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100      すき   (氷室×主人公 GS)
 
 
 
 
 昼休みが終わり、午後の授業の開始を告げるチャイムが鳴り響く。教室を満たしていた笑い声が収まると同時に深いため息をつく者が大勢いた。
「あーあ、次はヒムロッチかー」
数学を担当している自分達の担任教師である。授業内容の厳しさと生徒に要求するレベルの高さは、他の教師を相当引き離した状態で一位をキープしているお人だった。昼食を終えたばかりの…『腹の皮が突っ張ったら目の皮が弛む』状況下で彼に会いたがる勇者はここにはいなかった。水崎悠里は一見それに同意するような顔をしながら、それでも仲間内のお喋りを早々に終わらせる。
「…あれ? なっち、席に戻らないと先生来るよ」
 しかしそう言われた藤井奈津実はいたって平気な顔をしている。
「いーのいーの」
その口元に浮かぶ笑みは、何かをやり遂げた者のそれに見えた。奈津実と氷室はクラスどころか学園内でも有名な犬猿の仲だったので、誰もが『また何かやったな…』と思い、そしてそれは数分後に現実になった。規則正しい足音が無人の廊下にコツコツと響く。悠里は奈津実と違った意味で喉をごくりと鳴らした。入り口の扉に挟まっている黒板消し…それは開かれると同時に担任教師の頭部に落下する『はず』だった。しかし…。
「無駄だ」
 低い声と冷たい眼差しは、奈津実だけではなくその場にいた全員の背筋を凍らせる。黒板消しは190という高身長を誇るこの人にとってはトラップにもならないのだ。その中で悠里だけがほっと胸をなで下ろしていた。
「誰がやったのかはあえて問わない…しかし…これだけは言っておく」
氷室はコツコツと靴音を響かせながら一人の生徒の席に向かい、その前に立った。
「無駄だ。私には通用しない! …以上だ」
「問わないなんて言いながら、わかっているんじゃないですか!!」
名指して呼ばれたかのように奈津実が反論する。
「…間違っているのか?」
「うっ…」
彼女に最早味方はいなかった。
「教師に対して随分なことを言ってくれたな。いつもの倍のレポートを覚悟しておくように」
 周りにクスクスと笑い声が漏れる。ちくしょー…奈津実は更にレポートを増やされそうな捨て台詞を吐いて悔しがった。
「静粛に!! 授業を始める!」
それまで笑っていた面々が、その声によって一気に静まり返る。その中には水崎悠里の姿もあった。彼女は担任を気の毒そうに…でも安心したように見つめている。藤井奈津実と席の近い彼女の姿は、時には嫌でも目に入ってしまうのだ。何故か彼には悠里の視線が自分ではなく、藤井に対して放たれているように思えてならなかった。一瞬目が合ったものの、すぐに顔を背けてしまう。
(せんせ…い…?)
傷ついた悠里はそのまま俯いてしまう。そして黒板に向いている氷室はそのことに気がつかない。知らずに互いを深く傷つけたまま授業は開始されてしまった。
 
 
 
 
 ランチタイムが始まると、女の子たちはテラスのいつもの席に集まった。弁当を開く者もいれば、ランチプレートを注文する者もいる。その中でも話題の真ん中にいるのは藤井奈津実だった。プレートの上の照り焼きチキンを勢いのままにフォークに突き刺す。
「ほんっとーにむかつくんだってば! ヒムロッチの奴…もうむかつくなんてレベルじゃないね。憎い! 本気で憎いよ!」
「それは貴方が悪いのではないの? 少なくとも授業が始まる前に行うことではないわね」
それが有沢志穂の意見である。隣に座った須藤瑞希も呆れたように腰に手をあてた。
「ホント! そんなことをしたってあなたが先生に勝てるだなんて思えないもの」
「ちょっとあんたたちも随分と好き放題言ってくれるじゃない」
教師としての氷室を尊敬している志穂と、女性らしい上品さを身に付けている瑞希は当然そんな言葉に耳を貸すことはない。
「でもレポート大変だね…大丈夫?」
唯一奈津実に同情的なのは紺野珠美だった。大人しいタイプの彼女も違った意味で氷室を苦手としている。
「そんなもの適当に書いて出しちゃえばお終いよ。あいつはねー、とにかく提出して反省していますって見せておけばいいんだからさ」
 カラカラと笑う奈津実の横で、悠里はフーッと溜め息をついた。
「どうかしたの? 具合でも悪い?」
珠美の声にも首を横に振る。
「さっすが悠里だよね。この気の毒な私に対してこうやって同情の意志を示してくれているわけだ」
「いや、そういうわけでもないけど」
まるで千の味方を得たかのように叫んだ奈津実の表情は一瞬でくじけてしまう。
「ただ…氷室先生と仲良しでいいなあって」
「「「「仲良しぃ?」」」」
信じられない言葉に全員が耳を疑った。奈津実や珠美はもちろん、志穂も瑞希もである。そりゃあ『ト○とジェ○ー』のような関係だと言えないこともないのだが…だがそんな可愛い言葉で言い含められるとも思えない。
「でもさ、先生ってもしかしたらなっちの事好きかもしれないよ?」
「「「「いや、有り得ないし」」」」
「だってなっちと喧嘩した後、私のこと凄い目で睨んで、それからすぐに視線外しちゃうの。もしかしたら私がなっちの親友だからって、恨まれているのかもしれないし」
「「「「だからそんなことないって」」」」
 仲間たちはそれこそ必死という形相で叫び続ける。奈津実のように自身のフォローも大切な者もいたが、あとは悠里のとんでもない誤解を解きたいという気持ちからである。年頃の女の子たちはこういう事には敏感なのだ…どうして彼が目をそらすのか、その理由は志穂も瑞希も珠美も知っていた。
(ここまで鈍感だとは思わなかったわ…)
(ホント! もうっイライラするーッ)
(もしかして氷室先生って、もの凄く気の毒だったりするのかな?)
(あかん、ここで私が発言したらますます妙なことになりそうだ)
「でもっ、私は平気だよ? その時が来たらちゃんと祝福出来るよ?」
「あんたね、私の気持ちはどまで飛んでったわけ?」
「えっ?」
ここまで思いこんでいるのなら正気に戻すのは相当難しいのかもしれない。奈津実はせめて自分が想いを寄せているあの人がこの会話を聞いていないようにと祈るのが精一杯だった。
 
 
 
 
 
 
 彼女たちの会話を偶然耳にした担任教師は、その場に立ちすくみながら拳を強く握りしめていた。それがワナワナと震えていることにも気がついていまい。加えて職員室に戻ろうという気持ちさえどこかへと飛んでしまっているかのようだ。
(先生ってもしかしたらなっちのこと好きなのかもしれないよ)
それは先程間違いなく彼女の口から放たれた言葉だ。思いがけない…想像もしたことのない考えに、彼は幼い子供のように傷ついてしまった。
(ありえない…そんなことが有り得るはずがない!!)
行き場のない拳はそのまま壁に叩きつけられる。190はある高身長の男の行為に、周りはただびっくりしたまま動けなくなった。
 どこがどう巡ってこういった誤解が生じたのだろうか。奈津実のおそらくは今後も続くであろう自分に対する悪戯の数々を無視するわけにはいかない。だとしたら…やはり彼女の目をそらしてしまったことにあるようだが、そらす直前に一体どんな目つきで彼女に接しているのか自分は。素直な性格は水崎悠里の取り柄の一つだが、流石にそういう受け止められ方は甚だしく不本意だった。
(先生ってもしかしたらなっちの事が好きかもしれないよ)
「冗談じゃない!」
突然の大声に周りにいた生徒たちは怯えたような表情で彼を避けて歩いていった。
 さてこれからどうしたものか…行動を起こすには相当の勇気必要だが、だからといってこのまま問題を放置しては誤解は深まって行く一方だ。彼女の心を解きほぐせるような、そんな状況を今すぐにでも作らなくてはならない。すると突然彼女を愛車に乗せて何度も自宅まで送っていったことを思い出す。その時の無邪気な笑顔は鮮烈に焼き付いていた。
「…ドライブ…か」
上手い具合に週末はなんの予定も入っていなかった。社会見学だと言えば真面目な彼女はついてくるだろう。自分は大人なのだから、その後のことはいくらでも取り繕うことは出来る。
「ならば後で声をかけてみるか」
ふふふふふ…という低い笑い声が廊下に響いた。それを耳にした生徒と職員の間に『アンドロイドオイル漏れ』の噂が行き来したのは言うまでもない。
 
 
 
 
 
 
END
 
 
 
 
イメージソング   『こんなにそばにいるのに』   ZARD 
更新日時:
2004/07/13
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Last updated: 2010/5/12