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16      愛   (泰明×あかね 遙かなる時空の中で)
 
 
 
 
 この日の夜、星の姫が住まう土御門殿に珍しい人物が立ち寄っていた。地の青龍こと森村天真である。貴族的な生活が性に合わないと天の青龍である源頼久を頼って武士団の中に身を寄せているが、やはり同じように現代からやってきた地の朱雀流山詩紋と話をしたくなる時もあるらしく、数日に一度はこうして忍び込んでくるのだ。詩紋へと与えられた部屋の中で月明かりと蝋燭の炎を間にはさんで話を続ける。しかししばらくして詩紋がふと我に返った。
「あれ…?」
「どうかしたのか」
「うん、なんか少し騒がしいみたい」
 確かに女房たちの廊下を行き来する音は聞こえたような気はする。しかし詩紋の言葉に天真はあぜんとし、すぐに大きく笑い出した。
「騒がしいってどこがだよ。こんなの物音のうちにはいらねーって。お前もこっちに来てみるか?」
「でもここは藤姫の家だからね。もしかしたらなにかあったのかもしれないよ、先輩」
星の一族の姫である彼女の元へ鬼に関する情報は集められる。何かあったときに八葉が集うのもここだろう。
「だったら俺は武士団へ戻った方がいいかもな。青龍が揃っていたほうが何かと都合がいいだろ」
「お気遣い申し訳ありません。でも大丈夫ですよ」
背後から聞こえる知らない男の声…2人は慌てて振り向いた。この部屋で自分たち以外には気配さえ感じられないというのに。
「誰だ!」
 暗闇の向こうからその人は風のように静かに姿を現した。長い髪を束ねたどこか中性的な雰囲気を持つ大人の男性である。口元には余裕というか…しかし敵対心を起こさせない特別な笑みを浮かべていた。
「あなたは…?」
「地の青龍と朱雀…森村天真殿と流山詩紋殿ですね」
その人は跪いて彼らの前に頭を下げる。
「この度は突然のことでありながら京の為にご尽力頂くことを心から感謝しております。我が弟子も神子やお二人にご迷惑をおかけしていることを心苦しく思っております」
弟子…? 八葉のうちの他の6人と関係している人物だろうか。突然の出来事に2人の考えが上手に働いてくれない。自分たちは何も知らないのに、何故か全てを心得ているような…。
「心配には及びません。私が星の姫にお会いしたいと申し出たので、その仕度に女房たちが動いているのでしょう。夜分に申し訳ないとは思いましたが、あまり人目につくのも問題がありましたので」
「そうだったんですか」
素直にそう言う詩紋とは反対に、天真は相手に対する警戒心を緩めない。
「ちょっと待て! てめーは…」
「それでは失礼」
 相手は身を正すと、そのまま空気のように消え失せてしまった。最後まで気配を感じさせず、全てが夢の中の出来事であるかのように2人は呆然とするしかなかった。
「一体何者なんだ?」
「…八葉が弟子みたいなこと言っていたね」
源頼久関連なら、天真もその存在を心得ている。天の朱雀であるイノリの師匠とも顔見知りだから除外してもいいだろう。
「永泉さんも違うと思うけど。帝の実弟なのでしょ? だったらあんな言い方しないと思うし」
「ちくしょー、貴族関連はちっともわかんねーしな…」
天真がそう言いかけた時に、詩紋が慌てて大きく叫んだ。
「ああーーーっっっ」
「おい、どうしたんだよ」
「泰明さんじゃないの? あの人の弟子って」
地の玄武として、自らの力を自在に操るあの男である。彼の師は天真や詩紋のいる現代世界でも広くその名を知られていた。
「あれが本物の安部晴明か!?」
 
 
 
 
 女房たちの動きがようやく収まる頃、幼き姫君の前に晴明はやってきた。
「夜分遅くにお邪魔して申し訳ありません」
先程とは違う、本当に複雑な顔をしながら頭を下げる。
「そんなこと…気になさらないでくださいね。お礼とお詫びを申し上げるのはこちらの方です。弟子の泰明殿には神子様の為に力をつくして頂いて…」
藤姫にとって晴明は頼りになる年の離れた兄のような存在だった。龍神と神子の存在をよく知る同志として、影で星の一族を支える恩人でもある。そうでなければ左大臣家の姫君のもとへ忍び込むのは不可能だろう。
 弟子が褒められることは師にとっては喜びに繋がることだ。しかし今日の晴明は表情が冴えない。
「晴明殿?」
「藤姫…泰明が京より姿を消しました」
「なっ…」
思いがけない言葉に、藤姫は絶句してしまう。どういうことなのだろう…それでなくても今は重要な時期なのに。四神全ての復活を目指し、いよいよ鬼との戦いも終盤を迎えている。もちろん一筋縄でいくとは想ってはいないが、神子と八葉の力も絆もより強くなることで京を悪夢から解放できると彼女は信じて疑わなかったのだ。
「どうして…?」
それが責任感からくるのかは分からないが、泰明は己の仕事に対して忠実で迷いはなかった。もしその心情に変化が起こったのなら、余計に誰にも言えなかったに違いない。
「心当たりはないのですか?」
「心当たり…」
 晴明の口がそのまま止まる。やはりこの人は何かを知っているのだ…弟子を失った焦りよりも、彼の気持ちを察する悲しみの方が晴明の表情を支配している。藤姫は彼が真実を語るのを待った。
「以前に、泰明の素性について話したことがありましたね。覚えておられますか」
おそらくそれを知るのは晴明と北山の天狗、そして彼女の3人だけだろう。泰明が八葉に選ばれた時に初めて打ち明けたものだった。
「あの者は人としての形は持っていても、人ではありません。人から生まれた存在ではなく、我々の手によって生み出された存在…それだけに感情を理解できない泰明が私は不憫でならなかった。あの者が八葉として選ばれた時、不謹慎と思われるでしょうが、実は安心したのです。共通の目的を持つ者たちとの…神子や仲間との関わりが必ずや良い影響をもたらすだろうと」
晴明の言葉は藤姫にも痛々しいほどに伝わってきた。それは息子を思う父親の心境に似ているのだろう。思えば藤姫の父も、一族の使命を重く受け止めながらそれでも愛する娘の身を常に案じており、娘もそれを感じていたのだ。
 確かに泰明はこの数ヶ月で変わったように思う。しかしそれに一番戸惑っているのは本人だろう。
「この度のことで泰明は確実に変わった。しかしそのことがあの者の力を削る結果になってしまった。私も思ってもみなかったのです…人としての感情が、神子を愛することによって芽生えてしまうとは」
龍神に選ばれた高貴な存在である上に、いつかは自分の世界へと帰ってゆく人だった。そういう存在に想いを寄せることで、泰明の力は徐々に失われつつある。京に…神子の側にいられないと結論づけた気持ちを誰が責められるだろう。
「晴明殿」
幼い姫は彼の前まで歩み寄り、その大きな手を握りしめた。
「藤姫…?」
「信じましょう、泰明殿を。確かに今は心が乱れているかもしれません。しかしいくら迷ったとしても、今神子様の為に出来るのは京に戻ることしかないのですから…それに神子様はとてもお優しい方ですわ。泰明殿の気持ちを知ったとしても、決して無下にはなさらない方です」
 それでもその言葉で晴明の頭が上がる。赤子のようなあの者が愛を知り戸惑っていたとしても、決してくじけないよう導いてやることは出来るかもしれない。
「私ともあろう者が、弱音を吐きすぎてしまいましたね。この度のことについて…姫にも協力して頂きたいのです」
「…私に出来ることであれば」
二人は初めに対面した位置まで戻った。晴明は懐から式神を取り出す。
「泰明は必ず近いうちに京へと戻るでしょう。その時に一度神子と話をさせたいのです。なんらかの形でふんぎりがつけば、泰明にも力が戻り、地の玄武として動くことが出来るでしょう。その時は私がこれを使って神子を導きたいと思います。姫、どうか泰明が京より消えたことをあなたから神子にお伝え頂けますか」
「わかりました」
それぞれの身を案じる者たちを京の月が優しく見守っていた。そして別な場所でその二人も切ない想いを抱えて唇を噛みしめていた。
 
 
 
 
END
 
 
 
 
イメージソング   『眠れぬ夜は君のせい』 MISIA
更新日時:
2003/08/06
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Last updated: 2010/5/12