365 TITLE

        
23      伝説の時代   (切原赤也   マネージャー設定)
 
 
 
 
 
 ノックもなしにバンと乱暴に開かれた扉に、その場にいた全員が振り返る。
「ちょっと出てこいよ! すげーんだって」
大声で叫ぶ少年は、興奮のあまり髪の毛と同じくらい真っ赤に頬を染めている。
「どうしたんだよ、ブン太」
中にいたのは丸井ブン太と同じ学年の3人だった。仁王雅治・柳生比呂士・ジャッカル桑原…のちに立海大附属中学のレギュラーになる面々である。
「一年のガキがな、あの3人に喧嘩売りやがった」
「なんだって!?」
 彼らはそれぞれお互いの顔を見合わせる。ブン太が言ったあの3人というのは、同じ学年の幸村・真田・柳のことだ。一年次からレギュラーメンバーとして活躍し、すでに全国の舞台に立っている彼らは最早自分たちとはレベルが違う。そんな連中に立ち向かう者がいるというだけで背中が寒くなってくる。
「どんな一年だ、そりゃ」
「行ってみるか?」
「…そうですね」
4人はまるで放たれた弾丸のように勢いよく部室から飛び出して行った。
 
 
 
 
 事の始まりは男子テニス部顧問のこんな発言だった。
「なんならやってみるか? あの3人と」
その場にいた者全員がざわめき始める。一番顔を青くしていたのは、部長を初めとする三年のレギュラー陣だろう。事の成り行きを冷静に見ていたのは、言った本人と言われた本人と言い渡された3人だけだった。
「俺はちっともかまわないッスよ。もっともこの人たちが逃げなければの話ですけどね」
少年の挑戦的な言葉に、まずは真田が何かを言いたそうに一歩を踏み出す。しかしそれを隣に立っていた幸村が止めた。
「俺達もかまいませんよ。なんなら3人同時に相手をしましょうか?」
それは相手の自尊心をかき立てるには充分な言葉だった。
「へえー、あんたなかなか話わかるみたいじゃん」
 全国クラスの相手3人を敵に回す…それはもう想像の域を越えている行為だ。そのビリビリした空気は監督の隣に控えていたマネージャーたちにも伝わってくる。その中にいた日生新菜も拳をギュッと握りしめながら、それでもこれらの行為を止めることが出来ずにいた。
(一体どうなるの…)
「それでは4人共コートに入れ」
監督の言葉に全員が従う。おそらくはほとんどの部員がそうであったように、新菜も一年の切原という選手から目をそらせずにいた。この勝負は初めから結果が見えていたようなものだろう。あの3人は決して手加減はしない。幸村が先に口を開いたのにはそういう意味がある。しかしそれをあえて見たいと思うのは、彼に未知なる力があるのだと信じているからだろうか。しかし…。
「クソーッ、絶対ぇお前ら3人まとめて倒してやるからな!!」
相当興奮しているのか、その目が真っ赤に充血している。
「No1は俺だぁ!!」
 事の様子を見ている3人の反応もそれぞれだ。苦々しい顔をしている真田の隣に立つ柳は、どうやらすでに相手のデータを脳裏で弾き出しているようだ。それらとは反対に頼もしい後輩の登場に幸村は笑みを隠さない。
「…日生」
「はっ、はいっ」
ベンチの隣にいた監督が声をかける。ぼんやりと彼らの様子を眺めていた新菜の体がピクッと跳ね上がった。
「あの一年のガキ…なんて名前だ」
「切原赤也くんです」
「そうか。随分と面白い奴が入ってきたもんだな」
ククッと声を出して笑う様子は本当に楽しそうだ。
「去年あの3人が入部してきた時、俺は全国制覇が現実になると確信した。しかし…こんな感じでワクワクする事はなかったな」
「監督…?」
彼はゆっくりと立ち上がると、そのまま興奮冷めやらぬコートへと向かった。そしてまずは3人に声をかけた。
「ご苦労さん。休憩の後、各自の練習に戻れ」
「はい」
 去ってゆく3人を見送った後、一人でコートの上にうずくまっている者へと視線を移す。立ち上がる力さえないくせに、目だけがギラギラと輝いていた。監督という存在さえ、決して認めていないのだと言いたげに。
「…面白い奴だな、お前」
一年生に凄まれても少しも怖いとは思わない。ある意味先輩たちとは違った迫力を持って立ちふさがる。
「気に入ったよ。お前は俺が日本で一番高い位置まで登らせてやる。ただし、相応の地獄は見てもらうことになるだろうがな」
 
 
 
 
 
 
 まだ体の震えが止まらぬ彼女の肩を、誰かがポンと叩いた。
「大丈夫? 日生…」
先程までコートの上にいた3人のうちの一人が心配そうに覗き込んでいる。
「幸村くん…」
「随分と驚かせてしまったみたいだね。女の子に見せられる試合じゃなかったかな」
しかし新菜はそれを否定するかのように首を横に振った。
「見ているのが怖かったのは本当だったの。でも目をそらすことは出来なかった。結果はわかっていたはずなのに、これからどうなるのかと思ったら…さっき監督がワクワクしながら見ていたって言ってた。私もきっと同じことを考えていたんだと思う」
「なるほどね」
「本当はこうなることを幸村くんは知っていたんじゃないの? だからあえてこの勝負を受けたんじゃないの?」
しかし問われた本人は何も言わずに曖昧に微笑んだだけだった。
 そんな幸村とは反対に、まだ興奮を体内に宿している者もいる。被っていた帽子の鍔を整えながら、それでも口調はとても厳しかった。
「確かに非凡な才があることは認めよう。しかし何も知らぬ相手に対して勝負を挑むというのは愚かだとしか言いようがない。感情をコントロールする術を学ばなくては、我々の前に立つ資格さえないだろう」
「だが俺達の持つ力をそのまま受け継ぐ後輩がいるということは、頼もしいことだとは思わないか?」
一年次からプレイヤーとしてだけではなくチームのブレーンとして惜しみなくそのデータを提供してきた柳は、切原赤也という男の実力だけではなくその可能性までも読みとっていたのだろう。その意見に反論する者はいない。
「…急いでタオルとドリンクを持って行った方がいいんじゃないか?」
未だ夢から冷めていないかのような新菜に向かって幸村が声をかける。
「そうだ!! ごめん…行ってくるね」
「あそこで固まっている一年たちにも、各自の練習に戻るよう伝えてくれ」
「わかったー」
 バタバタと走って行く新菜を見送りながら、3人はそれぞれ苦笑する。
「…日生はあの一年のことを随分と気に入ったようだな」
「蓮二、妬いてる?」
「いや、そういうことはないが…ただ深く関わりすぎると日生自身も厄介ごとに巻き込まれそうな気がしてな」
一度興味を持った存在にはとことん突き詰めるような真似をする少女である。もっともそのことで救われた部員たちも多いようだが。
「それは日生だけだとは限らないだろう? 監督もあの一年のことは随分とお気に召した様子だ」
幸村精市は日頃の穏やかさが嘘であるかのように、意味深なニヤリとした笑顔を浮かべる。赤也と同様に自分たちもとんでもない地獄を見せられることになるのだろう。しかしそれは一人の優秀な選手を育てることに繋がり、しいては全国連覇の数字を更に大きくしてゆくことに繋がってゆくのだ。
「ああいうタイプの人間はね、たとえ自覚がなかったとしても、周りの全てを巻き込まずにはいられないんだよ」 
 
 
 
 
 コートの外にあるベンチに一年の部員たちが固まっている。彼らの真ん中にはやはり切原赤也の姿があった。決して誉められる試合内容ではなかったものの、鬼才と呼ばれる3人に挑んでいった存在はやはり彼らの中ではヒーローの扱いなのだろう。誰も試合結果を咎めたりはしない。心配するような声もいくつか聞かれたが、疲れ切った体とプライドを砕かれた心にはなかなか通じないようだった。本人もいっそのこと散ってくれたらと思ったその時、女の子の小さな声が聞こえてきた。
「ごめんなさい…通してっ」
しかしその声を真剣に聞く者はいなかった。それは彼女が年のわりに子供っぽい外見のせいだろう。
「あんた、誰」
赤也が先にそう言った。
「ごめんなさい、私二年でマネージャーをしている日生っていいます」
 それを聞いた周りの一年生たちは、慌てて彼女の目の前に花道を作る。まさか先輩だとは思わなかったのか、全員の表情に焦りの色が濃く見られた。
「ありがとう。それから先輩から早く練習に戻るようにと指示が出ていますよ」
「わかりましたっっ」
まるで蜘蛛の子を散らしたかのように各自が戻ってゆく。そしてそこに二人だけが残った。
「何か用ッスか」
ぶっきらぼうな声だった。それだけで自分の存在が否定されていることがわかる。確かに今は周りでブツブツ言われたくはないだろうけれど。
「あのっ、タオルとドリンクを…」
新菜が差し出したものを、そのままの表情で受け取る。タオルは首にかけて、ドリンクには手をつけぬままフーッと溜め息をついた。
「…あんたもみっともないと思ってんだろ」
「私はそんな…」
「自分で勝手に突っ走って、挙げ句のはてにボロボロに情けないくらいにやられて…」
 彼にもこんなに普通の一面があったとは。信じられない気持ちがして、新菜はひたすら顔を隠してしまっている彼を見ていた。
「でも、これでよかったんだと思うよ?」
「ああ!?」
「あの試合で切原くんのデータは、全てあの3人の頭に入ったと思う。これからどうしてゆけばいいのかは、きっと先輩たちが教えてくれるよ」
赤也はガパッと立ち上がると、新菜のギリギリまで近づいてギロッと睨み付けた。女の子でなければ殴りつけられていたかもしれない。
「何言ってんだ? 俺はあいつらと戦う為にここに来たんだ!」
「それでも!!」
 思いがけず出た大声に、今度は赤也が言葉を失う。
「同じベンチにいるからこそわかることってあるんじゃないかな。気持ちだけではあの3人に勝てないってことは、たった今充分すぎるほど思い知らされたんじゃないの?」
声は泣き声に近いのに、表情で必死に笑顔を作ろうとする。それを見ているとまるで自分も泣いているような、悔しいとも悲しいとも言えない気持ちになってきた。
「俺っ…」
「切原くんはここできっと強くなる。そして監督の言った通りに中学テニス界の一番高い場所に行けるよ。今はそっちの方が大切なんだと思う…これから一緒に頑張っていこうね」
「…はい」
この日、赤也は先輩と名の付く存在に初めて自分から頭を下げた。
「これから…どうぞよろしくお願いします」
 
 
 
 その場面にこの男が出てくるのは当然だったかもしれない。追いつめられたこの状況の中で突破口を開ける、おそらくは唯一の可能性だったからだ。かつて九州地方の二強の一人に数えられ、そして僅かな期間で無名の中学をトップクラスの実力の主へと叩き上げた者である。ダブルスで二敗を喫した後、仲間たちの悲痛な思いを背にして彼はその場所に立った。しかし…。
「アンタ、九州の獅子楽中の橘さんでしょ。確かー九州二強の一人だったんだよね」
相手のその表情は無邪気ともとれたし、自分の胸の内をえぐり出そうとする挑発的な笑みにも見える。よもやあの立海大付属中が…幸村不在の穴をこのような男で埋めてくるとは思わなかった。だからといって橘桔平の眉を動かすことは出来なかったのだが。
「それがどうした」
「ふーん、まあいいや」
 それを生意気の一言と片づけるのは簡単だろう。自分が率いる部員たちだって血気盛んな二年生ばかりだ。しかしこの男…切原赤也を彼らと同列に扱っていいものなのか。勝負を始める前から勝利を確信しているかのような激しい視線…それは不動峰だけではなく、立海の選手からも見られないものだ。
「今大会最速試合、何分か知ってる? 14分09秒……まあ、俺の記録なんだけどね」
ラケットを握り直し、そして再び不敵な笑みを浮かべた。
「13分台でやらせてもらうよ」 
 
 
 
 
 その瞬間、『野望』は『伝説』と名前を変えて、この地に降臨を果たす…
 
 
 
 
END
 
 
 
 
赤也が一年の時に、3人の鬼才に挑んだ時のエピソードでした。あの頃のちんちくりん赤也くんも可愛くて大好きな私。
 
 
 
 
イメージソング   『さまよえる蒼い弾丸』   B’z
更新日時:
2004/09/12
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Last updated: 2010/5/14