ANGELIQUE REQUIEM

1      ーひとりー
 
 
 
 
 
 「おはよう、アンジェリーク」
アクセサリー屋のワゴンを引く青年が明るく声をかける。花屋の店先で商品をそろえていた女性は、優しい微笑みを浮かべながら振り返った。
「おはようございます。今日はいい天気ですね」
「全くだな。雪祈祭に相応しい天使が降りてくるような空だ」
そんな2人の頭上には、灰色の空が広がっている。まるで天国に手が届きそうなくらいに…この土地では祝福を与えてくれると言う天使に捧げられる『雪祈祭』が行われる。この日ばかりは曇りが最上の天気とされているのだ。
 長い栗色の髪を持つ女性がこの地にやってきてもう一年になる。住み込みで出来る仕事を求めていたのを、花屋を経営する老婦人が引き受けたのだ。美人で優しく心の温かい彼女は『アンジェリーク・コレット』と名乗り、住民たちの人気者となった。実際に口説こうとする輩は多いものの、なぜか成功例は一つもないのだという。このワゴンの青年も諦めきれない連中のひとりだった。
「どうだい、今日は祭を俺と一緒に…」
「ありがとうございます。でも今日は稼ぎ時ですもの。幸運の色を占う日でもあるから、その色の花を求めるお客さまも多いし。きっと祭どころじゃないですよ」
 口ではそう言っていても、実に楽しそうにしている。彼もそれ以上の誘いは出来なくなってしまった。それじゃ…と明るく去られ、がっかりしてしまう。
「無駄なことはやめておきなよ。あの子はそう簡単にはなびかないだろうね」
「フン、今日はタイミングが悪かっただけだ」
「そうでもないよ。あの子にゃ待っている人がいるんじゃないかって噂だからね」
 
 
 
 
 アンジェリークが仕入れた花を束ねていると、店の主人が慌てて店舗に入ってきた。
「おはようアンジェ、遅くなってごめんなさいね」
「おはようございます、奥様。今日は雪祈祭ですよ。天使の広場にはもう気のはやい人たちで溢れていますね」
天使の御加護を受けたいと、あらゆる惑星から観光客が訪れているのだ。地元民が遅れるのは少し立場がないような気もする。
「うちにはしっかり者の天使がいるから大丈夫よ。あなたがここに来るまではどんな店だったのかも思い出せないくらい」
2人は実の親子のように見つめ合い、フフッと笑った。
 それにしても店内の様子がいつもと違う。アンジェリークが一つの花を大量に注文していたせいだった。
「凄い数の薔薇ねえ…それも全て深紅だわ」
「ごめんなさい、勝手なことをして。今日はお祭りのイベントでカラー占いがあるんですよね? なんかそこで深紅が出てきそうな気がしたんです」
ここに来てから一年ほどしか経っていない彼女は、祭自体が初めての経験なのだ。カラー占いはメインイベントの一つで、特に幸福な未来を夢見る恋人たち好評だった。当然店に訪れる時もその色の品を求めるようになる。
「それはかまわないけれど…本当にそれだけなの?」
「えっ?」
「町中の噂になっているのよ。アンジェリークには待っている恋人がいるんだってね」
可愛い顔がサッと赤く染まる。どうやら知らなかったのは本人だけだったらしい。しかし婦人があえてこの話題を口にしたのは、アンジェリーク自身の瞳に時々切ない影を見ていたせいだ。噂があながち間違いではないことを婦人は見抜いていた。
「皆さん、本当に冗談がお好きなんだから」
「心配しているのよ。特に殿方はね」
「こんな平凡な女と一緒にいても楽しい事なんてありませんよ」
「そうでもないわ。あなたはこんな寂しい老人の生活を薔薇色に変えてくれたではありませんか」
 
 
 
 
 やがて花屋の店先に人垣が出来始める。目的はカラー占いだった。この地方でも有名な占い師の血を引く女性が、カラーストーンをマジマジと見つめている。当たるも八卦当たらぬも八卦といったところだが、天使の御加護を疑う者はいない。その様子をアンジェリークは店の中から真剣に見つめていた。
「今年のラッキーカラーは…赤だね。深い紅が幸運を呼ぶよ!」
 それを耳にした人々が歓声をあげる。天使の広場と呼ばれる公園を彩る露店主たちも、一斉に深紅の物を正面に置いた。八百屋は赤ピーマンだったり、果物屋は林檎や苺だったり、香辛料の店なら唐辛子…と一見なんの関係もない物まで飛ぶように売れてゆく。深紅の薔薇を売っている花屋はまさにうってつけの存在だった。二人しかいない店内は、これからしばらく幸運な地獄を見ることになる。
「奥様、薔薇を少しとって置いてもいいでしょうか。主星にいる友達に送ってあげたいの」
「いいわよ。あの金色の髪の女性でしょ? 可愛い双子の女の子のいる…」
「彼女は私より年下なのに、研究院の主任なんですよ。子育てしながらの仕事は大変だと思って。こんな形でしか励ましてあげられないけれども…」
 きっかり三十分後に花は全て売り切れた。薔薇はもちろん、それに添えるためのかすみ草までもが飛ぶように売れたし、当然看板娘を目的とした野郎共も売り上げにかなり貢献していてくれる。ここで二人はようやく汗を拭うことが出来た。
「もう少しで天使の羽根が舞い降りてくるわね」
少女のような顔をして老婦人が呟く。祭の最後には教会の上から天使の翼に見立てた羽根がばらまかれることになっているのだ。それと同時に幻想的な鐘の音が響き、人々を別世界へと連れ去ってしまう。
「よろしかったら外でゆっくりと見物してきたらいかがでしょう。店はこの通りだし、留守番は私に任せて下さい」
「でも…本当にいいのかしら」
「大丈夫ですよ。何かあったら必ずご報告しますから」
「じゃあお言葉に甘えようかしら」
遠慮気味の言葉でも、本当はそう勧められるのを待っていたのだろう。婦人の姿はすぐに人混みに溶けて見えなくなった。アンジェリークは店内の清掃と売り上げの計算を済ませると、椅子に腰掛けてため息をついた。
(今年のラッキーカラーは深紅…か)
 もし占いが当たらなかったとしても、アンジェリークは深紅の薔薇を大量に仕入れただろう。未だ心に深く刻まれた存在…ルビーと同じ色を持つたった一人の大切な人。
「私ってまだ待っているような顔をしているの? もう二度とお会いできる方じゃないのよ。私は自分から逃げ出して来たんだから」
あの時の自分は…創世の女王としての役割を全て終えた後、自ら設定できる次元回廊の前で彼女はしばらく立ちすくんでいた。新しい人生の扉は自身で選ぶことが出来る。ならば懐かしい故郷の聖地を選ぶのだろうと自分も親友も思っていた。しかしいざとなると隔てられた距離と時間が重くのしかかってくる。自分の気持ちは変わっていなくても、相手はそうだとは限らない。もし再会したときの彼の表情が軽蔑に満ちたものだったなら…。
『心配すんな。ぜってー迎えに行ってやるよ』
もう忘れているだろう…でも忘れないでいて…別れの時に交わした最後の言葉は、強い瞳の色と共にいつまでも心の中に残っていた。ならばそれを抱えて生きてゆくのが運命なのかもしれない。彼と自分を裏切って、こんな小さな惑星に逃げ込んだ罰として…。
 
 
 
 
 天使の羽根を求めて広場にはまだ人が集まっているようだった。ここからあの優しい老婦人の姿を見つけだすことは不可能だろう。アンジェリークも店の中から純白の到来を待っていた。すると人混みとは反対の方向にこちらの店へ向かってくる人物がいた。短い銀色の髪を持つ背の高い青年は、黒いTシャツにGジャンを羽織ったラフなスタイルで目には濃いサングラスをかけている。単なる旅行者にも見えるが、ただひたすらにこの店を目指して人の流れを逆行しているようだ。
 アンジェリークがその姿に反応するのと、青年が店に入ってくるのはほぼ同時だった。
「いらっしゃいませ」
そう言いながら立ち上がったものの、相手の姿を見て絶句してしまう。
(ゼフェル様…?)
それでも飛び出してきそうな名前を慌てて胸の中に引っ込める。
「花が欲しいんだけど」
青年の低く掠れた声に今度は涙が出そうになる。しかし品切れの状態では彼に応えられそうにない。ただ念のために聞いてみた。
「何をお求めでしょうか」
「赤い薔薇を」
 アンジェリークはすぐにとっておいた薔薇の花束を用意する。それは親友とその子供たちに贈る為のものだ。しかしかすみ草と一緒に手早くまとめ、同じ深紅のリボンを結んだ。青年はその作業を黙って見つめていたが、終わると同時にこう付け加えた。
「それって発送はしてもらえるのか?」
「出来ますよ。それではこちらの紙に送り先のお名前と住所を書いて下さい」
手元にあった紙とペンを差し出す。青年はしばらく何かを考えるかのように黙り込んでいたが、再び口を開いた時の声はかすかに震えていた。
「この星のどこかにいるアンジェリーク・コレットという女性に」
 アンジェリークがペンを床に落としたのと青年がサングラスを外したのはほぼ同時だった。黒いレンズが隠していたのは忘れようとしてもどこかで必死に焦がれていた深紅の瞳だったのだ。
「ゼフェル様…」
聖地は? 女王陛下は? 知りたいことが山ほどあるのに言葉にならない。それを察したのか彼の方が先に口を開いた。
「ったく薄情なもんだぜ。連れてくるときは無理矢理だったくせに、サクリアがなくなれば用無しだって追い出されちまった。まあ次代に引き継ぎが出来ただけ良かったんだろうけどな」
 思いがけない再会に涙が溢れてくる。でもそれは自分には許されないことだと、必死に首を振った。
「おい…」
「私、ゼフェル様に来ていただく資格なんてないんです。時間と共に忘れ去られるのが怖くて、ここまで逃げ出してきたんです」
俯きながら泣きじゃくるアンジェリークの肩をゼフェルはあの頃と同じようにしっかりと抱きしめる。
「泣き虫なところは変わっていないんだな」
「ごめんなさい…」
「でもそれは俺だって同罪だろ? 初めの頃は何度も脱走騒ぎを起こしたりしてたんだぜ。失敗して何度も連れ戻されて…そのたびに『アンジェリークもわかっているはずだ』なんて勝手なこと言われたりしてな。そのうち新宇宙に守護聖が誕生したって聞いたときは、もう俺のことなんて必要なくなったんだってやさぐれて…正直どうにでもなれって感じだった。でもいざ自由の身になってみたら、お前のこと以外思い浮かばないんだ」
 もし隣に自分以外の男がいたとしたらそのまま立ち去るつもりだったが、しかしそこにあったのは女王候補のころから変わらない優しい笑顔だった。もう引き返す必要はないのだと自分の足に言い聞かせながらここまで来たのだ。
「大変だったんだぜ? 新宇宙に行ったら創世の女王の行方はトップシークレットだって追い返されそうになるしな。なんとかレイチェルに連絡を取ってここを教えてもらった」
抱き寄せる腕に力がこもる。そこから心臓の音が伝わってくるような気がした。
「聖地に来たときも去るときも俺は沢山のものを失ってきた。でも一番大切なものを失いたくなんか無い。まだ遅くないなら…ほんの少しでも想っていてくれてるんならさ…」
 器用な指先が長い髪に触れる。
「いくつになった」
「二十三です」
「そうか、俺の方が軽く五つは年上になったな」
彼はそう言って軽く笑った。アンジェリークは呆然とした目で見つめ返す。
「私、倍近い時間苦しめ続けてきたんですね」
「条件次第でチャラにしてやってもいいぜ」
そのまま彼女の唇に優しく口づける。
「俺の為だけに白いドレスを着てくれるか」
「え?」
「約束しただろ? 絶対迎えに行ってやるってさ」
返事を口にしようとした瞬間に外では教会の鐘が鳴り響いていた。しっかりと抱き合う二人は、互いの肩越しに白い翼をいつまでも見ていた。
 
 
 
 
END
 
 
 
 
少しややこしいかも知れませんが、このお話は『天空の鎮魂歌』のエンディングのその後であり、トロワはまったく関係ありません。所々にトロワに登場する単語が出てきますが、それは単なる偶然です。(正確には私のボキャブラリーが貧困すぎて、オリジナルのネーミングが思いつかなかっただけだったりするのですが)どうぞご理解下さいね。
ゼフェルに限らず天空の創作ではハッピーエンドの内容をよく拝見しますが、ここまで二人を追いつめるパターンは珍しいかもしれませんね。でもハッピーエンドにするのなら何の柵もない立場でそうさせてあげたかったので…。あと二十八才のゼフェルを書きたかったのもあるかな。彼はよく『将来はアリオスのようないい男になりそう』と言われるのですが、こっちはもっといい男になるに決まっとろうが! というのが本音なもので。ややこしいファン心理であります。
 
 
 
更新日時:
2002/11/30
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Last updated: 2010/5/12