365 TITLE

        
4      薔薇色   (葵剣太郎   後輩設定)
 
 
 
 
 
 世の中部長という肩書きを持つ存在は山のようにいるだろうが、それを3年間続けた者はそれほど多くはない。そんな希有な人間が千葉県某市の六角中男子テニス部にいた。今ではすっかり関東の代表の一つとして中学テニス界の顔になった学校である。
「げほっ、げほっ…」
久しぶりにやってきた部室はやはり多少の埃にまみれていて、入った途端に喉にまで入り込んでしまう。やはり様子を見に来てよかったと思う彼…それが中学三年になった葵剣太郎だった。あの頃よりかなり背が伸びて、髪の毛も若干伸びて。それでも人の良さそうな明るい微笑みだけは入部したての頃から少しも変わっていない。桜舞う季節に入部してくる新しい部員たちの為に、部室の掃除をしておこうと一人でやってきたのだった。まだ入学式は終わったばかりだったが、そんなことテニスをしたくてここに来た者たちには関係がない。明日にもここは元気な新入部員たちの声で溢れかえっていることだろう。彼らに少しでもよりよい環境を与えてあげたい…それが部長としての努めであり、また彼が彼自身に与えたプレッシャーの一つなのだった。
 埃まみれの部室に不思議な幻が蘇ってくる。去年まではここは賑やかな笑い声とだじゃれで溢れていた。先輩・後輩という上下関係はここではまったく皆無で、先輩といえどみんな良き兄貴であり大の親友だった。でも今は卒業してしまった彼らに頼ることが出来ない…その現実が彼を不安と寂しさで泣きたいような気持ちにさせてしまう。
(みんな…)
剣太郎はそれらを打ち消すように大きく首を振った。自分にテニス部を託してくれた者たちの為にも簡単に泣いてはならないことはわかっていた。六角中の名前は確かに全国でも知られるようになってきたが、青学や立海大附属といった名門とはまだまだ差がある。今年こそ…と思っている彼の肩にのしかかっているものは本人の想像以上に大きかった。
「さて、掃き掃除の後に棚の整理整頓でも…」
 ほうきを片手に握った瞬間、乱暴に部室の扉が放たれて大勢の少年たちが顔を見せた。真新しい学生服は新入生と見て間違いないだろう。そう…あの幼かった子供たちが成長して中学に入ったのだ。
「やっほー、剣太郎いるかー?」
「俺達来たぜぇ」
部長を部長とも思わない連中だった。しかしそういった考え方が六角中を強くしてゆくのだ。
「みんな来たか? 入部届けは?」
「もう提出してきたしーっ」
見事な大合唱だった。まったく何をしに中学に来たのやら…でも自分もかつてはそうだったと思えば本気で呆れるはずがない。
「そんじゃ、早速掃除手伝ってもらおうか」
「えーーー???」
「文句言わないのっ」
 騒がしい部室の中に遅れてきた新入部員が顔を見せた。
「ねえ剣太郎…」
「なんだい?」
「外に女の子がいるんだけれど」
その場にいた全員の動きが止まる。女の子という言葉に甘美な響きを感じるお年頃だった。
「女の子? なんで?」
みんなが先を争うかのように外を覗く。確かにそこには女の子が恥ずかしそうに立っていた。長い黒髪を綺麗に揃えたお人形みたいな子で、それを見た剣太郎の胸がドキッと音をたてる。
(なんて可愛い女の子なんだろう…)
ぼーっと見とれている表情とは裏腹に、体は緊張で動かなくなる。だがそんな剣太郎を無視して他の部員たちがはしゃぎ始めた。
「あっ…あの…」
「なんだなんだ?」
「わあー、本当に女の子だっ! なんでなんで?」
 ぎゃーぎゃーわめく男の子たちに囲まれて女の子はますます緊張の度合いを深めてしまった。俯いて何も言えなくなってしまう。本当ならここで剣太郎がいさめるべきなのだろうが…やっぱり動けないままだった。
「こっちに用あんの?」
「あっ、はい…」
「んじゃ中に入ってよ」
「あーじゃあ俺茶入れるわ」
部長の代わりに彼らが場を仕切り始める。ここでもすでに六角中のチームワークは完璧だった。
 壊れ欠けた椅子を彼女に勧め、全員がその向側に立った。剣太郎は一応部長として真ん中に座らされたものの、一体何をして良いのかわかっていない。
「マネージャー志望?」
事情を聞いた全員が一斉に叫んだ。
「はい…。あの募集はないのでしょうか」
「そんなことはないけれども…参ったな」
(ちっとも参った顔してないぞ、剣太郎!)
鼻の下を伸ばしたままの剣太郎を見て、誰もがそう思った。
「しかしどうしてここに?」
「私、つい最近近所に引っ越してきたばかりなんです。知っている人もいなくて心細くて…人見知りしてしまうのも行けないんですけれど、でもこのままじゃいけないなって思ってて…」
彼女は自分の弱点をよく知っているタイプなのだろう。確かにそんな雰囲気はありそうだ。でも彼らへの受け答えは立派なものだったし、頭も良いのだろう。
「自分で何かを始めなくては駄目だろうって思ったんです。そしたらここの皆さんが明るくてとても楽しそうで…もしかしたらお仲間にしてもらえるんじゃないのかなって」
 彼女の口からはテニスに対する言葉はあまり出てこない。しかしその希望を拒否しようと考える者はいなかった。『なんとかしてやりたい…』、彼らの親分気質で仲間意識の強い部分が早速働き始めたようである。
「入れてやろうぜ、剣太郎」
「そうそう。テニスのことならこれから覚えればいいじゃん」
「俺らも面倒見るようにするからさ」
どっちがマネージャーなのやら…という発言もあるが、本人たちはいたって大まじめのようだ。
「ちょっと、ちょっと待ってよ」
「駄目…ですか?」
剣太郎に対する女の子の消え入りそうな声で部室の中が一気に静まり返る。
「駄目だなんて言っていないよ、絶対に言っていない…なんかみんな勘違いしているように聞こえたからさ。えっと…歓迎するよ。僕もこれまでマネージャーって入れたことないからわからないことも多いと思うけれど、それでもいいのなら」
「やあったぁぁぁーーーっっ!!」
新入部員たちが一斉に被っていた学生帽を部室の天井へと放り投げる。その様子を見て、女の子は初めて笑顔を見せた。直感でここに来てみたものの、それは決して間違っていなかったのだ。
「僕は部長で三年の葵剣太郎。君の名前は?」
「日生新菜です。よろしくお願いします」 
 
 
 
 
 剣太郎に好きな女の子が出来たらしい…この噂は後輩たちの手によって六角OBの間を駆けめぐり、彼を実の弟のように可愛がっていた連中が日々部室を訪問するという事態を招いていた。無論尊敬する先輩たちの来訪を部長は歓迎し、彼らの本音には一切気がついていないらしい。新学期が始まって数週間、ようやく軌道に乗り始めたテニス部に今日も誰かがやってきていた。
「やあ、久しぶり」
「差し入れ持ってきたぜー」
佐伯虎次郎と黒羽春風は、いずれも剣太郎が一年生だった頃に共に全国へと行った仲間である。その優しくて親しめる性格から特に人気の高い生徒だった。今はそれぞれに高校へと進学し、どちらもテニス部の主力として活躍している。
「それにしても…別な部屋に来たみたいだな」
 ここは本当に自分がかつて在籍したテニス部の部室なのだろうか。2人はあたりを見回して小さくため息をつく。いかにも男子部の部室! といった感じの部屋がもの凄く綺麗になっていたからだ。ロッカーの落書きも全て拭き取られ、部屋全体も掃除が行き届いていた。電子レンジや調味料類や潮干狩り用のバケツなども目隠しカーテン付きの整理棚に置かれている。その上には先輩たちの勲章である優勝カップやメダルなどがようやく居場所を確保されて年代順に並んでいた。
「なんつーか、かつての部室が思い出せないんだけど…」
「そのとおりだな。マネージャーがいるといないとじゃ、ここまで差がつくものなのか」
 自然と自分たちの中学時代が思い出される。確かにテニスと海遊びに明け暮れた楽しい毎日だった。でも現在の剣太郎の環境と比べると色あせて見えてしまうのはどうしてなのだろうか。ちなみに佐伯が進学したのは県内でも有数の進学校で、男子の数が女子の3倍はいた。黒羽の進学先はスポーツ名門の男子校。どちらも未だに潤いに欠けていた。
「そんで、剣太郎自身はどこにいるんだ?」
「サエが本当に会いたがっているのは新菜の方だろ?」
後輩に図星をさされて絶句する。部室はひととき懐かしい笑い声に包まれた。
「まあまあ…凄く可愛い子だって樹っちゃんも言っていたしな。期待だってしちまうもんだろ?」
「それがすげーのよバネさん。一見なーんにも出来なさそうに見えるのに、めちゃくちゃパワフルなんだぜ。山盛り洗濯もあっと言う間にこなしちゃうし、ラケットやボールも一人で山ほど持ち上げるんだ。手先も器用で頭もいいし、気だてもいいしさ。他の運動部の連中が羨ましがっているよ」
 その表現が決して大げさではないのは部室の変わり様で充分にわかる。今ではあのオジィでさえ実の孫のような可愛がりようなのだそうだ。ベンチで自分の隣に彼女を座らせてご満悦な様子の老人の姿が目に浮かぶ…ような気がする。つくづく自分たちの時にどうして…と思う来客2人組なのであった。
「でもそんなに良い子を剣太郎に譲ってもいいのか?」
部員たちに佐伯はちょっと意地悪な質問をしてみた。
「いいんだよ、それで」
「はぁ?」
「剣太郎にとってはきっとこれが初恋だろ? 温かい目で見守ってやるのが友情ってもんだよ」
その場にいた全員が同じ意見のようだ。まるで家族のような温かさがここにはある。それを聞いた2人もホッとしたようだ。
「ところで2人はどうなんだよ。彼女出来たの?」
「俺達そっちの方がすっげー心配なんだけど」
「「うっ…」」
とたんに無口になる2人を見て、やはり家族な人々は苦い溜め息をつく。
「仕方ないな。ダビデか樹ちゃんに連絡とって合コンの計画でも立ててあげようか?」
「「オネガイシマス…」」
 
 
 
 
 
 
 都合で部に出てこられない顧問のオジィの元へ練習について相談しに行っていた2人が慌てて部室へと戻ってくる。
「あれ…?」
中からいつも以上に賑やかな声が聞こえてくる。でもそれは部員たちだけのものとは思えなくて…。
「お客さんが来ているみたいですね」
「この声はサエさんとバネさんだっ!」
不思議そうにしていた新菜にも、その名前には心当たりがあった。
「卒業した先輩たちですか?」
「うん。俺の自慢の兄貴たちだよ」
剣太郎はにっこりと笑って彼女の手を取った。
「日生ちゃんにも紹介するよ。行こう!」
部に慣れても彼女の人見知りが完治したわけではない。初めて会う先輩に恐怖心もなんとなく残っていた。でも自分の手を引いてくれる人の笑顔が『大丈夫だよ』と言ってくれているようで、自然と自分も笑顔で行こうという気持ちになる。
「そうですね部長」
手を繋いで部室へと向かう2人を周りの全てが優しく見守っていた。
 
 
 
 
 ーねえみんな…僕さ、あの時から自分の青春が始まったような気がするんだー
 
 
 
 
END
 
 
 
 
誕生日に遅れてしまってごめん! 本人に本気で恨まれていそうな剣太郎くんの話でした。これは彼が三年生になった頃を想定してのちょっとした近未来設定になっています。この子は根は明るくてとても良い子なのに、どこか空回りしている部分があるので、あえてちょっと成長した姿を書いてみたかったのでした。
 
 
 
 
イメージソング   『ドラマチックに』   シャ乱Q
更新日時:
2004/12/26
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Last updated: 2010/5/14