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3      おでん   (まどか×主人公 GS)
 
 
 
 
 
 ドタドタと廊下を走る音が聞こえる。自宅の奥にある台所に顔を覗かせたのは、まだ小学校に通っているこの家の長男だった。
「おかん、外にまでええ匂いしてきとるで!?」
「おかえり、まどか」
振り返って優しい微笑みを向けているのは彼の優しい母親だ。仕事の忙しい父親に代わって一人で家を仕切っている。
「まどかの好きなおでんや。最近寒いから丁度ええやろ? まどかの好きな具をたーくさん入れたよ」
「ほんま? ほんま?」
湯気の上がった鍋ギリギリの位置まで顔を近づけて大きく息を吸い込む。
「たまご、大根、チクワ、ハンペン…」
「でも俺、コンニャクはいらん。よう食わんし。あれブルブルしてて何なのかようわからへんもん」
「おいもさんから出来てるって話したやろ?」
「だったらおいもさんだけ食っても同じや」
 頬をぷーっと膨らませて反論する息子を彼女は微笑みながら見つめていた。いつのまにこんなに屁理屈を言うようになったのだろう。このまま沢山の反抗を重ねて、やがては巣立っていってしまうのだろうか。親としては嬉しさよりも寂しさの方を強く感じてしまう。
「栄養あるのにねえ。まどかのお腹の中を綺麗に掃除してくれるんやで? あまり好き嫌い言ってばかりなら…ほんま可哀相やわ」
「俺のお腹…掃除せんでも綺麗やも…ほんまやで…」
優しい性格のこの子は、ほんの少しだけ悪いことを言っているのだとわかっているのだろう。母の微笑みはやがて弾けるような笑い声へと変化した。
「まどかも大人になればコンニャクの美味しさがわかるようになるよ」
「わからんでもええもん。だから俺には大根と玉子いっぱい入れて?」
「はいはい」
 
 
 
 
 懐かしい笑い声がゆっくりと途切れて霞の中に消えて行く。目を開けるとそこには見慣れた天井があった。
「ゆ…夢か?」
ホッとしたのか、それとも寂しいのか…フーッと大きな溜め息が出てくる。
「なんでや。今更こんな夢…」
亡くなった母親との大切な思い出だった。しかしこれから一人で頑張ってゆくためになるべく思い出さないようにしていたものでもある。ベッドから起きあがると、そのまま冷蔵庫へ向かい、ミネラルウォーターを手にする。
(おかん…)
 彼女は穏やかな微笑みを絶やさない優しい人だった。生まれつき体が弱くて、本来ならば子供を望むことも困難だったのだという。だからこそその想いは大切な一人息子に無条件に注がれ、中学の時に亡くなるまで嫌な思い出は何一つなかった。残ったのは何も親孝行出来ずに終わってしまったという後悔の念だけだ。そのことは望んで妻にしたにもかかわらず、何もしてやれなかったあの男も同様なのだろうか。自分の肉体は汗ばんでいるが、外の空気は夢の季節と同じ程度に冷え込んでいた。こんな時はあの料理が無性に恋しくなってくる。
(大鍋に大量に作るには懐が寂しいすぎや。かといってコンビニに頼るのも不経済やし…)
即席の粉末を使って大根と玉子を入れるのが精一杯といったところか。おでんのだしはチャーハンやら吸い物にも使えるから、安い時にはなるべく買うようにしている。それを考えると妙に楽しい気持ちになってきた。
「そんじゃ、買い物でも行きますか」
 勢いよく立ち上がると、近くにあったシャツに袖を通す。するとテーブルの上に無造作に置いてあった携帯電話が鳴り響いた。
「なんや、なんや…」
面倒くさそうにそれを手にした彼は、その相手の声を聞いて飛び上がる。
「はい、姫条やけど」
「もしもし…? 水崎です」
「なっ!? もしかして悠里ちゃん?」
「もしかしなくてもそうだよー。今日はバイトお休み? 今まで寝ていたみたいだね」
ハッと口を押さえたものの、それは相手には見える筈もなく。心から寝起きのガラガラ声を憎んだ。
「まあなー。これから食材仕入れに行こう思てん。だから3分後やったらわからんかったな」
「そう、よかった」
その言葉に二重の意味があることに、まどかは気付かない。
「ところでちょっと質問なんですが」
「はい?」
「おでんは好きですか?」
 その言葉に一瞬耳を疑う。彼女の声を夢の中で聞いているのかと思ってしまった。おでんというのが単なるキーワードだとは考えられなかったのだ。
「えーと?」
「つくったんですよ、夕食にね。それが沢山出来たので差し入れでもしようかと」
「本気で!?」
「うん。これから家にいる?」
まどかは手にしていた財布をぽーんと放り投げた。
「もう寂しくて寂しくてしょーもなかったんや。夕食と一緒に来てくれるんなら、万倍大歓迎やで?」
「本当? じゃあ今すぐ行くね」
明るい言葉と一緒に電話は切れた。まどかの胸に小さな火のような温もりが生まれる。ここで大声で叫びたいところだったが…心底惚れているのを認めるのが恥ずかしくて、小さくガッツポーズをするのが精一杯だった。
 
 
 
 
 たかが数十分の時間がこんなに長く感じられるのは初めてのことだ。部屋の中をうろうろする様子は、腹をすかせた熊のような感じだった。何度も何度も出入り口に目を向け…。
「早く…早く来ぃへんかな」
その表情は幼い頃におでんの完成を待っていた時のものによく似ていた。鍋の中の大根が丁度よい色合いに染まるまで、繰り返し繰り返し覗き込んでいた当時の自分が蘇ってくる。
『ぴんぽーん』
チャイムの軽い音が聞こえると同時に飛び出してゆく。扉を開けるとそこには白い息を弾ませた女の子が、両手になべを抱えて立っていた。
「悠里ちゃん…」
「お待たせしました。食べてもらえるといいんだけど」
 鍋を預かり、そのまま彼女を部屋の中に入れた。もうすでにここに数回訪問しているから慣れたものである。
「お邪魔します」
「こっちこそありがとさん。なんか夕食減らしたみたいで申し訳ないわ。あの弟の分は大丈夫なんか?」
「向こうは向こうで好きな具をたっぷり残してきたの。だから平気」
テーブルの上に置かれたおでんはまだほんのり温かかった。
「でも姫条くんて関西だったよね? もしかしたら味が合わないんじゃないのかなって…」
電話した後に気がついたの…と申し訳なさそうに頭を下げる。
「そんなこと気にせんでええって! 今まで悠里ちゃんの作ってくれたもんにハズレはないやろ? それよりもこうして会いに来てくれる気持ちが何より嬉しいんやから」
「うんっ」
 コンロにかけた鍋の蓋を開けてみると、そこには色とりどりの具がぎっしりと入っていた。申し訳ない半面…その種類の不思議さに絶句してしまう。
「ミートボールにロールキャベツ…」
「うん。小さい子がいると、どうしても食べやすい具にしちゃうのね。駄目だった?」
「そうやなくて…まあ、これはこれでだしも取れるし…でもこんにゃくとかないんやね」
「体が受け付けないんですって。何で出来ているのかわからないし…なんて妙な言い訳までしてんのよ? こんにゃくいもだって何回も説明しているのに」
 まだ小学生の彼女の弟の生意気そうな笑顔が脳裏をよぎる。いい男候補生みたいなつもりではいるらしいが、自分から言わせればまだまだだ。
「それはもったいないなあ。結構栄養ありそうやのに。お腹も綺麗にしてくれるんやで?」
「ふふっ、今度そうやってお説教してやってよ」
「そやな」
逞しい腕をむき出しにして、まどかは力こぶを作って悠里に見せる。
「いっちょ未来の弟くんの為に、おとんになったつもりで言ってみるか」
「えっ?」
 
 
 
 
END
 
 
 
 
イメージソング   『Peace!』   SMAP
更新日時:
2004/07/29
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Last updated: 2010/5/12