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73      先輩   (リュミエール×レイチェル スウィートアンジェ)
 
 
 
 
 
 純白の校舎が夕日でオレンジ色に染まる頃、中等部の制服を着た女の子が高等部の廊下をパタパタと走っていた。人影まばらな教室のあちこちを覗き込みながら目指しているのはここの美術室である。当然ながらそこは美術部の根城となっている場所だった。
「リュミエールせんぱい…?」
入り口から覗き込む女の子を見つけたのは、長い水色の髪を持つ男子生徒だ。手にしていた絵筆とパレットをそっと置いてにっこりと微笑む。
「こんにちは、レイチェル」
「エヘヘ、今日も遊びに来ちゃいました」
「かまいませんよ、私もあなたにお会いしたかったのです。どうぞお入りなさい」
「良いんですか? それじゃお言葉に甘えて…お邪魔しまーっす」
勢いのまま高等部に来てしまったが、でもそのままここに入るのにはなんとなく躊躇われてしまう。彼はそんな彼女の気持ちを知っていたのだ。
 水色の長い髪を持つ優しい性格の芸術家は、金色のフワフワの髪を持つ天才少女の横に立って、それまで自分が絵筆を奮っていたキャンバスへと導いた。
「まだ完成にはほど遠いのですが…それでも少しずつ形になってきたので、真っ先にあなたにお見せしたかったのです」
感激のあまり言葉にならないレイチェルの顔を覗き込んでニッコリと笑った。
「あの時の約束ですよ」
「…凄い…」
それは美しい色で描かれた静物画だった。銀色の器に沢山の果物が盛られ、その間に透き通ったゼリーが並んでいる。大きな房を下げている葡萄の横にはバイオレットのゼリーが、柔らかな果肉がのぞくメロンの隣には淡いグリーンのゼリーが、南国の太陽を思わせるオレンジの傍らにキラキラと輝くオレンジ色のゼリーが…そのバランスも素晴らしいとしか言いようがない。ウットリと見つめているレイチェルに、リュミエールも満足げだった。
 この絵画の由来は二人が交わした小さな約束にある。ローズコンテストの出場者と審査員という関係だった二人はすぐに意気投合し、お互いの趣味についても大いに語り合う仲になったのだ。
『でも先輩は凄いなぁ。絵画だけじゃなくて芸術のあらゆるセンスを持っているんだもの』
『あなただって素晴らしい才能を沢山お持ちでしょう? 成績も運動も抜群に出来るとコレットが自慢そうに話していましたよ。それにお菓子づくりの腕前もなかなかのものだと思いますよ』
『そりゃあワタシ天才ですから! なーんて、でもこの頃はコレットやアンジェやロザリアに相当刺激受けているんですよね。ますます負けられないなーって思うようになって』
『私もコンテストで優越を競うことは少し抵抗があります。でもこの場で皆が互いを磨き合うことこそが真の目的なのでしょうね』
 リュミエールはそう言って、彼女が差し入れてくれたゼリーを空に翳した。
『いつか描いてみたいものです』
『何をですかあ?』
『あなたの作ったお菓子をですよ。デザイン的にも荒削りながら、大変魅力的です。これを私の力で広く知らしめることが出来たらと思いますよ』
突然の申し出にレイチェルの言葉が止まる。その代わりに心臓のドキドキが止まらなくなってしまった。
『もしよろしかったら…ですけれど』
きっと彼女は自分が思っている以上に嬉しかったのだろう。ぽろぽろと零れる涙にも気がつかない。
『レイチェル?』
『ワタシ、ワタシ…絶対にお菓子作り上手になります! 先輩に描いてもらえるくらいになったって自分でも思えるように。その時はきっと描いてくれますか?』
『もちろんですよ』
『約束ですからネッ』
まだ幼い表情の天才少女と、温和な笑みを浮かべた芸術家の少年は誰も見ていないところでこっそりと指を絡め合ったのだ。
 ローズコンテストが終了したのちも、レイチェルはリュミエールの元に通い、その時に出来る最高のお菓子を差し入れ続けた。彼はそれを丁寧に受け取り、最初は愛用のスケッチブックで簡単にそれらを描く。やがて完成するはずの傑作の為だった。もちろんその後には美味しく頂いているが。
「これが…?」
「あなたが私に作って下さったゼリーをモチーフにしているのです」
「素敵ッ、信じられない。先輩はワタシのお菓子をこんな感じで見て下さっていたんですね」
「そんなことは…ゼリーはあなたが作って下さった実物の足下にも及ばないものですよ」
それでも無邪気に喜ぶレイチェルを見ていると、謙遜を繰り返してもまんざらでもないらしい。
「でも私にとって必ず意味のある作品になるはずです。完成した時は大きな展覧会に出品してみようかと思ってます」
「ヒョエーーーーッッ」
 話をしている間にオレンジ色の空も濃紺へと変化して行く。中学生の女の子をこんな時間まで引き留めておくことを彼は決して良しとはしないのだ。動けぬままのレイチェルを見守りながら、自分は画材の後かたづけを始める。
「帰りましょうか。駅まで送って差し上げますよ」
「先輩…」
「なんですか?」
「ありがとうございますッ」
長い金色の髪が深々とお辞儀をしている。
「ワタシ、こんな風にしてもらえるなんて思ってなかったんです。ただ先輩に描いてもらえることが嬉しくて。なんかそんな気持ちが恥ずかしくてたまらないよぅ…」
顔を上げたレイチェルは興奮と申し訳なさが交差しているのか、真っ赤になっている。
「あなたは本当に素直で優しい女の子ですね」
「先輩…」
「私はあなたのそういうところが、お菓子にもこの絵画にも表れていると思っているのですよ」
 細くてしなやかな指が金色の髪を撫でてくれる。そこから優しさと温もりがにじみ出てきているような気持ちになった。
「そういう感性こそが創作に必要な感性なのだと私は信じています。とっておきのお菓子を差し入れてくれるあなたを見ていると、何かをせずにはおられないのです」
「ワタシもっ。ワタシもなんです。先輩の人柄や作品に触れるたびに、もうインスピレーションがビビビッと来るんです」
興奮のまま、飛び跳ねながら訴えかけるように言うレイチェルにリュミエールは微笑みかける。
「それってなかなか素敵なことだとは思いませんか? 一緒の感性を共有出来る同志であり、互いを磨き合うライバルのようで」
「わあ♪」
 お菓子づくりと絵画…レイチェルはこれまでこの二つに共通点があるなんて、まったく考えたことがなかった。でもふつふつと沸き起こるなんとも言えないこの気持ちを彼も一緒に体感してくれていることが嬉しくてたまらなくなる。
「先輩、また見に来てもいいですか…」
「どうぞどうぞ。いつでも遊びに来て下さい。一緒にこの絵を見守って下さるのなら、これほど嬉しいことはありませんよ」
リュミエールはこれからもこんな時間が続くことを祈りながら、可愛い恋人の手をいつまでも握りしめていた。 
 
 
 
 
END
 
 
 
 
イメージソング   『君に会いたくなったら』   ZARD
更新日時:
2004/11/02
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Last updated: 2010/5/12