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19      電話   (恭介×あんず 怪盗アプリコット)
 
 
 
 
 
 最愛の娘が外へと出かける気配をよむと、20年以上前の世間を華麗に賑わした過去を持つ『怪盗プラムド』こと望月あざみは電話の受話器を手に取った。数回のコールの後に沈んだ少年の声が聞こえてくる。
「…オレだけど」
「恭介くん? こんな時間にごめんなさいね。望月あざみです」
突然の電話の相手に桐生恭介は何も言えなくなってしまった。ここら辺り一帯を仕切る桐生組の跡取り息子であり、同じ年頃の若者たちの間でも悪名のみが一人歩きしている者と同一とは思えない態度だったが、すでにあざみには彼女の娘の望月あんずへの想いが知られていることと、そのせいであんず自身を傷つけてしまったのではないかという不安がそうさせているのだろう。しかしあざみはいつもと変わらぬ穏やかな調子で話を続けた。
「怪盗アプリコットとしての最終試験は無事に終了しました。恭介くんには随分と助けてもらったわね。御祖父様からの命令とはいえ、あなたが彼女を助けなければ決して短くはない一ヶ月は乗り越えられなかったでしょう」
 別に礼を言われたくて試験の手助けをしてきたわけじゃない。自分にはそれしか彼女に対してしてやれることがなかったのだ。怪盗アプリコットとしてデビューするために課せられた依頼は『選ばれた五人の男性のハートを盗むこと』。それは世間の影となって動く彼女のパートナーである未来の夫を選ぶことなのだとこれまで何度も聞いてきた。しかしその五人の中に入ることの出来なかった自分は…。
「そこで試験の結果なんだけど、一応恭介くんの耳にも入れておきたいと思ったの。いいかしら?」
「別に…いいけどよ」
彼女は一体誰を望んだのだろう。不器用なサッカー選手、同じ学校に通う秀才、女性に優しいルポライター、芸能界に身を置く少年、そして自分が兄のように慕っているあの男…。一人一人の顔を思い浮かべるたびに泣きたい気持ちになってくる。父親が凶弾に倒れた時とも母親が病で逝った時とも違う胸の苦しみが襲う。生きたまま心臓のみを握られるような感触は生まれて初めてだった。
(雨の中であいつを抱きしめた時は、心も近くにいるような気がしていたのに)
 震える手で握る携帯電話からあざみの声が小さく聞こえてきた。
「あんずは怪盗アプリコットとしての試験を放棄しました。今後は一族の家訓に縛られることなく普通の高校生として生活を続けます」
「えっ?」
信じられなかった。言葉より先に恭介は自分の耳を疑う。
「本当よ。私たちはあんずからそれらの言葉を聞きました」
「なんでだよ!! あいつあんなに頑張っていたじゃねーか…おばさん、一体何があったんだ? あんずが選んだ男の方があいつを拒否したのか?」
「違うわ。どうやらあの子はね、怪盗よりも極道の女になりたいんですって」
更に続く信じられない言葉に、いよいよ恭介の頭は混乱してきた。今まであんずはそんな素振りを一度も見せてくれたことはなかったからだ。
「代わってくれ…あいつと。あんず自身と話がしたい」
「今出かけたところよ。一度にいろんな感情が沸き上がってきて心の整理もつかないのでしょう。協力してくれたあなたへの負い目もあるでしょうしね。今頃は海で泣いているかもしれないわ」
「海…海岸か?」
「今の私の話は聞かなかったことにして、あの子の気持ちをあなたが行って聞いてあげて頂戴。ごく普通の女の子としての想いを受け止めてあげてほしいの」
もし今の話が本当だったなら…もちろん今でも信じられなくはあるけれども…でもあんずの気持ちが少しでも自分のところにあるのだとしたら、もう受け止めるだけでは足りない。他の男たちが入る余地がないほどに近くへと行かなくては。電話を切る直前、恭介はあざみに対してこう叫んでいた。
「今晩…あんずは家には帰さねえから!」
 
 
 
 
 
 あざみは受話器を静かに戻したが、彼の最後の叫びを聞いてやはり笑わずにはいられなかった。
「もう大丈夫。きっと上手くいくわね、あなた…」
そう振り向いた先では、数年ぶりに我が家へと戻ってきたここの主が寂しそうに部屋の隅っこで丸まっていた。
「もう娘を嫁にやる心情になっているの?」
子供たちを見守るために学校の教師という仮の姿を貫くほどの男だ。特に娘のあんずに対しては、怪盗としての将来を認めつつそれでも危険なことはさせたくないと望んでいた程である。
「僕は娘を極道の妻にしたくはなかったんだけどね」
「あまりそう言うものではないわ。いつかうちの草もお嫁さんをもらう日がくるでしよう。その時に相手の親御さんに非難されたくはないでしょう?」
あざみの言葉に一哉は力無く笑うしかなかった。
 確かにあんずが好きになった相手は極道一家の跡取り息子であり、のちに桐生組の八代目として非常に大きなものを背負うことになるだろう。しかし桐生組をやくざ者の一言で済ませるわけにはいかないのだ。よほどの一本筋の通った部分がなければ望月家と共に四百年もその血を絶やさぬことは出来ないのだから。
「だが僕も親としてあんずを守る義務がある。今のうちに桐生一族の弱点をリストアップしておくぞ!!」
我に返ったようにパソコンの前に座り直す一哉を見て、あざみは呆れたようにため息をついた。どうやらまだあんずが生まれたばかりの頃に引き合わせた桐生組六代目の桐生栄介から『あんずと恭介を結婚させる』と言われた恨みを忘れていないらしいのだ。一哉がアプリコットのターゲットとして恭介を選ばなかった理由がそこにあるとはお天道様にもわかったものではない。
「そうだ、言い忘れていたんだけど」
「なんだ?」
「あんずは今晩帰らないって」
「……なにいいーーーーっっっ!!!」
 
 
 
 
END
 
 
 
 
〈イメージソング   『NO SIDE ACTION』 UP−BEAT〉   
更新日時:
2003/05/24
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Last updated: 2010/5/12