるに違いない。
「すみませーん、誰かいる?」
「お呼びでございますか?」
先程の執事が顔を見せる。どうやらゼフェルを見送ってすぐに駆けつけてくれたらしい。
「今すぐ女王陛下に謁見を申し出たいんだ。補佐官に連絡をしてもらえないかな」
その時に見せたマルセルの無邪気な笑顔は、先程帰ってゆくときに見せたゼフェルのニヤッとした企みの笑みに似ているような気がした。しかし執事殿はそれがとても素晴らしいことだと思っており、主人の申し出についても一礼と共に引き受けた。
「では少々お待ち下さい」
「頼んだよ」
 
 
 
 
 
 
 
END
 
 
 
 
久しぶりのアンジェ創作はトロワの例のイベントから。ゼフェコレ派としてはどうしても避けて通れない感じのアレですね。最近改めてプレイしたんですが、やっぱり酷いよゼフェル様…というわけで若干のフォローも込みでこんな話を書いてみました。ちなみにこの話の続きが以前に書きました『BABY BABY』に当たります。
更新日時:
2005/08/02
前のページ 目次 次のページ

戻る


Last updated: 2010/5/12