100TITLE

6      別れ   (リロイ×裕香 ペット探偵Y`s)
 
 
 
 
 
 掛け時計が午後十時の訪れを知らせてくれる。鳴り響くオルゴールの音に動物たちも頭を上げ、ソファーでその様子を眺めていたバリーも大きな溜め息をつく。
「…遅い。遅すぎる」
額に指をあてると、彼の視点が天井へと向く。彼の頭脳に内蔵されているパソコンをインターネットに接続し、近隣で起こっている事件の確認をしているのだ。しかしあたりは平和そのもので、事件はおろか『双葉裕香』の名前さえ浮かび上がってこない。再び漏れた溜め息は少し安心に満ちており、近くにいた名犬ジョリーもそのリズムに合わせて尻尾を降ろした。
「まあ明日には別れてしまうのだから、名残惜しくなるのも無理はないのだろうが…もう少し連絡についてきつく言っておけば良かっただろうか」
 叔父夫妻が経営するペット探偵事務所に裕香がやってきたのは夏休みが始まってすぐだった。旅行で不在になる両親の代わりになってくれる父の弟の家に身を寄せたものの、肝心の叔父夫婦も動物探しの旅に出てしまい、結局事務所に彼女とジゴロロボットのバリーだけが残ったのだ。そんな一人と一体が引き受けた最初の以来はサーカス団から誘拐されたホワイトタイガーを探すこと。地道かつ大胆な捜査の結果、国際的な密売組織から可愛いコンスタンチンを取り戻す事が出来た。クールでぶっきらぼうな依頼主のリロイや頑固者の猛獣使いキムさんとも、今では良い友人関係だと呼べるようになった。でもサーカス団は一ヶ所に留まるわけにはいかない。次の興行先の人々が待っているのだから…リロイやキムさんとゆっくり話が出来るのも今日が最後だろう。ロボットであるバリーに『寂しさ』という感情は理解出来る位置にはないが、裕香の表情からはそれが充分に伝わってきた。だから多少帰宅が遅くなっても認めてやろうと思っていたのだが…。
「ただいまあ…」
 玄関から聞こえた声に反応したのはバリーだけではない。その場にいた探偵事務所のペットたちもワラワラと玄関に出た。
「随分遅い帰宅だ…」
そう言いかけたバリーの体が固まる。そこに立っていたのは裕香だったが、その疲れ切った様子とボンボンに腫らせた瞼はいつもの彼女とはまるっきり違っていたのだ。
「ごめんねっ」
おどけたように頭を下げる裕香をバリーは無言のままみおろす。そのまま自分の現状を分析しているのだとわかった。
「服に潮風の香りが移っている。髪もぱさぱさだ。その目の腫れ具合と声の荒れ方を考えると、港に出向いてそこで数時間は泣きわめいていたと…」
「ストーップ! ストップストップ」
 素早い分析力は流石バリーと言ったところか。でも今の心境を言い当てられたくはなかった。
「ごめんね。でも今はそっとして置いてもらえないかな。明日には元気になるから…」
無理に見せる笑顔が、かえって痛々しいほどだ。バリーも動物たちも不安は隠せなかったが、それでも何も言えなくなってしまった。
「シャワー浴びてそのまま寝ちゃうね。お休みなさい」
「わかった。ゆっくり休むといい」
がっくりと肩を落とした背中を見送る面々だったが、自分たちに何が出来るかなど見当もつかない様子だ。
「バウ…」
「ウッキー」
自分に一斉に視線を向ける動物たちを見て、バリーはしばらく考え込んだのちにこう言った。
「手伝ってくれるか?」
 
 
 
 
 シャワーで簡単に汗を流し、パジャマに着替えてそのままベッドに倒れる。すると勝手に出てくるフーッという溜め息がなんとなく憎らしく感じられてしまった。
(リロイ…)
いくら涙を流しても、何度体を洗ったとしても、思い出が消せないのと同じようにこの気持ちも永遠に消えない。時間が流れたならいつかは良い思い出になるのかもしれないが…今の裕香にはそれが信じられなかった。これまでサーカスの世界しか知らなかった彼が本当の夢に向かって行くのは嬉しい。でももう二度と2人が出会うこともないのだ。彼の夢を応援したいのも本音。でも背中に抱きついて引き止めたいのもまた本音なのだ。結局そのどちらも中途半端で終えてしまった分、後悔の涙はいつまでたっても止まらなかった。
 どのくらい枕に顔を埋めて泣きじゃくっていただろう。突然聞こえてきたドアの開く音に体がびくっと震える。
「だっ、誰?」
開かれたドアの向こうから見えるのはモコモコした毛のような固まりだ。のそのそとこちらまで動いているようだが…。
「ひえっ」
「バウ?」
聞き慣れた声は犬のものだ。よく見てみたら毛の固まりはジョリーそのものだった。
「どうしたの? まだ寝ていなかったの?」
慌てて近寄ると、頭のあたりで何かがもぞもぞと動いている。小さな茶色の頭の主は…。
「マルコ?」
「ウキッッ」
驚きのあまり裕香はその場に座り込んでしまった。この家には『犬猿の仲』という言葉は存在していない。この2匹もいつも一緒にいる事が多かった。
 呆然としている裕香の元へマルコは手にしていた籠を差し出す。2匹はそれを絶対に落とさないよう気を使いながらここまでやってきたらしい。
「これを私に?」
慌てて籠の中身を開けてみると、ふんわりと甘い香りが鼻をくすぐる。それはバリーが作ってくれた裕香の好物だった。
「フルーツ入りロールケーキとアイスのハーブティーだ…」
カモミールのお茶を用意してくれたのはゆっくりと眠って欲しいという親心(?)だろうか。伝言はなにもなかったが、その思いやりは充分に伝わってきた。ふとジョリーとマルコを見ると、2匹もまた不安げに裕香を見ている。
「こんなに心配かけていたんだね」
食べ物に弱いことも認めるが、それでも自分を取り巻く優しさが嬉しくてたまらなかった。すでに赤く腫れあがった目をまたぐいっと拭った。
「ありがとう! ジョリーッ、マルコーッ」
裕香は両腕で一度に2匹を抱きしめる。夜中でも2匹の体からはふんわりとお日様の匂いがした。
「ウッキー?」
マルコは小さな手で裕香の頭を撫でてくれた。ジョリーはザラザラとした大きな舌で頬を舐めてくれる。そんな行為の一つ一つが彼女に笑顔を蘇らせてくれた。それは階下で様子を伺っているバリーや動物たちも同じだろう。
(早く元気にならなくちゃ。こんなに私を見守ってくれる仲間がいるんだもの。もう泣くのはこれっきりにしよう)
裕香は心でそう強く思い、そして翌日からそれは現実になった。
 
 
 
 
 
 
 大事件と動物たちに囲まれた夏休みもやがては終わりを迎えてしまう。裕香も叔父の家から住み慣れた自宅へと戻っていった。しかしすっかりペット探偵という仕事に魅せられた彼女は足繁く事務所に通うことになり、実の弟をなかなか認められない父親に渋い顔をさせることになる。もちろん叔父夫婦は彼女を歓迎し、アルバイトとして簡単な仕事も任せてくれるようになった。もちろん協力者としてバリーや動物たちがいて…裕香の周りにはまだあの夏が終わらずに続いているように思えた。しかし実際の仕事に甘えは許されない。そんな中で彼女も少しずつ自分で助けになるルートや存在を見つけるようになった。動物に詳しいペット屋のお兄さんや、優しくてちよっと天然入っている保父さんが何かと情報を提供してくれるようになったのだ。少しずつ自分が一人前に近づいているようで裕香は嬉しかった。
 そしてこれまでなんとなく霧の彼方にあった自分の未来が少しずつだが見えてきたような気がするのだ。叔父夫婦の跡を継ぐかもしれないし、でも自分でペット探偵の事務所を開くことも決して不可能ではないのだと思えるようになった。今は何よりも動物に対する知識が欲しい。バリーやキムさんに叱咤されてばかりだった頃の自分では駄目なのだ。
「それで? 獣医学部に進むことにしたの?」
「駄目…かな」
その話を聞いて歩は目を見開いたが、すぐにいつもの笑顔に戻った。
「その反対よ。裕香にしちゃ随分と前向きな発想じゃない。もう既に一人前の顔しているわよ!?」
そしていつものように手を腰にあててグイッと胸をそらす。
「やらないよりはやった方がましって事よ。これって日向家じゃなくてあんたの家の家訓にしときなさいね」
「はぁーいっ」
2人は顔を見合わせて楽しそうに笑った。
 そして時間は更に流れてゆく。桜舞い散る校門を潜ると、新しいクラス表の前に沢山の生徒が集まっていた。無事歩と同じクラスになれたものの、担任が苦手な教師だというこがちょっと引っかかる。それでも楽しい予感に満ちた高校3年目の春はこうしてスタートした。
(リロイ…)
未だに心に強く残っている初恋の人の面影に裕香は語りかける。
(リロイも自分の夢を叶える為に頑張っているよね。私も負けない…いつか会える時が来たなら、夢を叶えた私を見てもらえるようにますます頑張らなくちゃ)
 突然用事を思い出したと言い走り去って行く歩の背中を見送りながら、裕香はふと我に返る。
(まあ期待しないでいてやるよ。ただ、俺がそれまで待っていられるかな?)
「えっ…」
風に乗って誰かからメッセージが聞こえたような気がした。そして柔らかくて懐かしい…この石鹸の香りは…。新しく踏み出してゆく季節の中、もう一人の夢追い人との再会へのカウントが静かに始まっていた。
 
 
 
 
END
 
 
 
 
イメージソング   『曇りのち晴れ』 尾崎亜美
更新日時:
2005/01/22
前のページ 目次 次のページ

戻る


Last updated: 2010/5/12