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26      何をしているの?   (マルセル×コレット アンジェリークSP2)
 
 
 
 
 
 その可愛らしい小鳥は、小さな翼を空の青と同化させながら自由自在に羽ばたいている。時に高く、時に螺旋を描くように…その様子を見守っていた飼い主も満面の笑顔ではしゃぎまくっている。
「待って! 待ってよチュピ…」
少年が無邪気なステップを踏むたびに紫のリボンで束ねた長い金髪が揺れる。幸運を呼ぶという青い小鳥はその滑らかな動きを真似るようにしてまた回転を始めた。
(フフッ、僕はそう簡単に捕まりませんよ? マルセル様)
まるでそんなことを言っているかのように。
 2人の追いかけっこのような散歩も、やがて辿り着いた森の湖で一時休止となった。ここでチュピに水を飲ませるのが習慣でもあったのだ。しかし今日に限ってここには一人の先客がいた。
「あれ?」
栗色のおかっぱ頭を黄色いリボンで結んだ女の子だった。赤いスカートとクリーム色の上着はスモルニィの新しい制服なのだという。滝の近くに腰を降ろして、何か考え事をしているように見えた。マルセルは彼女にここで出会えたことが嬉しくて明るく呼びかける。
「アンジェリーク!?」
彼女はハッと我に返ると、慌てて声の方に振り向いた。
「マルセル様…」
びっくりした時に思わず口を手で被うのがアンジェリークの癖であるらしい。その仕草も可愛らしくて、マルセルは極上の気分のまま彼女の隣に座った。チュピもアンジェリークの肩に止まって小休止である。
「嬉しいなあ、ここで偶然会えるなんて。何をしているの? お散歩?」
「ええ。とても気分の良いお天気だったので」
「ふふっ、僕もそうなんだ」
 女王試験に伴う育成と学習の繰り返しでは気もめいってしまうだろう。時々こうして休みを取ることも大事なのだと、青い髪の補佐官もよく言っている。でも言葉とは裏腹に、どうもアンジェリークの元気がないように見えた。
「何か辛いことでもあったの?」
それは少し遠慮のない言い方になったかもしれないけれど、彼女にはいつも笑っていて欲しかったからついそう口にしてしまった。
「えっ? あの…私…」
 女王候補のアンジェリーク・コレットという少女は、どちらかといえば内気で大人しいタイプだった。真面目で努力家である半面、どこか自分を押さえ込んで我慢してしまうところがある。それを『頼りない』と評価する者もいたが、『優しい心の持ち主だから、きっと良い女王になるだろう』と語る者もまた多い。温かく包み込むような雰囲気は確かに彼女自身の持ち味なのだろう。『でも内に籠もることがないよう、親しくお付き合いしてあげると良いでしょうねー』という地の守護聖の言葉をマルセルはこれまでも忠実に守ってきた。
「ごめんなさい、マルセル様」
「謝る事なんてないよ。時々辛くなってしまうのは当たり前なんだと思うもの。それだけ宇宙を一から作り上げるって大変な事なんだよね」
 少しでも明るい気持ちになってもらえるように、マルセルは無邪気な笑顔を向ける。それに釣られるようにしてアンジェリークも淡く微笑んだ。
「今のアンジェリークを見ているとね、前回の初めての女王試験を思い出すよ。陛下とロザリアがまだ候補生だった頃のね」
純白の翼を持つ美しい女王と、才能と気品に溢れる補佐官の話は何度も色々な人から聞いたことがある。でも2人が自分と同じ候補生だったことは想像もつかない。
「陛下がスモルニィの生徒だった事は知っているよね? でも候補としての特別教育を受けてきたわけではないから戸惑いも大きかったと思うし、実際育成も大変だったんだ。泣きそうな顔をしていたところに出会わした事も沢山あったんだよ」
「嘘みたい」
「でもそれは教育を受けてきたロザリアも一緒。彼女は完璧で有能な候補生だったけれど、大地を育成するにはそれだけではいけなかったんだよ。なかなか落ち込む様子を見せない人だったけれど、きっとプライドが傷ついた事もあったんだろうね」
 マルセルはアンジェリークの細い背中を励ますように軽く叩いた。すると自然と背中が伸びて真っ直ぐ前を見るような形になる。
「でもね、そういうつい立ち止まってしまいそうになることって女王試験の時だけじゃないと思うんだ。もし聖地に来ることがなかったとしても、きっと人生の中ではつまづいたり傷ついたりすることなんて沢山あるもの。でもそういう時って周りの人たちに助けを求めることは悪い事じゃないと思うんだよ」
「そうでしょうか…」
「もちろん! 僕でよければいつ頼ってくれてもいいんだからね」
するとマルセルは突然何かを思い出したかのように、ポンと手を叩いた。
「そうだ! もし予定がないのなら、これから僕の家に遊びにこない?」
「良いんですか?」
「もちろん。今のアンジェリークにね、是非飲ませてあげたい薬があるんだよ」
薬? 確かに少しは落ち込んだりしたが、少なくとも彼女は病気ではない。それは病のない聖地という場所に住む彼にだって必要なものではないだろう。しかしそんなこともお構いなしといった感じでマルセルはアンジェリークの手を取るのだった。 
 
 
 
 
 実はアンジェリークはマルセルの生活する私邸に以前遊びに来たことがあった。彼が育てているという見事な庭も何度か案内してもらったこともある。しかし今回はいつもと少し嗜好が異なるようだった。
「転ばないようについてきてね」
「はっ…はいっ」
それでも恐怖心が消えないのか、アンジェリークはマルセルの手をしっかりと握って離さない。その全身で頼りにされていることがマルセルにはくすぐったく感じられて仕方なかった。
 2人が歩いているのは私邸の地下へと続く道だった。ところどころに電気はついているものの、足下は暗くて歩きにくい。
「いいものを見せてあげるよ。これは屋敷と一緒に先代から受け継いだものなんだ」
立ち止まったマルセルが電気を付けると、あたりの様子がはっきりと見えてきた。
「凄い…」
細い通路を抜けた先は広い地下室に通じており、そこにはあらゆる年代の酒樽が並べられていたのだ。ワイン・ブランデー・ウイスキー…その時代も産地も実に様々だった。
「これってどうしたんですか?」
「先代の緑の守護聖が集めた物なんだよ。それこそあちこちの名だたるお酒の産地から取り寄せたんだった」
まだ17才の彼女はお酒のことを何も知らない。このお酒の山が凄いものだとわかっていても、中身まではピンとこなかった。
「僕の持つサクリアはいわば繁栄の象徴だからね。作物が豊かに実れば美味しいお酒も沢山出来るということ。だからこれは自分たちのサクリアの恩恵の一部だとも言えるんだ…これは先代の受け売りなんだけれどね」
 その話を聞いていると、なるほどと素直に思える。いわば緑のサクリアの歴史が具体的に示されたものなのだろう。
「本当に素晴らしいものですね」
アンジェリークは今度こそ本当に心を込めて言った。
「マルセル様、準備が整いましたが」
背後から老紳士の声が聞こえる。彼はマルセルの世話をしている執事の一人だった。自分の孫の年に近い主人の言葉を受けて、とあることの準備をしていたのだ。。
「本当? すぐに行くよ」
マルセルは騎士のようにアンジェリークの手を取って来た道を引き返す。ほんのわずかな時間人の目にさらされた酒樽たちは再び眠りについた。
「マルセル様…」
不安げに見上げるアンジェリークに、マルセルはウインクしながら応える。
「心配しないで。約束したでしょう? アンジェリークに元気になれるお薬をあげるって」
 やがて彼女が案内されたのは小さなバーカウンターだった。綺麗な色の酒瓶が並び、あらゆる飲み物に対応できる種類のグラスも揃っている。
「まさかお薬って…」
「ふふっ、美味しいカクテルをご馳走したいと思ったんだ。彼は先代のカティス様から手ほどきを受けている本当のバーテンダーでもあるんだよ」
でもアンジェリークはお酒など口にしたことはない。それが恐怖心へと繋がり、表情も青くなる。
「どうぞご心配なく、お嬢様。酒と一口に申しましても種類は星の数ほどもございます。お嬢様の初めての記念の為に風味を生かした甘いカクテルをご用意出来ますよ」
「それじゃお願い。アンジェリークの名前に相応しいものを僕にも作ってくれる?」
「かしこまりました」
 それからの執事の手の動きはまるで魔法のように見えた。数種類の酒をシェーカーに注ぎ、クリームも加えて蓋をする。それを上下に振る仕草は羽の羽ばたきのように軽やかだった。アンジェリークも思わず見とれてしまっている。しかしその時、紳士の背の向こうにある棚の上にグラスと一緒に置かれている一枚の小さな肖像画に気がついた。
「マルセル様、もしかしてあの方は…」
「ああ…あれは先代の緑の守護聖の肖像画だよ。カティス様って言うんだ。もしこの試験が数年前に行われていたなら、直接彼がお酒をご馳走してくれたかもしれないね」
「まあ…」
絵の中の男性は長い金色の髪を束ね、シンプルな濃紺の執務服を纏っていた。口元にはとても優しい微笑みを浮かべている。確かにお酒を心から愛していそうな…そういうのが似合う大人の男性だった。
「素敵な人でしょう? まるで年の離れた兄さんのように気さくで優しい人だったんだよ。明るくて子供っぽい面があると同時に男らしくて一本筋が通ったところがあってね、ジュリアス様やクラヴィス様からも厚い信頼を受けていたんだ」
 マルセルの話し方はまるで本当のお兄さんを自慢しているかのように聞こえた。
「守護聖としてだけでなくて男の人としてもすっごく尊敬している人なんだ。いつか僕もあんな人になれたら良いのに…なーんて、想像するだけの話なんだけれどね」
マルセルはわざとペロッと舌を出しながらおどけて見せるが、アンジェリークは真面目な顔をして首を横に振った。
「いいえ…いいえ。そんなことはないと思います」
「アンジェ?」
はにかんだような笑顔を見せながら、彼女は必死に言葉を紡ごうとしている。
「私、絵を見て一番最初に思ったんです…このお姿はマルセル様が十年くらい経って様々な経験をされた頃のものなんじゃないのかなって」
何を言っているんでしょうね…と顔を赤らめる少女に投げかける言葉が見つからない。本当に信じてくれるのだろうか? いつか自分が尊敬するあの人のようになれるのだと。
「ありがとう…」
「さあ、出来ました。どうぞ」
 小さな丸みを帯びたグラスに注がれているのは、天使の名前に相応しい純白のカクテルだった。その味はとても滑らかで繊細で、まるで舌が柔らかな何かで包まれたような感じになる。でもそれを一度に飲み干すのではなく、何度もグラスを降ろしながらじっくりと楽しむのが相応しいように思えた。
「美味しい…まるで上等なお菓子を頂いているみたいですね」
「グラスホッパーと申します。ミントとコーヒーのリキュールに生クリームを入れました」
「この白い色のカクテルはアンジェリークの名前にも相応しいと思うんだ。気に入ってくれたのなら、いつでも遊びに来て! ここには沢山のレシビがあるんだから、まだまだ楽しめるよ」
「あの、よろしいのでしょうか…」
「もちろんですよ。女王候補のお嬢様の為ならいくらでもお作りしましょう。ただ飲み過ぎには気を付けてくださいね。お二人はまだお若い…飲み過ぎては今日の楽しい思い出さえ飛んでしまいます」
「「はいっ」」
それから3人の間には懐かしい思い出話がいくつも飛び出し、内気な性格の候補生は思いがけなく楽しい時間を過ごすことが出来たのだった。
 
 
 
 
 
 
 その日の夜、マルセルは執事に頼んでアルコールの少ないカクテルを作ってもらい、一緒にラウンジでグラスを傾けていた。
「何か悩み事でもおありなのですか?」
ほんの少し顔を赤らめる緑の守護聖に執事はこう訪ねる。
「悩みじゃないんだ。でも色々考える事があって…でもそれは誰にも言えない事で…」
「左様でございますか」
琥珀色の酒が注がれたグラスを手に、長く守護聖に仕えている彼は優しく語りかける。
「それが『もしも』の事でしたら、私で良ければお伺い出来ますよ?」
 まるで実の父親のような優しい言葉に、マルセルの心にも甘えに似た感情が出てくる。
「これはね…本当に『もしも』の『もしも』な話なんだけれどね」
相手の顔を覗き込みながらマルセルは捲したてるように言った。激しく高鳴る心臓の音と真っ赤な顔は、口にしたカクテルがその理由の代わりになってくれている。
「…今日遊びに来た女王候補のこと、どう思った?」
「あの栗色の髪の可愛らしいお嬢様のことですね」
 これまで彼は何度か女王候補となった娘たちをもてなした事があった。しかしいずれも大変個性的な少女たちばかりで、酒の味が一つ一つ異なるように、彼女たちも誰一人として同じ性質を持つものはいない。
「とても真面目で心の温かい方だとお見受けしました。大人しい性格のようですが、その半面とても思い深くて優しいところがおありのご様子ですね。新しい宇宙をご自身のお子さまのように慈しんでおられる様子が目に浮かぶようです」
「やっぱりそう思った? ゼフェルなんか『おっとりし過ぎていて頼りにならない』なんて言っているけれど、絶対に無茶なことはしない人なんだ。いつだって相手の立場に立って考えられる人って本当に素敵だと思わない?」
 アンジェリークのことを語るマルセルの目はキラキラと宝石のように輝いている。どうやら相当彼女のことを気に入ったらしい。
「それでね…ここからが『もしも』の話なんだけれど、もし彼女が一緒にこの家で暮らすことになったとしたら…」
まだ幼いといっても年頃の少年である。そういった淡い気持ちを抱いても何の不思議もなかった。守護聖と女王候補の関係はとても複雑だから、彼の考えが現実になるのは考えにくい。そのあたりは責任感の強いマルセルもわかっているのだろう。
「もちろん、歓迎いたしますよ」
「本当に?」
「ええ。若いこの家のご主人様と一緒に、愛らしい奥様はきっと私たちの自慢になるでしょう」
「そう…よかった…」
そろそろ眠りの国に旅立ちそうなマルセルの表情は、これ以上はないと思えるほど幸福そうだった。彼の中ではまだそれが空想の域を出ていないのだろう。しかしやがて訪れるであろう試験の終了と同時に、敬愛するこの家の主人が一人増えているかもしれないことを、老紳士はなんとなくだが悟っており、その日を想いながらグラスの後片づけを始めた。
 
 
 
 
END
 
 
 
 
イメージソング   『a little waltz』   Dreams Come True 
更新日時:
2005/08/31
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Last updated: 2010/5/12