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40      天使   (珪×主人公 GS)
 
 
 
 
 
目を閉じると必ず思い浮かべてしまう。
全ての存在から祝福されたような、眩い幸福に満ちたあの瞬間を。
 
 
 
 
 普段は一般の立ち入りを禁止しているのであろうが、それでも授業のない週末だからと一方的な言い訳をして、葉月珪ははばたき学園敷地内にある古い教会へとやってきた。梅雨の季節でありながら珍しく晴れ渡ったその日は、空の青と周りの碧と建物の白がいつも以上に鮮やかに見える。初夏直前のやわらかな風に抱かれて、まるであの頃のように大木に寄りかかって昼寝を始めた。小鳥の鳴き声が心地よい子守歌になり、彼を幸福な眠りの世界へと誘うのだ。
 どのくらいこのようにしていただろうか。ふと時分の頭に何かが乗せられたような感覚で目を覚ます。
「ん…?」
「パパおっきしちゃった?」
そこには自分をじっと見上げている緑色の瞳の女の子がいた。
「大丈夫…ごめんな。どのくらい寝ていた?」
「知らないっ。愛奈が遊んでいたらもう寝ていたの。だからパパが起きないように1人で遊んでいたの」
にこにこ笑う女の子と反対に、珪はどっぷり自己嫌悪に陥る。まだ四才になったばかりの娘を放っておくような形で眠っていたのだ。この世の中では誰かに誘拐されたりする可能性も少なくないはずなのに。
「大丈夫だもーん。1人でどこかに行っちゃ駄目だってママも言ってたし。パパが風に飛ばされないように愛奈が見ているからねー」
愛奈の口から飛び出すそのちょっとおませな口調はあの頃の彼女にそっくりだった。
 愛する人との間に生まれたちっちゃな双子の片割れである。もう一人の天使が今日は腹痛で母親と一緒に病院に出かけたので、寂しそうにしていたこの子を散歩に連れ出したのだ。
「ねえパパ、見て見てー」
愛奈は珪の膝から降りると、自分の全身が見える程度の位置まで走って行った。
「愛奈可愛い? 可愛く見える?」
シンプルな白いワンピースとレースの付いた靴下、そして頭の上にはおそらく父親が眠っていた間に作ったのであろうしろつめ草の花冠が乗っていた。
(まさか…)
やっぱりだった。自分の頭にも同じものが乗っている。目覚めた時の感触はこれだったのだろう。双子でも女の子の方は無条件に母親に似るものだと勝手に思っていたが、父親と同じ金色の髪と緑色の瞳を受け継いだのは弟の詩音ではなくこの子の方だった。それは手先の器用さも同様らしい。
「パパってば!」
「ああ…可愛いよ。まるでお姫様みたいだ」
 父親が褒めてくれるのは当たり前だと思っていただろうが、それでも今回は事情が違っていた。女の子が欲しかったのはその言葉ではなかったのだ。まあるいほっぺたがプッと膨らむ。
「ちがうもん! お姫様じゃなくてっ、お嫁さんだもんっ」
「およめ…」
「この前なつみおねーちゃんの結婚式に行ったでしょ? おねーちゃん真っ白なドレス着ててとっても綺麗だったから、だから愛奈も決めたの! 大きくなったら絶対にお嫁さんになるんだーって」
そう言い切って、ドレスのようにスカートの裾をつまんでお辞儀をする。
(そういえば、そんなこともあったな…)
もっとも父親が見ていたのは、花嫁のヴェールを持って一緒にバージンロードを歩く双子たちだけだったのだが。
「愛奈ねえ、なつみおねーちゃんより綺麗?」
「そうかもな」
そんないまいち頼りない返事を返してしまった。
 葉月珪にとって…正式に結婚式と呼べるのはこれまでもこれからもたった一つしか存在しない。青い空と野の緑が緑が美しく栄えたあの日、彼女は美しい純白のドレスを自分のためだけに着てくれたのだ。その事実が今後覆されることがあるとしたら…おそらく二十年は先のこの子が旅立つその時なのかもしれない。
「早く大人になりたいなー。白いドレスを着て、こーんなに長いレースを被って、大きな花束を持って…」
愛奈はまた甘えるように珪の膝の上に戻ってきた。
「あまり慌てるな」
「だって、今すぐだっていいもん」
自分とお揃いの花冠を乗せた女の子の、唯一母親から受け継いだであろうサラサラの髪に触れる。
「その時が来たら、ちゃんとパパがお婿さんのところまで連れていってやるから」
 その時、懐に収めていた携帯電話が音をたてた。それを手に短い会話をしている父を愛奈はじっと見ている。
「おでんわ、誰から?」
「ママから。病院が終わったから迎えに来てくれって」
「詩音くん大丈夫だったの?」
「冷たいものを食べ過ぎたらしい。愛奈も気をつけろ」
「は・あ・いっ」
未来の花嫁さんは四才の天使様に再び戻って、誇らしげに父親の才能溢れる大きな手を握りしめた。
 
 
 
 
END
 
 
 
 
イメージソング   『白いカイト』 MY LITTLE LOVER
更新日時:
2003/06/23
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Last updated: 2010/5/12