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52      体温   (色×主人公 GS)
 
 
 
 
 
 思えばそれはほんのちょっとの油断だったのだ。季節の変わり目は体調を崩しやすいのだとわかっていながら、それを完全に無視していた為に一週間近い貴重な時間をベッドの上に縛られることになってしまった。
「こういうのを鬼のカクランって言うんだろ?」
日頃生意気な弟が更に生意気な言葉を投げかけてくる。
「うるさいな…」
「言われても迫力ないね」
ケラケラと笑いながら、それでも部屋を出てゆくときにこう言うのを忘れない。
「早く良くなれよ。やっぱり悠里ちゃんがいないとつまんないよ」
 両親は仕事が忙しくて家にいることは少ない。弟も自分が病気の間は近所に住む祖父母のところに預かってもらっていた。病人だけの家はいつも以上に静まり返っていて悠里を泣きたい気持ちにさせてくれる。夕方になれば祖母が食事の仕度をして訪ねてくれるとは思うのだが…。
(寝ちゃおう。そうしたら時間も流れてくれるもの)
学校を休んでいる悠里を尽はさかんに羨ましがっていたが、本人は早くあの煉瓦の校舎に行きたくて仕方なかった。友人たちも心配しているだろうし、遅れた勉強の方も気になる。しかしそれよりもずっと気になるのは…。
(少しは私のこと思い出してくれているかなあ)
こんなにうなされた状態では、大好きな人と夢の中で会いたくても会えない。悠里は布団を頭からすっぽりと被るとそのまま目を閉じた。
 
 
 
 
 どれだけ時間が経ったのだろう。悠里は額に触れる冷たい手で眠りから意識を取り戻した。誰かが近くにいる…ゆっくりと目を開けるとそこには心配そうに見つめるアメジストの瞳があった。
「やあ、ユーリ…居たね?」
「色サマ!?」
眠りから覚めた先に悠里の本当の夢が待っていた。柔らかな茶色の髪をカールさせている彼女の王子様である。
「どうして…」
「扉ならキミの弟が開けてくれたよ。下で食事の用意をしているみたいだけど」
時計はもうこの日の授業が終わっていることを告げていた。もっともこの人がまともに授業を受けていたかは謎だったけれど。
「でもどうして何故色サマがここにいるの?」
「どうしてって、お見舞いに決まっているじゃないか! キミが学校を休んでからボクはボクではなくなってしまっていたんだよ。まるで大きな大理石の固まりを飲み込んでしまったような…キミには理解不能なくらいの苦しみを味わったんだからね」
 身振りも言い方も大げさだったが、三原色という人物は決して嘘は言わない。ここを訪れたのも本当に悠里の容態を心配したからだ。だから弟も自分より先に彼を部屋へと通したのだろう。
「心配かけちゃったね。ごめんなさい…」
「それで? 具合は?」
「うん…もうじき直ると思うよ。色サマが来てくれたんだもの…思ったより早く学校にもいけるよ」
身を起こそうとする悠里を色はそっと押しとどめて額に手を乗せる。
「まだ熱があるみたいだね」
芸術を生み出す彼の手がひんやりとした感触を伝えてくれる。悠里はその心地よさにうっとりと目を閉じた。
「気持ちいい…」
「なら、しばらくこうしていてあげるよ」
 2人はしばらくそのまま無言で過ごしていたが、悠里は自分を見おろす彼が悲しげな目をしていたことに気がついた。
「色サマ? どうかしたの…」
そっと差し出された小さな手を握るために、色は額から手を離した。
「キミがボクの周りから消えてから、ずっと夢を見ていたんだ」
「夢?」
「そう。ミューズが現れてボクに微笑みかけてくれる…でも追いかけても彼女には追いつけず、やがて消えてしまう夢さ」
芸術家である彼にとってミューズは特別な存在だ。それが去ってゆく夢は不吉としか言いようがない。
「夜中に何度も目を覚ましてキャンバスに向かったよ。でもどうしてもキミの姿ばかりがちらついて集中出来ない。それをある人に相談したら『恨まれているんじゃないか』って言われて…」
 悠里の手を握りしめる力が強くなった。彼女を見つめる視線が切なげに揺れる。
「正直に言って欲しいんだ。もし彼の言ったことが真実ならば、ボクは受け入れなくてはならないかもしれない…それはとても辛いことだけれど。でもボクたちの間が絶望の色で塗られるくらいなら、ボクだけが苦しむ方がマシだから」
苦悩の渦に身を置く王子を姫は優しく見つめていた。
「どうしてそんな風に思うの?」
「ユーリ…」
「私が色サマを恨むなんて有り得ないよ。だってあなたは私の夢だもの」
彼女が自分に対してそう言うのは初めてのことだった。
「私は一流芸大に行って美術の勉強を続けて、将来は学芸員になりたいの。世界中の人たちに美術の素晴らしさや芸術家の生き様を教えてあげたいんだ。そしていつか…パリでもニューヨークでもロンドンでも東京でもいいけど、三原色美術館が出来たときにそこの主任学芸員になれたらなーって思ってる。色サマと一緒に色サマの夢のお手伝いがしたい」
 熱にうなされているからか、いつも以上に悠里は饒舌になっている。でもその様子はとても楽しそうだ。
「私の夢の目印である色サマを恨むことがあるとしたら、それは色サマが自分の夢を諦めた時だよ。万が一そうなったら毎晩夢枕に立って泣きわめいてやるんだから!」
この瞬間泣きたいと思ったのは一体どちらだったのか…言った本人より言われた方が目頭を熱くさせている。
「そうだね。だったらボクは永遠に自分の夢を裏切るわけにはいかないね。だってボクは…キミに恨まれる以上に泣かれる方がずっと嫌だから」
小さな子供のような気質をもつ2人は無邪気な微笑みを互いに向けた。
「そうだ! キミにあげたい物があるんだよ。ここに来る前に家に寄ったんだけど、マミーがとっておきのデザートを用意してくれていたんだ。ブラマンジェは好きかい? キミが大好きなストロベリーソースをたっぷりかけてもらったんだよ」
「本当?」
「少し起きあがれるかな? ボクが食べさせてあげるよ」
「…なんか恥ずかしいよう」
「大丈夫! ボクはちっとも恥ずかしくないから」
まるでどこぞの楽園で交わされているような会話を聞きながら、可哀想な弟がいつまでも廊下をうろうろしていた。
 
 
 
 
 
 
END
 
 
 
 
〈イメージソング   『BE WITH YOU』  GLAY〉
更新日時:
2003/05/15
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Last updated: 2010/5/12