REBORN!

1      ほおづえをついて   (ディーノ×凪)
 
 
 
 
 
 まぶしいほどの金色の髪と鳶色の瞳
 まるで絵本の中から飛び出してきた王子様かと思った
 「それじゃ改めて挨拶させてもらうぜ? 小さな霧の守護者殿」
 口調は砕けていたとしても その態度はとても紳士的で
 握手する手から伝わるぬくもりと 優しい笑顔
 前言撤回…その人は本当の王子様以上に魅力的で
 何気ない仕草に見とれるあまり
 私はキュンと音をたてた自分の心臓にさえ気づくことが出来ずにいたのだった
 
 
 
 
 大好きなボスの兄弟子は キャバッローネの十代目
 私よりも十才以上も年上の大人の人
 霧の守護者の代行人に過ぎない私にとっては まさに雲の上の存在で
 側にいても満足に口をきくことさえ出来ず
 ただ見つめているのが精一杯
 そんなことをしているうちに 私は人魚姫になることさえ諦めてしまった
 
 
 
 
 クリスマスを間近に控えた12月の初め頃、ボンゴレファミリー十代目ボスと彼の直属の幹部たちの周辺が急に慌ただしくなってくる。もっともそれらの行為は決して大げさにならぬよう気を使っており、気がつかない者は毎年気がつく事はない程度のものだったが…ボンゴレリングを持つ守護者の紅一点の誕生日を祝う『まったくサプライズになっていないサプライズ』の為に各自が奔走しているのだ。
 マフィア界でもトップの力を持つ女性の誕生日を祝う会ならばもっと大々的に催してもいいような気もするが、どちらかといえば控えめな彼女の性格を考えてごくごく内輪の親しい者だけが招かれるのが恒例だった。しかしその分彼女に捧げられる贈り物の数々は、まるで先を争うかのようにどんどん大がかりなものになってゆく。誕生石をあしらったネックレスと揃いのピアス、パステルカラーの花を幾重にも重ねたコサージュ、ほっそりとした身体を包むパーティー用のドレスとそれとは対照的な執務用の機能的なスーツ、トレードマークのロングブーツには髑髏形のブローチを付ける事になっていた。ピンクのリボンを首に巻いた子猫はアリスの愛猫と同じ名前が与えられて屋敷中を自由に駆けめぐっている。
 美しい愛の言葉が綴られた詩集と金細工の栞、年頃の娘の首筋で甘く香るであろう香水、有名画家が描いた蓮の花のリトグラフ…届けられた花束は部屋を埋め尽くし、イタリア中の専門店から取り寄せられたチョコレートの数々は素晴らしいを越えてすさまじい雰囲気を醸し出している。
「…ここまでしてもらうの、申し訳ない」
凪も初めの頃こそそんなことを言っていたが
「小さい頃にしてもらえなかった分を、今になってから取り返していると思えばいいよ」
というボスの言葉もあり、今ではその『まったくサプライズになっていないサプライズ』を心待ちにするようになっていた。
 そして今年もまた12月5日がやってきた。サッとカーテンを引くと、光のシャワーが全身に降り注いでくる。いつもと変わらない朝の光景…それでもなんとなく気恥ずかしいのは、今日が特別な日だとわかっているからだ。
「おはようございます、クローム様」
世話係や秘書を務める賑やかな女性陣が室内へと入ってきた。いずれも彼女と変わらない年頃なのは、人見知りでなかなか心が開けない凪の性格をボスが思いやったせいなのだろう。彼女たちは可愛らしい自分たちのマスターがすっかり気に入っており、今では友人同然の扱いをしている。年に一度の誕生日に真っ先にお祝いと祝福のキスが出来るのも彼女たちの特権だった。
「二十歳のお誕生日おめでとうございます。今日はどんな贈り物が届くのでしょうね?」
どうやら廊下を歩いている頃からその話題で盛り上がっていたらしい。
「そんなこと…誕生日を覚えてもらえているだけで十分なのに」
「でもボスや他の守護者様たちも随分と悩まれているようですよ。二十歳の記念ですもの…どうしたらクローム様の笑顔が見られるのか苦心しているのでしょう」
 和気藹々とした雰囲気の中、当日のスケジュール等の確認を済ませる。まだ若き幹部とはいえやることは山積みであり、頭に入れて置かなくてはならないことも多い。全員がその打ち合わせに没頭し始めた頃、メイドの一人が華やかな『何か』を抱きかかえて室内に入ってくる。
「ごめんなさいっ、ノックもしないで」
「うわっ…どうしたの? 綺麗な薔薇の花束」
「誕生日のプレゼントだそうです。一緒にカードも」
花束はそのまま凪に手渡される。その数は彼女の年齢と同じ、20本だった。
「一体誰から…」
一緒に贈られたカードにはイタリア語による祝福の言葉と、送り主のイニシャルが書かれている。『D』…思い当たる人間を思い浮かべると、凪の顔が花と同じ色に染まった。
(まさか…)
 しかし彼女がその人の名前を口にする前に周りが盛り上がり始める。
「これってもしかしたらキャバッローネのボスからですか?」
「うそ、あの方去年まで毎年テディ・ベアばかりを贈っていたのに」
もちろん凪は若干幼くもあり可愛くもあるテディ・ベアの贈り物でも満足していたし、彼からのプレゼントならば本当に嬉しかった。でも真っ赤な薔薇の花束は彼からもらえるのは一人前のレディと認められたかのようでくすぐったい気持ちになる。
 これを花瓶に生けるかドライフラワーにするか…しかし女性陣の悩みはこれだけに留まる事はなかった。
「失礼いたします」
「クローム様に」
「お届け物が…」
執務室に次々と誕生日プレゼントの箱が届けられる。これだけならばいつもの事だと思えるのだが。
「カード…これも全部ディーノさんからみたい」
「えっ? 他の方からじゃないんですか?」
皆が注目する中、とりあえず箱の中を開けてみようと思った。まず最初の箱からは彼女のサイズに合った藍色のドレスが出てきた。色も髪と瞳を考えてのものだろう。ふんわりとしたスカートは足を美しく見せる程度に短く、細い肩紐には薔薇の蔦がデザインされていた。小さな箱に入っていた靴もまた藍色のハイヒールで、つま先にスパンコールの飾りが付いている。揃い銀色のネックレスはダイヤモンドの十字架付きだし、揃いのブレスレットも同様だ。いずれもかなり高価な品物であることがわかる。
 花束も、ドレスも、アクセサリーの数々も…女の子が大好きなものばかりだ。無論その中に凪も入っているが、たった一人の人が贈るには常軌を逸した量ではないだろうか。流石にその場にいた全員が言葉を失ってしまう。するとその微妙な間を引き裂くかのように突然内線の電話が鳴った。慌てて秘書の一人がそれを取る。
「…はい。え? わかりました、少々お待ち下さい」
彼女は受話器の下の部分を決して聞こえぬように手で覆ってしまうと、そのまま小声で囁いた。
「クローム様、ボンゴレ十代目が大至急執務室に来てもらいたいと」
「ボスが?」
「いかがいたしますか?」
それまでの賑やかだった雰囲気がまるで凍り付いたかのように引き締まってゆく。凪が霧の守護者だとわかっていながら、それでも10代目の名は別格に重たいものなのだ。
「すぐに行くと伝えてくれる? もしかしたら『このこと』について話が出来るかもしれないわ」
凪はクスッと笑いながら、周りを和ませるつもりでそのまま花束の一輪に唇を寄せる。
「かしこまりました。では、ご用意を」
 
 
 
 
 
 大好きな人からの誕生日のプレゼントは嬉しい。しかし山のように積まれたそれを受け取るには相当な覚悟が必要なように思え、廊下を歩く彼女を未だに戸惑わせている。おそらく今の複雑な胸の内を語れるのはボスである沢田綱吉だけだろう。この呼び出しはまさに渡りに船といったところだ。早朝だった為に人と会うこともなかったおかげで気持ちを若干落ち着かせることも出来た。
 必死の形相で歩みを進め、まるで数キロの道のりを経てたどり着いたかのような心境で執務室の扉を叩く。
「えっ? あっ? だっ…誰?」
向こうから慌てたかのような裏返った声が聞こえた。よっぽどやることが積まれていたのだろうか。自分から呼び出したくせに…と思いながら、凪にはそれがかえって彼らしく感じて笑えてしまう。
「ボス、私」
「えっ、来たの? クローム?」
「私もちょっと大切な話があるの。入らせてもらうね」
 実の兄妹のような気易い互いの関係を盾にして、無礼を承知で扉を開ける。
「あっ…」
凪の体がビクッと震え、それと同時に固まってしまった。ボスよりも先に机の上に腰掛けながらエスプレッソを楽しむ赤ん坊の姿があったからだ。もちろんそれ自体は不自然ではないし、アルコバレーノに苦手意識を持っているわけでもない。ただ…ボスの親愛なる家庭教師は、大好きなあの人の師でもあるのだ。今はあまり顔を見合わせたくないタイプの人種だった。
「どうやら相当困惑しているようだな」
ボスよりも先にそう言われ、心臓が捕まれたような気持ちになる。
「キャバッローネから色々と届いているんだろう?」
その言葉にコクンと頷いた。
「そのことなんだけれど…ね」
ようやくここでボスが口を挟んだが、その声は緊張のあまり見事に裏返っていた。
「招待状が来ているんだ、キャバッローネから。今夜一緒に食事でもどうかってね」
「私と?」
 本当ならば大声で反応して当然の話だろう。しかしあまりの突飛な内容に口がパクパクするばかりで何も言えなくなってしまった。
「支度も向こう側が用意してきただろう?」
リボーンが意味ありげにニヤッと笑った。どうしてそれを…と問いかけても返事はもらえない。
「その…駄目かな。今日がとても大切な日だというのはわかっているけれど」
「でも、私には行く理由がないわ」
 残念だが、今の守護者の中でキャバッローネと一番関わりが薄いのは霧の守護者だろう。招待されたからといってのこのこと出ていくのは躊躇われる。
「あーっと、それはさぁ」
「何か相談事があるらしいぞ。どうしても女性の意見が聞きたいそうだ」
上手く説明出来ないツナを後目に、リボーンと凪の間でのみ話が進んでゆく。
「相談事?」
「奴もついに身を固める決心をしたらしい。まあディーノもいい年だし、これまでそういう話がまったく出てこないのも奇跡に近いんだがな」
 それはまさに天国から地獄に叩き落とされたかのような感覚だった。凪の耳の中には前半の言葉のみがグルグルと回り、後半の言葉は霞んだ向こうで淡く響くだけだった。あまりの突然の言葉にうつむきはしたものの、悲しみの深さ故に涙さえ出てこない。その『奇跡』とやらにこの想いはどれくらいの間守られていたというのだろう。
「でも私なんかが役に立てる筈が…それならばハルさんやビアンキさんの方がずっと…」
「それは向こうからのご指名だからな。それにディーノはビアンキに対して相当なトラウマ持ちだぞ?」
「でもっ…」
 言い訳の種が尽きてきた頃、凪の頭上に思わぬ助け船がやってきた。
「あのね、クローム」
「ボス…」
「駄目だったら、はっきりと言ってもいいよ。嫌なところを強制するつもりはないし、今日は君にとっても特別な日だって事もわかっているんだから」
「う…っ」
やられたと思った。ボスの優しげな…かつどこか寂しそうな声に勝てる人間なんてこの世にいるのだろうか。まるで捨てられた子犬に話しかけられているような気がして落ち着かない。昔、子猫を救うために道路に飛び出した事のある凪ならば尚更だ。しかもこれはボンゴレ十代目直々の命令だ。それを避けて通ろうとした自分が愚かなのだと思い知らされる。
「わ…かりました。今夜ですね」
「時間など詳しいことは招待状に書いてあるから渡して置くぞ。支度に関してはビアンキたちが張り切っているから任せておけ」
 リボーンから招待状を受け取りつつ、凪は心の中で再び「やられた…」と思わずにいられなかった。どうやら今回のことは全て彼らの手によって仕組まれていたことのようだ。ディーノが自分をこのような企みに巻き込んだという事実は悲しかったが…それでも自分が彼に想いを寄せていることは誰にも言ったことはなかったし、今後もばれることはないだろう。ならば自分は自分の出来ることをするまでだ。痛む胸の内を必死にこらえて、霧の守護者である凪はただ頷くしかなかった。
 
 
 
 
 
 そしていよいよその時がやってきた。夕闇に沈む屋敷の正門にリムジンが乗り付けられる。凪を迎えに来た運転手と付き添いの男はキャバッローネの中でも顔見知りの方だったが、その気を使った状況が彼女には辛くもあった。未だ今回の晩餐の真意がわからないからだ。二人から今日の美しさを賛美されても、心からの笑みを返すことは出来なかった。
(守護者の中で一番最初に私に婚約者を紹介するつもりなのかしら)
相手がとてもデリケートな性格の人ならば、最初に獄寺や雲雀に会わせるわけにはいかないだろう。もしかしたら女同士で友達になってもらいたいと言われるのかもしれない。
(だとしたらハルさんやビアンキさんの方が遙かに適役だと思うんだけれど)
自分を綺麗に飾ってくれた面々を思い浮かべて首をひねる。ますます自分が場違いな場所に向かうような気がして、リムジンと一緒に心はずっと揺れっぱなしだった。
「着きましたよ?」
「あっ…ごめんなさい、ぼんやりしていて」
 案内してもらったのは中世の城を思わせる美しい建物だった。おそらくはファミリーが経営するホテルの一つだろう。彼女はそこで丁寧な歓迎を受け、そのままレストランの個室へと案内される。
「よっ!」
先にテーブルについていた彼が手を上げている姿が見えた。ブランドもののスーツを着こなす大人の男性でありながら、いつもの気さくな性格も変わっていない。キャバッローネファミリーの十代目ボス・ディーノ…こうして直接顔をあわせるのはいつぶりだったろう。
「久しぶりだな。随分と元気そうだ、体調の方は?」
「おかげさまで。元気にやっています」
真っ先に自分の体調を気遣ってくれる優しさもまた嬉しかった。
 しかし礼儀に反していると知りながら、それでも凪はあたりを見回さずにはおれなかった。案内された個室の中にいるのは、彼と自分と数人のボディーガードくらいなものだ。来ている筈だと思いこんでいたフィアンセの姿はどこにもない。
「あの…もしかして私一人ですか?」
「ん?」
あまりにも小さな声に思わず聞き逃しそうになったが、キョロキョロする仕草もまた可愛らしくて思わず笑みを零してしまった。複雑そうな表情でだいたいの言いたいことはわかる。
「まあ、そんなところだな。こんな年の離れたお兄さん一人じゃ嫌か? やっぱりみんなとパーティーやっていた方がよかったか?」
「そうじゃないんです! …ごめんなさい」
「謝らなくてもいいよ。来てくれて嬉しいのはこっちなんだから。そのドレスも良く似合っている」
「ありがとうございます」
 ディーノがスッと手を上げると、ウェイターが細いグラスを持ってやってきた。それが並べられると中に高価なシャンパンが注がれ、一緒に真っ赤な苺の入った皿も置かれた。
「日本では二十歳になると大人として認められると聞いたからね。まずはこれで乾杯しないか?」
「…はい」
シャンパンには苺が一番合うと説明を受けて、その小さな果実をグラスの中に滑り込ませる。小さな泡に包まれながら沈んでゆく赤い果実に胸が弾む思いがした。
「乾杯!!」
初めて口にした正式なお酒は、口当たりの甘い飲みやすい味がした。それでも一瞬で体がポッとしてくる。気が付いた時には前菜を初めとしたディナーが次々と運ばれてきていた。それでもお互いの近況やたわいのない世間話をしているうちに自然と楽しい時が流れてくれた。
 食事の最後を告げるコーヒーが運ばれてきた。彼の前にはエスプレッソが、彼女の前にはカプチーノが置かれる。楽しかった時間もそろそろ終わりになりそうだ。しかしその前に触れて置かなくてはならない事がある。
「あのっ!」
「ん?」
「このたびは、本当におめでとうございますッ」
力と勢いを込めて早急に言い切った。まるでとってつけたような言い様はレディにはほど遠いとわかっていたけれど、今の凪にはこれが精一杯だったのだ。
「こういう時ってどう言えばいいのか自分でもよくわからないんですけれど…」
「へっ!? ちょっと待って。おめでたいのは俺じゃなくて君だろ? 今日が誕生日なんだから」
「えっ? だって結婚が正式に決まったって、ボスとアルコバレーノの家庭教師が」
いまいち噛み合わない会話に、背後で控えていたボディーガードたちの方が吹き出してしまう。名前の出た二人の顔を思い出すと力が抜けて、そのまま椅子の背にドッと倒れ込んでしまう。 
「身を固める…ね」
 ふいにディーノの表情から明るさが消えた。自分に何か落ち度があったのだろうか。凪は目をきつく閉じたまま俯いてしまう。
(言うんじゃなかった…ディーノさんにとっても人生の中で重要な意味を持つ事なのに。私の方から口にしてはいけない事だったかもしれない)
決して戻らない言葉を何度胸の中で悔いただろう。せっかくの食事会もこれでは水の泡だ。
(嫌われてしまった…?)
なんて最低な誕生日だろう。空気の読めない自分自身が情けなくて涙も出てこない。
「ツナかリボーンが相当余計なことを吹き込んだみたいだな。緊張しているのはそのせいか?」
不意にかけられた言葉にただただ無言で頷いた。嘘ではないが、自分以外の人間を言い訳に使ってしまうなんてまるで子供のようではないか。
(やってくれたな、あいつらも)
彼女をどのような形でここまで引っ張ってきたのか…今朝の様子がディーノには見えるような気がした。
(まあ正攻法じゃ無理だったかもしれないが、こんな顔をさせろとは一言も言ってはいないぜ?)
「…薔薇の花をね、贈ってみたんだ」
「は…い?」
「あとは彼女によく似合う服と靴とアクセサリーをね。女の子が何を好むのかちっともわからなかったから、これでも相当苦労したんだぜ」
もっともその成果はあったみたいだけれどね…そう言ってディーノは楽しそうに笑った。
 この人は一体何を言っているのだろうか。花束もドレスも靴もアクセサリーも…それは全て自分が今朝受け取ったものばかりだ。
「あとは二十歳の誕生日に食事に誘ってみたのだが…ロマンチックな気分にさせるつもりが、かえって緊張させてしまったみたいだな」
テーブルの上にほおづえをついたディーノの姿が涙でゆがんで見えてしまう。多少鈍感な側面があるものの、それでもこの雰囲気から彼の次の言葉がなんとなくわかったからだろう。
「あとは…そうだな。これからどんなプロポーズをしたなら、君はイエスの返事をくれるのかが知りたい」
 ついに涙がぽとりと震える手の上に落ちた。手のひらにジワリと滲んでゆくそれは、これまでひた隠しにしていた情熱が吹き出したかのように凪の胸の中までも熱くしてゆく。
「あっ、あのっ、私…」
今の自分の気持ちはとても言葉にはならない。でもしっかりと顔を上げて相手の目を見つめようと思う。せめて相手にこの気持ちだけはしっかりと伝わるように。
「とりあえず、返事は必要ないってことにしておくか」
ディーノはほおづえをついたままの姿で楽しそうに笑いつつ、それでもこれ以上ないほどの優しい眼差しで愛する人を見つめていた。
 
 
 
 
 
 同じ頃、ボンゴレ十代目の私室では本人と家庭教師が一足早い祝杯のつもりでシャンパンの栓を抜いていた。細いグラスに注がれた淡い琥珀の液体の中で、細かな泡と例の赤い果実が静かに揺らめいている。
「乾杯!」
カラン…と音を立ててグラス同士が重なった後、家庭教師はそれを旨そうに飲み干した。
「どうした?」
「へっ?」
「今更何を心配そうな顔をしていやがる」
相変わらずの見透かし具合に思わずむせそうになったが、そうならなかったのはまだシャンパンを口にしていなかったからだ。
「そりゃ心配するのは当然だろ。もちろんディーノさんの事は信用しているけれど、クロームがどう返事をするかなんてまだわからないじゃないか。もしかしたら突然のことで酷く傷ついているかもしれないし…」
 リボーンは呆れたようにため息をついたが、不思議と文句を言う気にはなれなかった。凪を心配する守護者たちの気持ちは痛いくらいにわかるからだ。冷静さを装いながら結構な量の酒をあおっている雲雀や、愛娘を奪われた親のように泣きじゃくる骸の姿も容易に浮かぶ。しかし…。
(俺、もう駄目かもしんない)
へなちょこ時代からディーノの情けない顔は何度も見てきた。しかし同時にそれを乗り越えた時の強さも十二分にわかっていた。だからこそ今になって見せる切羽詰まった様子が痛々しくてならなかったのだ。
(この年になっちまえば俺も本気になるのは最後かもしれない。なのにあの子に対してどうすればいいのか…ちっとも思いつかねーんだ)
 これが初めての恋ではないだろう。実際いくつもの浮き名を流してきたこともあるらしい。しかし根は真面目で誠実なあの男が凪のような女性に惹かれるのはわかる気もするし、キャバッローネの為だと言いながらも幸せになって欲しいと思っていた。
「あいつにはボスとしての心得は叩き込んできたが、女あしらいについてはどうも教え損ねてきたみてーだからな。まあボンゴレ9代目の依頼と重なったせいもあるが」
「もしかしなくても俺のせいですか…」
「まあ今回の事でドジを踏んだなら、あの時に出来なかった修行をやるだけのことだ」
 自分でグラスにシャンパンのおかわりを注ぐリボーンを見ながら、ツナはフーッと息をつきつつ苦笑する。ここまで冷静でいられるのはよっぽどの勝算があるからだとは思うが…凪とのことが順調に決まった後でもやりたい放題仕切られるかもしれない。
「…ディーノさんも気の毒に」
「何を他人事のように言っているんだ? 万が一鍛え直す時が来たとしたらお前も一緒だぞ、ツナ」
「はあ? ちょっ…なんでですか、それッ」
「だいたいクローム相手に満足に嘘をつくことも出来ねぇ奴にボスの資格があると思うか? 心配すんな、そのあたりを二人まとめてみっちり鍛え上げてやるからな」
リボーンのニヤッとした意味深な笑みを見ていると、かつての過酷な修行の日々が蘇ってくるような気がして背筋ごとガタガタと震えてくる。知っていてわざとそういう言い方をするということもこの数年の間に散々叩き込まれた事だ。
「ま、楽しみにしとけ」
「勘弁して下さいーッッッ!!!」
 
 
 
 
 
END
 
 
 
 
 
イメージソング   『LA・LA・LA LOVE SONG』   BoA
更新日時:
2008/01/20
前のページ 目次 次のページ

戻る


Last updated: 2010/7/31