学園祭の王子様

1      夢で逢えたら   (切原赤也)
 
 
 
 
 
 真夏の日射しが射し込み、蒸し蒸しとした男たちの熱気で満たされ、その上に露店の装飾の為の塗料や接着剤が山のように使われ、みんなが作業に夢中になっているせいか満足に換気も出来ていない部屋があったとする。そこに朝からあちこち走り回ったお疲れ気味の女の子が入ってきたとしたら?
「お疲れさまでーす、助っ人に…」
そう言いながら扉を開けて入ってきたのは、男子テニス部に派遣された実行委員の少女だった。広瀬静…サラサラの茶色の髪を持つなかなか可愛らしい子である。しかし立海大附属中学の中で彼女が得た名声は『よく気がついて、よく働く』という部分の方だ。一見頼りなく感じられる風貌に初めは部員全員が一体どうなることかと思ったが、今ではあの真田弦一郎でさえ彼女をたいそう気に入っているのだという。
 しかしそこで静を襲ったのは室内を漂うムッとした最悪の空気と自身の肉体を包んでいた疲労だった。ウッと口を押さえた瞬間にまるでふわっと空中に浮いたような感覚に襲われ、そのまま勢いよく床に体を叩きつける。ドサッという鈍い音にその場にいた全員が我に返った。
「広瀬!?」
皆が慌てて駆け寄ったものの、すでに静は意識を失っていた。
「大丈夫かよ…おい!」
しかしいくら体を揺すっても反応はない。その慌ただしい雰囲気を見かけて席を外していた副部長と参謀も駆け込んできた。
「一体何があった!?」
 しかし室内の悲惨な状況に流石の2人も思わず口を押さえてしまう。だからか目の前で倒れている女の子の事情も瞬時に理解した。柳はそっと静の体を起こすと、彼女の口からスゥーという寝息を確認する。
「大丈夫だ。疲労に貧血も重なったのだろうな。実行委員の一人として我々の為に随分と動いてくれているし…弦一郎、医務室でしばらく休ませようと思うが」
「うむ…」
柳にそう言われた真田が頷きかけた瞬間、元気のいい少年の声が飛んできた。
「俺が連れていきまーっす」
その場にいた静以外の全員が声の主へと視線を向ける。しかし彼らは相手を確認してすぐに目をそらした。
「弦一郎、ここは広瀬を誰が連れて行くかということだが…」
「うむ」
「だーから俺が連れて行くって言ってんじゃないッスか!!」
 その場でじたんだを踏む少年、名は切原赤也という。立海大附属中学男子テニス部の2年の実力者であると同時に、最強の問題児でもある。女の子が倒れているという状況なのに元気良く手を上げる彼の本音はみんなにバレバレだった。
「わざわざサボりの自己申告とは随分といい度胸をしているな、赤也」
「まったく、たるんどる!」
「そんなことないんですって! 俺だってこんな部屋にしちまった責任感じているってことでしょー!?」
まるで子供のように手を振り回す姿にフーッとため息が出てくる。しかし静を早急に移動させなくてはならないことも事実だ。
「仕方ない…決して乱暴にしたりせぬようにな」
「わかってまーっす」
「遅くなったら携帯で連絡をいれるぞ」
「げっ…」
 結局しっかりと先輩たちに綱をつけられた状態で静を抱え、そのまま部屋を出ていった。
「行ってきまーっす」
その時の笑顔は見ている側がはり倒してやりたいほど上機嫌であった。
「それにしても、どうしてあいつはああ広瀬にかまいたがるんだ?」
「知らないことが花ということもあるぞ、弦一郎」
 
 
 
 
 
 医務室として生徒たちに解放されているスペースは流石に換気も行き届いており、気持ちの良い状態で過ごせるよう気が配られている。しかしどうやら貧血の他にも怪我やらで医師たちはあちこち走り回っているらしく、赤也が静を抱えて入ってきた時は中には誰もいなかった。
「うんしょ…っと」
整えられたベッドの上に少々乱暴にドカッと静を寝かせた。しかしよっぽど疲れていたのか、ちょっとやそっとの振動では目を覚まさない。
「ったく、無茶ばっかりしやがってよ」
 彼女に向けられる言葉は同学年の気安さも手伝って乱暴そのものだったが、それでも口元には本当に楽しそうな笑みが浮かんでいる。本人はまだ自分の気持ちに気が付いてはいないものの、先輩たちにからかいの話題を確実に提供しているのだった。
「まあいっか。俺も今のうちに休んでおこっと」
そんなセリフを聞いて先輩たちがどれだけ嘆くのか本人は想像もしていないに違いない。そのまま近くにあったパイプ椅子にドカッと腰を降ろす。外の作業の音が遠くからまるで夢の中の音のように聞こえてきた。
 静は胎児のように体を横向きにして縮まりながらスウスウと眠っている。寝顔もまた無邪気な子供そのものだ。そんな様子をこうして見守る役目を誰に譲る事が出来るものか。携帯が鳴り響くまでの自由時間を堪能しなければ神様にも申し訳ない。
(こうやって寝ているの見るの初めてだな。ふん…可愛い顔しやがってよ)
そう心の中で呟く赤也の鼻の下はすでにベロベロに伸びまくっていた。
「ん…」
突然の声に赤也はハッと我に返る。するとそれまで安らかに眠っていたような気がした静の手が白い布団をギュッと握りしめていることに気が付いた。
「おい…」
 こういう時は起こした方がいいのだろうか。でも疲れているのなら無茶をさせるのも可哀相だ。何をしたらよいのかわからないまま手は空中を彷徨う。
「大丈夫…か?」
しかし今度は表情も辛そうに歪んでくる。もしかしたら激しい痛みか苦しみがあるのかもしれない。自分の手におえないのなら誰かを…と思った瞬間、静の唇がまた動き始めた。
「…ら…く…」
「えっ?」
誰かを呼んでいるのだろうか。それが何なのかを知りたくてベッドの上の彼女に耳を近づける。するとふわりと甘い香りが鼻をくすぐった。
「おい、広瀬」
「きり…はら…くん…」
 心臓がドキンと跳ね上がり、体がカーッと熱くなってゆく。寝言で呼ばれているのは本当に自分の名前なのだろうか。それを心に問いかけるたびに心臓と一緒に体もバクバクしてくる。
「切原…く…ん」
「…静?」
わざと彼女を名前で呼んでみる。目を覚まして欲しいような、そうでもないような…。それでもこのまま時間が過ぎてしまえば赤也は彼女に対して何をしてしまうかわからなかった。
「切原くん…き…て」
「えっ?」
「切原くんっ、起きてーっっ!!」
ガクッ…赤也だけでなく、医務室の空間までもずっこけたように思えた。
 本当にこれは寝言なのだろうか。しかし静の形相はますます必死といった感じで、布団を掴む手の力も強くなってゆく。
「早く起きないと真田先輩が来るよっ。また怒られちゃうよ…だから起きてっ」
「だからっ、起きているっつーの」
「ごめんなさい、真田先輩っ…」
「…ったくよおっ」
赤也は彼女の額に向かって軽くチョップをかましてみた。するとそのまま眠っていた向きを変えて再びスヤスヤと眠り始めたではないか。外部から与えられた刺激によって悪夢から逃れられることが出来たらしい。しかし赤也がベッドからそのまま背を向けると、自然に肩も首もガックリと下に落ちてゆく。女の子の夢の中に自分が出てきたのは嬉しいだろうが、それと引き替えにするには少々残酷な内容だったのかもしれない。
 結局彼女はそれからすぐに目を覚まして、赤也に対し「ありがとう」と「ごめんなさい」を繰り返す事になる。しかし思春期の一番デリケートな部分を無意識に傷つけられた彼が浮上するには相当の時間が必要になるのは間違いなかった。
 
 
 
 
 「柳先輩、俺ってそんなに眠ってばっかいますかね…」
 「他に何があるんだ?」
 
 
 
 
END
 
 
 
 
発売の相当前から出ていた赤也の激可愛い居眠りスチルを見て思い浮かんだ『まだプレイしていないくせに、脳内学プリ一色』だった頃のネタであります。本編とは一切関係ありません…が、こんな二人もちょっと可愛いと思っていたり。
更新日時:
2005/12/27
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質問の提供は『広瀬静LOVE同盟』様でした。
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Last updated: 2010/5/12