100TITLE

82      赤い糸   (鷹通×あかね 遙かなる時空の中で)
 
 
 
 
 
 最後のチャイムが教室内に鳴り響き、ついに数日続いた悪夢は終わった。集められた紙の束を抱えた教師が出て行くと同時に歓声が沸き起こる。
「いゃったああああーーーっ」
「終わったあーっ」
天井をペンやらノートやらレポート用紙やらが舞う。例えそれが得意科目だったとしても、テストと名の付く代物は学生を悩ませる以外のことをしないのだ。現代っ子たちはさっさと帰り仕度を終えて、各自の楽しみの打ち合わせを開始していた。
「あかねっ、帰りどっか寄ってかない?」
いつもの友人たちが元宮あかねの席までやってきて言った。
「ごめーん。約束があるんだ」
「約束う? なんか最近いっつもそれだよね。付き合い悪すぎ!!」
「だからごめんって!」
口ではそう言いながらもちっともすまない顔をしていないあかねだった。さっさと仕度を終えて教室を出て行く。
「今度間違いなく埋め合わせをするからさ。それじゃお先っ」
「あかねーっ!?」
 結局全員がボケッと見送る形になってしまった。お互いに試験の愚痴を言い合うのを楽しみにしていたのかと思っていたのに。
「その今度も一体いつになるのかしらねっ」
「蘭、あんたなんか知らないの?」
突然話題をふられた黒髪の女の子は、しばらく考え込んだのちにこう言った。
「女の子が友情よりも優先させる事柄なんて一つだけでしょ」
「それって、まさか…」
「そのまさか」
皆の絶叫を聞きながら森村蘭はクスクスと笑う。
「あかねちゃんて…このごろ成績が上がってきたと思わない?」
「そういえば…」
お互いに成績をさらしあっているわけではないが、それでもこのごろは苦手な数学に関しての文句を聞いた覚えがない。
「相手の人にね、家庭教師になってもらっているみたいよ」
「ということは年上の男?」
「T大学に通っている弁護士志望の人なの」
 日本の大学の最高峰を耳にして、今度はその場のぼぼ全員が無口になる。
「一体…あのあかねとT大生にどんな共通点が…」
「それで蘭、続きは?」
「続きっていっても…」
おそらく自分に求められているのは二人の出会いなのだと思う。でも正直に話しても誰も信じてはくれまい。あの時…京という名の異世界で…。
「こんなところで話し込むよりも移動しようよ。蘭、あんたも付き合いなさいっ」
友人たちの言葉で蘭はハッと我に返る。
「ごめん、私もちょっと…」
「ちょっとって何よ」
蘭は視線を窓の向こうの校庭へと向ける。校門のところで華奢で可愛らしい金髪の男の子が立っているのが見えた。
「詩紋くーん」
「あっ、蘭さんっ」
遠く離れていながらもしっかり手を振りあう二人を見て、友人一同は蘭も味方ではないことを知った。
 
 
 
 
 テスト明けには良い結果を報告出来るようにと待ち合わせの約束をしたのは自分からだった。場所は彼が入りやすいのだと言う市の図書館と決まっている。書類に埋もれていたあの頃を思い出すのだそうだ。思えば本来の職種である戸籍なんてものは全てコンピューターで管理されているのだから仕方ないのかもしれないが。
「鷹通さん…来ているかな?」
辺りを見回すと、丁度カウンターのところで職員と真剣に話をしている彼の姿があった。藤原鷹通…現世でも彼の名前は大きくは変わらない。でも趣味のいいスーツ姿に短い髪の毛の今を見たら、京にいる彼らはなんと言うだろう…特に地の白虎と呼ばれたあの人の意見は是非聞きたいと思う。
 まだ時間がかかるのだろうと思い、あかねも適当に本を探して椅子に座る。あの時以来平安の歴史に興味を持っていたのだ。もちろんあの京はここでは架空の存在ではあったけれども、それでも空想を存分に働かせてくれる魅力的な時代に変わりはない。今日持ち出した本は平安時代の文化を細かに解説した内容のものだった。
「…白拍子…?」
平安時代の末から鎌倉初期にかけて流行った踊りであるらしい。男装の舞姫をそのように呼んだともいわれている。本に掲載されている再現された衣装は黒い烏帽子に白い着物という地味なものだったけれど…。
「シリンの衣装はもっと綺麗だったな…」
鬼と呼ばれた者たちは金色の髪と青い瞳が特徴だったのだという。それならもっと派手な色彩でなければ間に合わなかったのかもしれない。紅色の袴と紫や桃色を配した着物は、彼女の美しさと共に未だ印象が強かった。しかし彼女という存在が忘れがたい本当の理由は…。
「待ちましたか?」
眼鏡をかけた青年があかねに声をかけてくれる。
「鷹通さん!」
 出会えた嬉しさが先に立って、思いっきり大声が出てしまった。館内の視線が一気に二人に集中する。あかねはそのまま慌てて口を塞いだ。
「ごめんなさいっ」
「大丈夫ですよ。こちらこそお待たせしてしまってすみません」
柔らかな口調と笑顔…これもまたあの頃から変わらないものだ。初めて京で過ごした夜に、初めて龍神が何たるかを教えてくれた人…。
「まだ本を読んでいる最中ですか? お付き合いしますよ?」
「んー」
片目で恋人を、もう片目で本の中の白拍子を見つめる。この二つを天秤にかけたら重いのは…言うまでもない。
「別にいいや。図書館の本はそう簡単になくなったりはしないでしょう?」
「それはそうでしょうが…」
「早く移動しましょ。テストの報告もしたいし、それ以外の話もしたいよ」
そう思うと早いのか、あかねはさっさと本を閉じて元の場所に戻してしまう。そういった態度は鷹通ももう慣れてしまっているのだろう。にこやかに見送り、そして迎えるのだった。
「それじゃ、行きましょうか」
「はいっ」
 
 
 
 
 並んで歩く二人の足下にくるくると枯れ葉が舞っている。初めの頃は驚いたアスファルトの道も、今では珍しいと思うこともなくなった。
「あかねさん…」
「んー、なあに?」
ぼんやりしていたので彼の目が自分を優しく見おろしていたことに気付けなかった。
「何か悩み事でもありますか」
「えっ!?」
それ以上は聞かずに、彼はただ黙って微笑んでいる。図書館で会って以来、どうもあかねが深く何かを考え込んでいたのを見逃さなかったのだ。頑固な彼女が言葉で責めても口を割らないことくらいとっくの昔に承知していた。
「試験のこととか?」
「それはもう開き直るのも慣れてるから平気。でも鷹通さんが教えてくれるようになってからは随分と成績も上がったんだよ?」
「心を込めてお教えしていますからね」
「そのわりには厳しい…」
「たいそう教えがいのある生徒だということです」
「うーんっ」
 考え込むふりをして鷹通を軽く睨んでみた。すると向こうは余裕があるかのように微笑みを浮かべている。目が合うと同時にプッと吹き出した。
「さっき私が見ていた本が何だかわかります?」
「平安の風俗関連のように思いましたが」
よく見ているよなあ…と言いかけて止める。おそらくは自分の見ていたページも把握しているだろう。その小憎らしさがあかねの口から禁じていた言葉を吐かせた。
「白拍子を見ていたら…やっぱり誰かさんのこと思い出しちゃって。覚えている? あの美人だった鬼の…」
「シリンという女の鬼ですね」
そう簡単に口にしたのもなんかむかついてしまう。
「鷹通さん、彼女のこと好きだったでしょ」
「はあっ?」
「だって彼女に凄く優しくしていたじゃないですか」
 たかがそれだけの理由で…いや、理由なんてそれだけで充分なのだ。自分の為にかつての生活を捨ててまで未知の世界へとやってきてくれた人に対する不満なんて、そんな感じでしか有り得ないのだろう。異世界まで伸びていた赤い糸を再びたぐり寄せたい気持ちは彼にはきっとわからない。
「あかねさん」
「はい?」
「私がいくつか覚えていますか?」
「19才…ですよね」
最後の言葉が微妙な感じで響いた。年よりも落ち着いて見えるのは他の八葉とも同意見である。
「その通りです。いくら私でもああいうタイプのお姉さんの相手になるには…まだ若いのではないですか?」
ちょっとだけ呆れたような溜め息が出てきた。その仕草にまるで心が羽根でくすぐられたかのような嬉しさと恥ずかしさがこみあがってくる。勢いをつけて腕にしがみつくと、彼の体が大きく揺れた。
「鷹通さんっ」
「はっはいっ!?」
「だーい好きっ」
 
 
 
 
 
END
 
 
 
 
イメージソング   『満ち潮』   岡村孝子
更新日時:
2004/06/29
前のページ 目次 次のページ

戻る


Last updated: 2010/5/12