365 TITLE

        
1      卒業   (切原赤也   マネージャー設定)
 
 
 
 
 
 はらはらと時折雪が舞う時期はとうに過ぎ、花々や大木の芽もゆっくりと膨らみ始めてきた。年度末という時期を迎えると学生と名の付く者たちはそろって新しい環境への準備を開始することになる。この日本という国の中では、それが椿川学院であろうと比嘉中であろうと変わりはない。そして神奈川の立海大附属中学もまた、新たな旅立ちの時期を迎えての甘くてやるせない感じの時が流れていた。
「でもだからってメンツは変わんねーんだろぃ?」
「まあ、そうみたいだな」
 いつものようにフーセンガムを膨らませる少年の隣でスキンヘッドの彼がそう言った。この学校は一定以上の成績を取っていればエスカレーター式で高校・大学へと進むことが出来る。もちろんその『一定』というのが世間一般と比べたら遙かに高いことは言うまでもないのだが。実際ブン太もこれには存分に苦しめられ続け、数カ国語はペラペラのジャッカルに迷惑をかけてきたのだが、そんなものは進路が決定した時点で全ては記憶の彼方に飛んでいた。
「どーせテニス部に入ったって変わりばえしねーんだろうし」
「バーカ、レギュラーになるまでまた大変な思いをしなきゃなんねーってのが抜けてるぞ。俺達は幸村たちとは違うんだからな」
「うっせーぞ、ジャッカルのくせに」
「…なんだそりゃ」
 立海の進路は、高校の他にもう一つ工業高等学校というのもある。しかし彼らの友人・知人のほとんどは前者を選択したようだ。一時期入院生活を送っていた幸村精市ともまた長い付き合いが出来そうで、ホッとしたことも記憶に新しい。
「ただ…赤也を残してゆくのが心配というか、不安というか」
「幸村の話だと、部長としての自覚も出てきたらしいけどな」
「本当にそう思うか?」
「………」
2人の脳裏に、人なつっこい部分と喧嘩売り買い放題の部分を合わせ持つ一才年下の少年の姿が浮かんでくる。
「時々様子を見に行った方がいいな」
「やっぱり」
 がっくりと項垂れてしまった2人の前に知った顔が訪れる。
「何やっとるんじゃ、おまんらは」
「仁王? …柳生…」
「そろそろ約束の時間ですよ。遅れるとかえってご迷惑をかけることになります」
すっかり忘れていたが、今日は男子テニス部が卒業する先輩を招いての送別会が開催されるのだ。去年までは自分たちが見送る側だったが、今年はいよいよ去る立場になるのだ。特にこれまでお目付役のようなものだった真田が準備段階で不在なのだから、一体どのような状況になるのかは想像がつく。内心それも楽しみでならなかった。
「ほら、置いて行くぞ」
「お前だって忘れていただろうが」
まるで尾を引くように少年たちの声が廊下まで響いてゆく。しかしそれらを見送った後の教室は、すぐに何もなかったかのような静けさを取り戻したのだった。
 
 
 
 
 男子テニス部の追い出し…もとい送別会は、卒業式の前日に行われるのが恒例だった。しんみりしやすい空気をなごませるという後輩たちの心遣いもあったし、春休みに入ってしまえば卒業生のほぼ全員が高等学校の練習に参加することになるから、都合の良い日はどうしても限られてしまうのだろう。かつての三年のレギュラー陣も自然と全員そろうような感じで部室の前に立っていた。しかし中からはまだ準備をしているかのように、賑やかな笑い声が聞こえてくる。
「何をしているのだ一体…たるんどる!」
そう言う真田にとって、ここは第二の教室であり自室のようなものだ。勝手を承知しながら扉を開ける。
「あっ、いらっしゃーいっ」
 聞こえてきたのは明るくてのんびりとした女の子の声だ。彼らと同じくここを第二の教室としている三年生のマネージャーだった日生新菜が、後輩たちと一緒にテーブルセッティングをしている。
「日生!?」
「…何をしているのだ、お前は!」
「何って、お手伝いだよ?」
特に悪びれた様子もなく、にっこりと笑う。しかし3年間この部の影として頑張ってきた彼女にはその姿がよく似合っていた。
「なんとなく身の置き場がなかったのかな?」
「幸村くん…」
「つーか、早く来たならそんだけ赤也と長くいられるってことだろぃ?」
ブン太の一言に新菜の顔が真っ赤になる。その分かり易い反応に、学年問わず部員たちも笑い出した。
「やめてよ、もうっ」
 そう言いながら決して反論出来ないのは、その二つの説がどちらも事実なのだからだろう。現在の男子テニス部部長の切原赤也とはとても仲の良い恋人同士だったからだ。その様子はもはや男子テニス部の名物と言ってもいいほどだ。
「それで、その赤也はどこにいるんだ?」
柳の言葉に後輩たちは困ったように顔を見合わせる。
「まだ来る気配がないんですよ。またどこかで呼び出しくらっていなければいいんですけれど」
その『呼び出し』という言葉には色々な意味が含まれている。勉強のことで教師から…というのもあれば、女の子から告白されるというパターンもある。でも彼に一番似合っているのは校舎裏に…。
「まったく、あの男に部長としての自覚はあるのか」
この日でさえ大声を張り上げようとする真田を幸村が押さえる。
「いいじゃないか。特に問題を起こしているわけじゃないんだろう?」
幸村はそのことを確かめるように、わざと新菜の方を見た。すると彼女はその場を収めようというつもりは微塵もないくせに、自然とそうなってしまう柔らかな微笑みを見せる。
「先に始めていても文句は言わないとおもうけど。今の赤也ならね」
 そういう問題でもないのだが…とみんなが思った次の瞬間、後輩たちに声がかかった。
「早く準備を終わらせなくちゃね。先輩たちを待たせるのも、お手伝いをお願いするのも申し訳ないから」
「はいっ」
引退して半年が過ぎても、彼女のここでの立場は変わらないようだ。しかしその様子にどこか無理をしている面があるのだと気付く者もいない。くるくるとよく動く本人でさえ、何故そうしているのか…そしてどうしてそこまでしなくてはならないのか…真実を胸の中にしまい込んでいることにさえ気が付いていないのだから。
 
 
 
 
 
 結局仕度が整って顧問教師がに訪れた後でも、現部長が来ることはなかった。遅刻が得意なあの男らしいと全員が納得する。
「あいつを待っていると日が暮れるぞ。先に始めてしまわないか?」
監督の鶴の一声で皆が手元の飲み物入り紙コップを手にする。乾杯の音頭は現副部長が緊張した面持ちで引き受けた。
「先輩方、この度は卒業おめでとうございます。これまで中心となって男子テニス部を支えて下さって本当にありがとうございました。中学・高校共にこの立海大附属の男子テニス部が王者として君臨し続けることを願って…」
その言葉に全員がコップを高々と掲げる。副部長の口調は穏やかなものだったが、その言葉はこの場に情熱の炎を放ったのと同じ意味があった。今は先輩と後輩、レギュラーと補欠、卒業生と在校生などという垣根はまったく存在しない。
「乾杯!」
 それからの宴は賑やかの一言だった。見送られる側に立てば真田の点も甘くなってしまうのは仕方ないのだろう。しかし先程から全国の話やテニスののアドバイスを求める者たちに、柳や柳生と一緒になって話して聞かせている。また唯一適度なアルコールを許されている顧問が、三年生の思わず布団を被って耳を塞ぎたくなるような思い出話を暴露しては笑いを誘っていた。
 しばらくして、いよいよ三年生たちが一言ずつ今回の礼と挨拶を述べる時間がやってきた。まず前部長の幸村を中心とするレギュラー陣からの励ましのコメントから始まり、次に全国のコートの上には立てなかったとしても3年間厳しい練習に耐えてきた部員たちへと続く。いずれも王者の名を支え続けた尊敬すべき者たちの姿だった。そんな仲間を見守りながら新菜の目にも涙が光る。
「それじゃ、マネージャーからも一言もらおうか」
突然の幸村の言葉にも気が付いていない。何度か背をつつかれて初めて我に返る。
「えっ? なんで…」
「一緒に頑張ってきた仲間だからね。それに後輩のマネージャーたちも一言もらいたがっているんじゃないか?」
振り返ると一緒に立っている少女たちも頷いている。でも…と言いかけた時にはすでに舞台の中央に押し上げられていた。
「3年間本当にお世話になってばかりで…反対に失敗ばかりで迷惑ばかりかけてきたから…」
正直なところ、理想的なマネージャーとは程遠かったと自分でも思う。ただ皆を追いかけるだけで精一杯だった。しかし彼女の持つ温かな雰囲気が王者故の緊張感をほぐしてくれていたことは知らない。
 新菜の脳裏に3年間の思い出が蘇っては消えてゆく。悲しみと喜びの両方に彩られた大切な日々…しかしその傍らにはかならずあの人がいてくれて…。
『先輩! 日生先輩!』
自分を呼ぶ声は時に明るく元気に、時に泣き出しそうなほどに幼く聞こえ、そのたびに何度も彼の体を抱きしめていたことを思い出す。しかしそれらの行為に反して成長の速度は信じられないほどに速かった。二年生で唯一獲得したレギュラー選手としての後ろ姿を何度も祈りながら見守っていた。
(赤也…)
その名前を心の中で呼びかけると、心臓の音と一緒に体がドクッと動く。すると今まで気が付かないふりをしていた現実が迫ってきたような気がした。
(もう、会えなくなる…)
新菜の言葉は完全に止まり、その姿を見ていた全員も黙り込んでしまう。その時、その雰囲気を破るかのように部室のドアが大きく開け放たれた。
「ちょっと、俺の可愛い人泣かせたの誰よ?」
 入部当時から変わらない明るくて少し生意気な口調の主は、立海大附属中学男子テニス部を引っ張っている現在の部長だった。二年の中でも唯一全国の厳しさと激しさを知っている人間である。
「赤也!?」
一年生と二年生は突然の登場に驚き、そして三年生はもう慣れっこのように苦笑する。しかし本人はそれらを気に止めず、舞台の上で涙ぐむ女の子の前に立った。まるでお姫様の危機に駆けつけた騎士のように。
「どうした? 誰に泣かされた?」
「あっ…私…」
泣かされたわけではないと必死に言い訳をしようとする。でも涙が阻んで声にならない。その時、彼女の本心を代弁する厳しい声が飛んできた。
「まさか俺達が泣かせたと思っているんじゃないだろうな?」
「たるんどるぞ、赤也!」
「自分が遅れてきたことで悲しい思いをさせたことは棚上げか。相変わらずだな、お前は」
 3人の鬼才はそう言いながらニヤニヤと笑っている。そう言われたなら赤也としても同じように笑い返すしかない。
「ここじゃ春通り越して夏になってるな」
「ほーんと、お熱いことで」
かつてのD2の言葉にD1も続く。
「前代未聞の駆け落ち事件を目撃出来るかもしれんの」
「まったくです」
新菜は呆然として赤也と彼らを交互に見つめる。当然周りのクスクスといった笑い声が聞こえてきていた。
「そんじゃ、お言葉に甘えて」
赤也は新菜の腕を強引に引き寄せる。すると見方によっては抱きしめるような格好になった。その様子が浮かれている連中を更に有頂天にさせた。
「…行くぜ?」
「えっ…きゃああーーーっっ!??」
開けられたままの扉に向かって、赤也は新菜の手を引いたまま駆けだしてゆく。遙か彼方に消えてゆく2人の姿を仲間たちが歓声と共に見送った。
 
 
 
 
 部室から勢いに任せて彼女の手を引いて走り出した後、辿り着いたのは校舎の中央にある中庭だった。目の前に見える大木に片手をついて立ち止まりながら息を整える。
「ごめ…大丈夫?」
抜群の運動神経を誇る赤也と違って、新菜は走る行為さえ得意ではない。涙と乱れる呼吸がごっちゃになっているようだ。本人は『大丈夫』だと言いたそうにしているが…説得力は皆無だ。赤也はそのまま彼女の腕を引き寄せて自分の胸に強く抱きしめた。
「大丈夫…?」
自分とは違うサラサラの髪を撫でながら、もう一度同じ事を聞いた。すると新菜は彼の制服に顔を埋めて何度も頷いてみせる。上がっていた息は落ち着いたように見えても溢れる涙は止めようがない。カタカタと体が震え、彼の制服に涙の冷たい感触が伝わってきた。それをわざと染み込ませるかのように抱きしめる力が更に強くなった。
 いつかはこういう日が来るだろうということを実は赤也は随分と以前から覚悟していた。自分が一つ年下ならば、そして彼女が一つ年上ならば、必ず卒業という壁に阻まれる。しかしそういう現実があるからこそ『安易に引き裂かれてたまるか』と歯を食いしばり、足をしっかり地につけなければと思っていた。その分おっとりとした新菜の様子が時に歯がゆくもあったのだが。
(気が付かないふりをしていたんだな…)
 新菜の体を少しだけ離すと両手で頬を包みそっと額に口づけてみた。それは愛情の表現であり、また涙を止めるおまじないのようなものでもある。彼のテニスからは想像もつかないほどに優しくて甘い。
「卒業…したくない」
「はあ?」
「高校になんて行きたくないよ」
引退してからはそこに進む為に必死に勉強をした。高校の男子テニス部には彼らだけではなく自分の夢もあるのだと信じていたから…しかしその部室の扉を叩いても彼はいない。同じ部のマネージャーとしてコートでプレイを見守ることも出来ない。一番大切な三年の部長としての彼と同じ時間を共には出来ないのだ。
「たった一年間だから耐えられると思ってた。でも赤也のいない生活なんて考えられない…自分が思うよりもずっと一緒にいたかったんだってわかっちゃったの」
「…留年…する?」
からかうような言葉が上から降ってくる。自分は思いの丈をぶつけたつもりなのに。
「酷い…」
「ごめん、冗談…新菜ちゃんは絶対そんなことしないもんな」
 真面目で優しい、今時珍しいほどの堅実な女の子だ。周りではどうしてタイプの違うこの2人が付き合っているのかと不思議がられているくらいだった。
「新菜ちゃんさ」
2人だけの時に呼ぶ自分の名前が耳にくすぐったく感じられる。
「赤也?」
「来年は俺が高校にいる新菜ちゃんを追いかけてゆくからさ。だからあっちで待ってて」
そのためなら苦手な英語も克服しよう。テニスだってあの3人を越えられるように…彼は祈るような口調でそう言う。
「一年なんて長くないんだって、俺がそう思わせてやるから。それに…時々なら会えるだろ? あとは真田先輩みたいに高校へなぐり込みだってかけるかもよ。だからそこで変わらずマネージャーとして待ってて」
「その時は…どっち応援すればいいのかな?」
「そんなん決まってるじゃん。つーか、俺以外に誰を見るつもりでいんの?」
 確かにそうだ…新菜は小さく笑うことは出来たが、それでも溢れる涙はそのままだった。
「赤也」
「なに?」
「時々でいいから…これからもそういうこと言ってね。私は弱いから、そういう言葉を必要とするときがきっとあるから」
それらは一年という空白を一瞬で埋めてゆく魔法の言葉だった。
「OK」
彼は自分の頭の中にある数少ない英語を口にしながら、少しはにかんだように微笑んだ。
 
 
 
 
 
END
 
 
 
 
『季節外れの卒業話・イン・彼女の方が年上バージョン』でした。ちなみに遅刻の理由は…やっぱり成績のことで先生から呼び出されていたというのが一番自然なのか? この人の場合は。
 
 
 
 
イメージソング   『花』   ORANGE RANGE
更新日時:
2005/03/25
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Last updated: 2010/5/14